Prologue ‐すべてをうしなった男‐(3)

     3


 ライブ終了後、業はノア友とオフ会をして過ごした。

 ろうにゃくなんにょともに楽しめるように、立食も着座も可能なじゃたレストランを予約していたのだ。数十名のノア友が熱狂冷めやらぬままにライブの感想を語り合っている。

 かる業もまた、高揚感で頭がくらくらとしていた。

 これほど最高の夏はない。学校でクラスメイトが気にするような成績や部活、あまっぱい恋、すべてがすべてくだらない。大人から子どもまでが一堂に会し、夢のひとときを過ごしたこの場こそ最前線の青春だ。

「じゃあ、みんなもお疲れ! また会おう!」

 業ははつらつとした声で、今日という最高の神秘を共にした戦友に別れを告げた。ライブ会場で買ったグッズを腕いっぱいにり下げ、業は満面の笑みを向ける。

 を応援し続けるかぎり、こんな機会がまた幾度となくやってくるのだ。

 そう思うと、終わりゆく夜でも、期待で胸が膨らんだ。

 帰宅の途につこうと池袋駅東口へ向かう業。サンシャイン通りを抜け、歩行者信号が青に変わるのを待つ間、スマホを見て今日の戦果について振り返った。

 ライブに参加できなかった仲間には今日の様子をどう伝えようか。そう考え、Twitterのアイコンを見やる。アプリの通知を振り切れて「20+」と表示されていた。

 新参のノア友からの連絡だろうか。

 業が浮き浮きとアプリをタップした、ちょうどそのとき。

「か、カルゴさん……っ! ちょっと待って!」

 後ろから声をかけられて振り向く。ミーナが駆け寄ってきた。ライブ前に初かいこうしたときの雰囲気とはまた違う、きょうきょうとした様子で。

「ミーナさん? どうしたんだ?」小首をかしげる業。

「はぁっ……はぁっ……。乃亜ちゃんが……」

 ミーナは顔面そうはく。その雰囲気に物々しさを感じた。

「……炎上……しました……っ!」

 ミーナが苦しそうにそう言う。その意味を理解するのに業は時間がかかった。

「──え?」

 ふと、スマホが映し出すTwitterの通知画面に目を落とす。

 そこには山ほどリプライが表示されていた。大量に貼られたURL。その無機質な文字列は何かのエラーメッセージかと思った。リンク先を踏む勇気は、いまの業にはない。

 そのURLは天国か地獄か、どちらか一方の招待状だとしたらまず後者に違いない。

 ──ドクン、ドクン、ドクン。

 心臓の鼓動が強まり、その拍動が頭まで揺らすようだ。

 炎上したのが他人だとしても、それは業がすべてを捧げ、これからも捧げ続ける覚悟を決めた唯一の推しである。推しの炎上は『乃亜推しカルゴ』にも飛び火する。

 業はもう、乃亜のファンとして後戻りできないところまで来ている。

 ──歩行者信号が青に変わった。

 きらびやかな夜の池袋。駅に向かおうとする通行人が、一斉に道路に雪崩れ込む。

 その雑踏は業を置き去りにして進んでいく。震える指先。崩れ出す膝。足元に目をやると一匹のせみの死骸が無惨な姿をさらしていた。雑踏に踏み倒されるソレが、無味乾燥としたシニカルな複眼でこちらを見ている。

うそ……だ……。今日は初のソロライブの日で……最高の……夜に……」

 VTuber業界における炎上の悲惨さを、業は知っている。

 それが大火事となるのか、小火ぼやで収まるのかは火種による。しかし、悲劇的にこのタイミングだ。小火程度で済まないことは予感していたし、その実情を知る様子のミーナも、やはり深刻な表情を浮かべていた。

「どうも……前世のリアルの姿が……」青ざめた顔でミーナが語る。

「……嘘……だ」

「その裏あかの痴態が晒されて──」

「嘘……だ」拒絶するように耳を塞ぐ業。

 雑踏に押され、たたらを踏んで迷い込んだ先は駅前の中央分離帯。

 そこは方舟のような形をしていた。乃亜の初シングル【Ark!】。その崩壊寸前の舟に乗せられ、空高く舞い上がった業の魂は、舟が空中分解したことで行き場を失った。


 ──男はこの日、すべてを失った。

 その無念は浮遊霊のように、ネットの海のただ中で彷徨さまようことを強いられた。

 月日は流れ、VTuber界の力関係も荒々しく変化する。VTuberかいわいにぎわせた乃亜推しカルゴなる存在も、やがて忘れ去られていく。その魂が闇を抱え、いずれ死神に変わり果てるなど、このときはまだ誰も予想だにしていなかった。

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