.12 皆の笑顔の為に
「だいじょうぶだよ」
震える私の袖を剛志が引っ張る。
窓の外から視線を外して振り向くと、剛志が微笑んでいた。
この言い知れぬ恐怖を剛志は感じていないのか、私の気のせいなのだろうか。
いや、違う。
だいじょうぶ、その一言がそれを否定する。
「つよくん?」
剛志の微笑みに私はいつもなら安心するのに、とてつもなく不安に思えてしまった。
だいじょうぶ、の言葉に隠された強がりなんかとは違う、剛志のことを失ってしまうような不安。
「ここちゃんのえがおは、ぼくがまもるから」
剛志の言葉に、私は心臓が止まるかと思った。
剛志は、わかっているのだ。
この状況を、わかっているのだ。
そして、私も、わかった。
この状況を、わからされた。
「……ダメよ、つよくん。変身したら、ダメ!!」
剛志の言葉と微笑みに引っ張られるように、ようやく私も状況を理解出来た。
いや、飲み込めたというべきか。
さっき調べたばかりのことが、どれも真実だという残酷さと理不尽さを飲み込めた。
つまり、私には死が迫っていて、それを助ける役目は剛志だということ。
そして、その役目を全うしてしまえば、剛志が死んでしまうということ。
唸り声が近づく。
迫る恐怖に震えが止まらなくなってきた。
皮肉にも今やっと、私は息子からの愛を実感している。
ママと呼ばれるまで、私はやっぱり他人のままなのだと思っていたのに。
剛志は私のことをちゃんと愛してくれている。
なのに、なのに!!
私は自分の首筋を触った。
何の違和感もない。
何の違和感もない!
何の違和感もない!!
私は首筋を引っ掻いた。
皮膚が爪に抉られ、血が指につくのがわかる。
痛みなんてどうだっていい。
血が流れようがどうだっていい。
だけど、だけど!
生温かいままだ。
私の体温、そのもののままだ。
冷たいと、冷たいと書いてあった。
痣は冷たいのだと、書いてあったんだ!
ああ、ああ、何故?
何故なの!?
「つよくん、私は!……私は、つよくんのこと、愛しているんだよ。本当に、本当に、愛しているんだよ!?」
怖い。
たまらなく怖くて、剛志の事を抱きしめた。
私は、剛志のことを愛していないのか?
剛志は私のことを愛してくれているというのに。
痣が浮かび上がるほど、愛してくれているというのに。
そんなこと……嘘だ!
「ここちゃん、泣かないで」
剛志にそう言われて、私は涙を流していることに気づいた。
こんなもの流れたって、何にも変わらないのに。
こんなもの流れたって、痣は浮かび上がらないのに。
涙は止まらず、流れ続けた。
「私は、つよくんのことを愛しているの! だから、私が、私が! 私が、貴方を守らないといけないの!」
叫んでも、願っても。
愛しているのに、守らないといけないのに、私の首筋には痣が現れなかった。
唸り声が近づいてくる。
私は――
→剛志を守りたい。
剛志に守られたい。
ここから逃げ出したい。
「つよくん。ママね、つよくんのこと守るって約束したの」
剛志の目をしっかりと見つめる。
頑張って微笑もうとする頬がひくひくと揺れている。
わかってる、剛志は私の為に微笑んでくれていて、私の為に泣くのを我慢してくれているんだ。
私が泣いてしまってどうする。
私が微笑んであげないでどうする。
剛志が守りたいと言ってくれた笑顔を見せてあげないで、どうする。
「やくそく?」
私が微笑んで、今度は剛志が泣き出した。
察しのいい子だから、何となく理解してしまったのかもしれない。
「そう、つよくんの本当のママと、パパと」
本当のママさんには会ったことはないのだけど。
墓前で誓わせてもらったから。
「ほんとうのママ?」
「つよくんがもっと小さいときに死んじゃったの」
「パパみたいに?」
「パパみたいに」
剛志には二人の死について誤魔化したくはなかった。
まだ幼い剛志に理解できるかはわからなかったけれど、ちゃんとお別れさせてあげないと私との関係が始まらないと思ったから、死について伝えていた。
なのに、この子は痣に従って自分の死を私の為に受け入れようとしてるのだ。
唸り声が近づく。
「パパはヒーローだったんでしょ? だから、ぼくもヒーローになるの!」
いつか聞かれた父親の話。
父親は憧れのヒーローみたいに格好良かったのか?
そう問われて私は、そうだよ私達にとってヒーローだったよ、と答えた。
それが剛志のヒーローに憧れる気持ちを加速させた。
「ダメよ、絶対!!」
縋るように、剛志の肩を掴む。
駄々なんて聞いてやるものか、これは絶対に許されないことだ。
絶対に、変身はさせない。
「ここ、ちゃん?」
「いい、つよくん。いっっぱい伝えたいことはあるんだけど、もう時間が無いみたいだから一言だけね」
まだ何も教えてないのに。
まだ何も伝えてないのに。
楽しいこと、嬉しいこと、これから一緒に体験していくもんだと思っていたのに。
終わりは突然やってきて、私は後悔ばかりが残っている。
剛志のこれからを誰かに託すことも出来ないなんて、悔しくて堪らない。
唸り声が近づいてくる。
何かが壊された音と、足音がハッキリと聞こえる。
私は、せめて最後に残せるものをと精一杯微笑んでみせた。
皆の笑顔の為に。
剛志の憧れる言葉と共に。
「生きて」
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