彼女はいつも、僕の憧れだった
国作くん
第1話
19時30分。時計の針が、授業開始から10分経ったことを示す頃。
ふぁああ
今にも飛び出そうになったあくびをかみ殺す。
授業前に松屋で食べた牛丼が消化され、眠気となって僕を襲ってくる。18時まであった水泳の練習も、それに一役買っていた。食事に運動、このダブルパンチに抗える者など、いないんじゃないか?
そもそも、このくらいの時間帯であれば、みな眠たいものだろう。周りを見渡すと、頭をこくりこくりとする者、頬杖をつきっぱなしの者、ついに諦めて教科書を積んだ机に突っぷすものがいた。
本当どうしようもない、こんな教室に流れるBGM『退屈な時間』。
作詞作曲、英語教師。今もほら、僕の席から4列前、30cmほどの高さの教卓の壇上で、ストリートライブをしている。英英辞典を抱えながら。
「昔はさぁ、クラスの女の子みんなが、僕に寄ってたかったもんだよ。『ねえねえヨシオくん、この問題教えてくれない』ってさ。僕はそこでパッと答えてやったんだ。そしたら『ええ、ヨシオくん天才だね。かっこいい』なんてさ。簡単に言うと、モテまくりなわけだったのさ」
教師は最前列に座る女子生徒に目配せをするも、目をそらされ、ため息をつかれるだけ。
それもそうだろう。年寄りの若い頃の自慢話ほど興ざめなものはない。
並の人間なら、「明らかに面白くない」なんて反応をされたら、身に応えるだろう。
だが、例の老害は違った。女子生徒のシカトを気に留める様子でもなく、話をつづけだすのだった。
「……で、カフェで一緒にお茶することになったわけ。デートに俺はこの辞典を持って行っちゃってねえ。彼女、『英語と私、どっちが大事なの?』だってさ。あの頃は本当仕方ないなと思ったよ。でもね、大学院試験が直近にせまっていたもんで、私は英語を選ぶことにしたんだよねえ」
教師は辞書を頬に擦り付け、悦に入った顔で回顧する。ただの英語変態だ。
いつもこんな調子の、鋼のメンタルを持った、不屈の音楽家。
こいつ、毎回の授業の前半三十分ほどを、どうでもいい自分語りに費やすのだ。
クルクル
半時計回しは簡単だが、時計回しは難しい。
暇つぶしのペン回しもそろそろ飽きてきた。はやく授業の本題に入らないかな。
バンッ!!
……力強く扉を開く音だった。
栗色に染めた髪をなびかせて、教室に女が入ってきた。髪の隙間から、くっきりした二重と、銀色のピアスを覗かせる。だが、眉間に寄せられた皺は、それらを踏み台にして、冷たい印象を醸し出していた。
彼女は小田マミ。僕の同級生だ。
堂々とした小田の登場に、先までとは違う、厳しい口調で教師は問いかける。
「小田さん」
だが、小田は構わない。そのまま席に向かう。
「小田さん!」
無視してバックを机に下ろす。参考書の重みで、鈍い音がなった。そして、椅子を手で引く代わりに蹴ってみせる。
「小田さん!!」
教師のほとんど叫ぶような声に手を止めた。小田はそれに横目で答える。
「……なんすか」
「あなた、教師に対する態度がなっていないですよ。」
「はあ」
「『はあ』じゃないでしょう!毎度のことですが、授業には遅れず出席するのが礼儀でしょうが!!」
出席。
この教師、授業の出席に異常なほどのこだわりをもっていた。ゲームをしていたところで、開始時間から終了まで教室にいれば、何もいわない。
今日は、授業開始早々に小田がいないことを確認すると、青筋を立てていたのだった。
クラスの生徒たちは、もちろんこの教師の特性を知っていた。なので、授業に遅れないようにだけは心がけていた。
だからこそ、小田の反応に、クラスの注目が集まる。
「あの 教師 を怒らせた小田は、次に何をするのだろうか?」
そんな期待を受けていたことを知るか知らぬか、小田は、心底うんざりしたような表情で、舌打ちをし、
「さーせん」
とだけ言った。
一瞬の沈黙。
あいつ、やりやがった……。
クラス中の視線が、二人に集まる。
そして、
ブチッっと、血管の切れる音が聞こえた気がした。
「いい加減にしろ!小田ァアア!!」
教師は机を押しのけ椅子を押しのけ、まっすぐ小田の席まで詰め寄った。その姿、道を割るモーゼのよう。教師は背の高さを最大限に利用して威圧し、顔を真っ赤にしてまくし立てる。
うわぁ、ブチギレじゃん。
てかキレながら躓いてるのだっせぇ。
だが小田は、そんなものは平気なようだった。
ろくに視線もあわせず、悪態をつくように、適当にあやまった。
「チッハイハイすみませんでした」
そんな態度に、教師は余計ヒートアップする。
「貴様!!!!」
何往復しただろう。片方が一方的に白熱したやり取り。
これ、授業全部潰れるかもな。
だとしたらラッキー。
……。
何分経っただろうか、ついに面倒になったのだろう。小田はイヤホンを取り出し、音楽を聴き始めた。
怒鳴り声をBGMに、あくまで平然と教科書を開く小田。
そんな小田を見て、僕は思った。
「この人、かっこいい。」
特進Sクラスの、英語の授業での出来事だった。
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