VTuberのエンディング、買い取ります。

朝依しると/ファンタジア文庫

Prologue ‐すべてをうしなった男‐(1)

     1


 その日、かるごうは散財するつもりでいた。

 高校二年の夏。世間では人生における青春の最たる期間ともいわれるその時期を、業はアルバイトに費やした。一昔前に青春をおうした大人たちは、そんな苅部業を見れば口をそろえて言うだろう。──もったいない、と。

 しかし、業は自らの青春の過ごし方にじんも後悔など感じていなかった。

 これから赴く現場には業にとって、爽やかな汗を掻いてスポーツに励むより、図書室で女子とイチャイチャしながら勉強するより、天体観測や機械工作より、ずっと大切にしているものがある。──それが推し事だ。

 好きな人物や物事(=推し)を応援するために尽力する行為。

 現代社会、多様性に富んだエンタメや趣味に生涯をささげる人々の情熱は、とどまることを知らない。それはなにもポップカルチャーの聖地だった日本のみならず、世界規模の一大ムーブメントとなっていた。

 業が推しとする対象──それはVTuberと呼ばれる仮想世界の配信者だった。

 2Dや3Dの美少女・美少年の姿で動画投稿、配信活動に励む彼女・彼らはYouTubeをはじめとする動画コンテンツの顔となりうるポテンシャルを持っていた。そのアイドル性と匿名性を併せ持つ存在は、推して推されての関係を求め、ゆるいつながりを重視する現代カルチャーには都合がよく、登場から一年を待たずして一世をふうした。

 業が推しているVTuberは、『星ヶ丘ハイスクール』所属のかなえというアイドルだ。

 乃亜の雑談配信におけるてんしんらんまんなトークと、歌を歌うときの力強い歌唱力のギャップにれ込んだ業は、はじめて彼女とYouTubeで出会った年の夏からファンとなり、推し事に熱中するようになった。

 以来、業は夢叶乃亜のYouTubeチャンネルで高額なメンバーシップ会員となり、配信ではたんまりとスーパーチャット──所謂いわゆる、投げ銭を繰り返している。ほかにもPixivFANBOXの支援やBoothの有料コンテンツ課金は当たり前。さらに、ファンの繋がりを大切にしたいという乃亜のおもいを受け、非公式ファンクラブを立ち上げて交流の場をつくることにも貢献していた。言うまでもなく、業は同担歓迎だった。

 たった数ヶ月でこれほどの熱量を一人のVTuberに捧げる男は、かいわいでも珍しかった。

 苅部業はカルゴと名乗り、『ノア友』──夢叶乃亜のファンネームだが、その界隈からグループの垣根を越えたファンの間でも頭角を現わし、一目を置かれる存在となっていた。

 そんなカルゴの正体に対して、界隈では諸説ふんぷんの憶測が飛び交っている。

 大企業の御曹司ではないか。石油王ではないか。そもそも人間ではないのではないか。はたまた複数人で構成された闇組織ではないかという説まで飛び交う始末。

 業はそれほどまでに金も時間も夢叶乃亜という存在に費やしていた。

「あぁ……」業は電車を降り、乃亜公式グッズタオルで汗を拭う。「今日ほど伝説にふさわしい日はない」

 だるような東京の晩夏。見上げると、しがさんさんと照りつけていた。

 JR池袋駅、やまのせんの五番線ホーム。蒸し返すアスファルト。架線の隙間からのぞく青空にこだまするせみの声──。

 よい、夢叶乃亜のファーストソロライブが予定されていた。

 このソロライブというのも、クラウドファンディングで勝ち得たものだ。

 ファンの支援で成立した推し活の集大成といってもいい。業は乃亜グッズを身にまとい、いざ頂上決戦に挑む武将がごとき闘気を宿していた。

 今日は推しへの愛を証明する絶好の機会。貯金もすべて使い果たすつもりだ。

 とどのつまり苅部業のような人間は、バイトにせよライブにせよ、誰かの養分になるほかない。業は誇らしげに胸を張って改札をくぐった。


 業はライブ会場に一番乗りで到着した。

 池袋サンシャイン通りの街灯と、いまなお残された電話ボックスのはざを待ち合わせ場所として、あらかじめ非公式のDiscordファンサーバーで仲間に呼びかけていた。

 夕刻だがまだ日は高く、蝉の声もけたたましく大合唱を続けている。

 このあと、ライブ会場では煮えたぎるような熱気の中、蝉と入れ替わるようにしてノア友がコールを重ね合わせることになるのだろう。それを想像すると、一夏の一大イベントに力尽きるまで求愛をかなでるノア友もまた、蝉と変わらぬ存在に思えた。

「まぁ、おれの乃亜ちゃんへの愛は一生涯続くがな……」業は哀れむように言う。

 夢叶乃亜とのきずなは永遠だ。一夏で終わるものではとうていない。これから始まる夢のひとときに妄想を膨らませる業──。

 ふと、何者かの視線を感じて業は振り返った。

 通りに立ち並ぶ店の間には等間隔で植木がこころもとなく、ぽつねんと生えているのだが、そのか細い木に寄りかかるれんな少女がいた。

 彼女はじっとこちらを見ていた。

 目が合うと、とたんに余裕のない顔つきで業のもとへ迫ってくる。

 近づくにつれ、少女のあまりにもえんれいな姿がはっきりと見え、業はめいもくした。

 肩にかかる絹糸のような淡い金髪。くりっとした愛くるしいエメラルドグリーンの瞳。鼻筋の通った端整な顔立ちだった。外国人か。服装はしょうしゃそのもので、ミニフレアスカートと淡いベージュのノースリーブニット。これでもかと清涼感を漂わせる夏コーデ。極めつけに、幼さを強調する革製の赤いリュックまで背負っている。

 なるほど。童貞を殺すには十分な殺傷力を秘めた装備だ。

 業は接近されるまでの五秒と少しの間、その少女が向かう方向にたまたま業がいただけであることを願った。だが、少女は業に寄りかかるように身を寄せ、事もあろうに、指先で腕の皮をつまんできたのだ。

 少女は不安げな上目遣いのまま、顔を上げる。

「ひ……」業は声が出ない。美人局つつもたせか。そう疑った。

 間近で見ると、やはり西洋の血が入っているようだ。少女の瞳のこうさいは淡く、顔のおうとつもはっきりしている。

「……か、カルゴさん……ですよね?」

 少女は吐息を乱し、そう尋ねた。妙につやのある声だ。

「もしかして、ノア友か……?」業が聞き返す。

 その妖精めいた雰囲気に目を奪われて見過ごしていたものの、少女のリュックに目を向けると、所狭しと乃亜の缶バッジが留められていた。赤を基調としたリュックも乃亜への愛を感じる。まぎれもなくノア友だ。

「わ、わたし、ミーナです」少女が不安げに名乗る。

「え? ──え、マジか」

 記憶を辿たどるまでもなく、その名に聞き覚えがあった。

 ミーナは以前から交流のあるノア友だ。業が驚いたのは別の理由。SNSだけでは中の人の素性までは想像の域を出ないが、ミーナのTwitterは、アイコンが漆黒のカラスだったり、淡々としたツイートだったりと、どこか得体の知れなさがあった。

「見違えたな……。てっきりミーナさんってドぎついこわもてのおっさんかと思ってた。普段から素っ気ない感じだったし」

 照れて視線をそらす業。ミーナもやや顔をほころばせる。

「えへへ。わたし、目立つのが嫌いなので」

 十分に目立っているが、と業はひそかにツッコミを入れる。

「そのわりにその装備か。よろしくないな」

「えっ? そ、そうですかっ。すごく悩んで、雑誌とかも参考にしたんですけど」

 実際、その服装を見れば一目瞭然だ。いかにもファッション雑誌から流行を取り入れたという印象。アイドルのライブにふさわしい服装がわからなかったと見える。

 顔やスタイルという武器を持つミーナのような少女なら、着飾らないナチュラルスタイルがよく似合う。いっそ白シャツと青ジーンズでいい。とくに、こういう場では。

 業は得意げに言う。

「今日は何の日だ?」

 唐突な業の問いにミーナは戸惑いつつ答える。

「えっと、乃亜ちゃんのファーストソロライブの日ですっ」

「そう。ライブだ。ノア友が一堂に会し、燃え尽きるまで乃亜ちゃんにラブコールを送る日。推し活の集大成といってもいい。つまり今宵ふさわしい装備とは──」

 業はばさりとパーカーをひるがえした。

 さっそうと脱ぎ捨てられたパーカーが風を起こし、ミーナの絹糸の髪をでる。

 封印を解かれた業のシャツには、見つけたファンを導かんばかりに手を差し伸べる、夢叶乃亜がプリントされている。腕には乃亜のカラーである赤の星ヶ丘ハイスクール腕章。腰のベルトから垂れるアクリルキーホルダーをアクセントに、首に巻くタオルからはマイクを握る乃亜がほほんでいた。

 そこにいるのはもはやカルゴではない。ノア友の概念にして、そのごん

 今宵は夢叶乃亜しか勝たんのだ。

「これこそが──現場に臨む戦士の装備だ」

 交差させたサイリウムが赤くにじみ、隙間から業のそうぼうが覗いていた。決まった、とばかりに業はご満悦の体で微笑む。

 ミーナは目をしばたかせ、しばらく放心していた。はたには、なる少女が異文化部族の珍妙な舞いに当惑したように見える。しかし、彼女もまたノア友の一人。

「わぁ〜!」ミーナがぱちぱちと拍手を送る。

「どうだ? このフル装備」

「すごいすごーい。……うんっ。安心しました」

 ミーナが微笑む。業は〝安心〟をしゃくしきれず眉根を寄せた。「安心?」

「あ、その……カルゴさんってどんな人かわからなかったので。でも会ってみて、思ってたよりずっとい人だなってわかって、それがうれしくて」

「ミーナさんも、ネットよりずっとしゃべりやすいよ」

「ミーナでいいですよ」

「急に呼びタメっていうのもな」

「でもとしも近そうだな〜って。同い年だったりして?」

 ミーナも高校生だろうか。あえて歳はかなかった。ろうにゃくなんにょ、人種を問わないVTuberファンの集まりだ。年齢を気にするなど無粋というもの。

 それに主役はごうでもミーナでもない。夢叶乃亜だ。この笑顔のかわいい異国の美少女に業もにわかにれていたが、本命がいることを忘れていなかった。

「ほら」

 業はサイリウムを投げ渡す。

「わっ」辿たどたどしく受け取るミーナ。「くれるんですか?」

「それはノア友の誘導灯! 早く来たんだから手伝ってくれ」言って業はもう一本のサイリウムを機敏に振り回し、会場誘導係以上の働きぶりを発揮しはじめた。

 ノア友が通行人の邪魔にならぬよう、道幅を確保するのだ。

「実在したんだ……」

 ミーナはそんな業にまた、目元をほころばせる。

 だが、いざサイリウムで他人を導けと言われても、こんな奇妙な行動があるだろうか。

 ミーナは目立つことをおそれ、ただ下を向く。歩行者から視線を集める前に、早くサイリウムが消えてくれるのを願うしかなかった。


 開場待ちのノア友を一区画に集め終え、業はノア友との交流に興じていた。

 相変わらず、ミーナと名乗る異国の少女は所在なさげに業のそばから離れず、ただ業の腕の皮をつまんでいるだけだった。ほかのノア友たちも、そのおかしな存在をカルゴという人外に連れ添う無口な精霊だと無理に認識し、触れずにいてくれた。

 業は会場沿いの歩道の反対側でじっとたたずむ、野球帽の男に目を留めた。

 中肉中背の中年男性。その手元のトートバッグを見落とすわけがない。かなえの絵柄がプリントされている。業は率先して声をかけた。

「なにしてるんですか? ノア友の方ですよね?」

「え、ええ……」野球帽の男はハスキーな声で答えた。声に聞き覚えがある。

「だったら戦友だ。ほら、こっち来てくださいよ」

 業には、ファンのつながりを大事にするという信念があった。

 それは夢叶乃亜自身が望んでいることで、YouTubeの雑談配信でも本人がファンの交流を嬉しがる様子も見せていた。

 業は野球帽の男を、一区画につくったノア友の輪に入れ、自己紹介を促す。

「自分は……キャップンです」

 キャップンは、乃亜の活動初期から推している古参の一人だった。

 推し始めた時期は業とほぼ同じ。だから、ほかのファンより親近感を覚えている。

「やっぱりキャップンさんか。声ですぐわかったよ」業は親しげに言う。

「カルゴさん……。その、ありがとうございます」

 唐突にキャップンは言った。その瞳は所在なさげだが、機会を見失わないよう、まず始めにそう伝えようという意志を感じさせた。

「な、なんのことですか?」

「いえ、ノア友との交流の件。自分は最近毎日が楽しくて、乃亜ちゃんと出会えたことをもっと感謝するようになりました。……本当にありがとう」

 せきりょう感をただよわせる男が、とたんに頭を下げる。業は驚いて手を振った。

「推し活の一環でやってるだけですから! 感謝はおれじゃなくて、乃亜ちゃんに伝えてください。それに……なんかすみません。おれじゃ至らないこともあって、キャップンさんに頼ることもありますし」

 業が取り繕うように言い返した。すると、意を決してミーナが割って入る。

「実際、カルゴさんはすごいですよっ」ノア友の視線が集まり、ミーナはひるむ。蚊の鳴くような声が続いた。「わ、わたしも、カルゴさんが企画したイベントで乃亜ちゃんを知った口ですし……」

 キャップンがそれを受けて続けた。

「そうですよ。きっとカルゴさんの活動で乃亜ちゃんを知った人も多いでしょう。星ヶ丘の中でも乃亜ちゃんが一番人気なのは、カルゴさんの貢献が大きいはずです」

「ははは……それはファンみょうに尽きるというか……」

 業は満更でもなく、頬を赤らめて身を引いた。街灯の柱が背に当たり、それ以上の後退を許さない。ノア友たちの好意的な視線に挟まれる。

 業は人知れず、プレッシャーを感じていた。

 穏やかで温かいと評判だったVTuberかいわいも、昨今では様々な価値観を持つリスナーが増え、VTuber本人のみならず、ファン同士がトラブルを起こして炎上するケースがある。

 ファンもそれを機に推し事をやめる〝推し卒〟、ほかのVTuberの応援にくらえする〝推し変〟という現象も起きる。リスナー同士のトラブル防止には自治が求められるのだ。

 ノア友の安寧は、カルゴにかかっているといっても過言ではなかった。

 開場も近づき、会場誘導係によって待機列ができ始めた頃、業もそろそろ並ぼうと入り口に移動し始めた。

「おまえがカルゴか?」そこで突然、痩せぎすで眼鏡の男に話しかけられる。

「どちらさんですか?」

「俺はネクロだ。ネクロまん

「ああっ──」ネクロ万酢は、ある意味、カルゴと肩を並べて有名なノア友の一人だ。

 違いはファンの交流に消極的という点。所謂いわゆる、同担拒否である。乃亜のようなVTuberはファンの繋がりを喜ぶため、同担拒否は珍しい。業は丁寧に挨拶しようと手を差し出す。

「知ってますよ。どうも初めまして」

 だが、その手はざんにもはじかれた。

「あんまり調子に乗るなよ。目立ったファンの行動に迷惑するVTuberもいるんだ。くれぐれも乃亜ちゃんに迷惑かけんじゃねぇ。わかったか」

 ネクロはそう言い放ち、颯爽と会場に入っていく。

 業の腕の皮をつまんで離さないミーナが心配そうに見上げていた。しかし、この少女はどうしてひとの腕の皮をつまんで離さないのだろう。

「大丈夫ですか……?」

「……乃亜ちゃんは、ライブに来てくれたノア友全員に今日を楽しんでほしいって思ってるはずだ。あの人も、その一人だよ」

「優しいんですね。カルゴさんの行動が迷惑だと思う人なんていませんよ」

 ミーナはそう励ますが、業の胸中では、いまかけられた批判めいた言葉がとぐろを巻いていた。業の振る舞いに眉をひそめるノア友は意外と多いのかもしれない。

「大丈夫です。カルゴさんは周囲も認めるトップオタなんですから……! それにカルゴさんがライブを楽しめなかったら、悲しむのは乃亜ちゃんですよ」

「そうだな」業は得心してうなずく。「確かにその通りだ。今夜は楽しもう!」

 ──我が推し事人生に一片の悔いなし。業は青春をささげるためにファーストソロライブにやって来たのだ。他人のやっかみを気をかけている暇はない。

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