#27 燃え上がる曜子の瞳

 5人で黙々とビールやお茶を飲み、おつまみを取り合う。殺伐とした雰囲気の中、店内に流れるBGMだけが、辛うじてクリスマスらしさを感じさせた。

 ロックアレンジの「ジングル・ベル」など、どうもセンスのない選曲だったが、こういう店だから仕方ない。


 隣りのテーブルで爆笑が起きた。背広を着た男たちだ。テーブルの上には、唐揚げや餃子を盛った不吉な皿がずらり並んでいた。あれを平気で食べられるのなら、代わりに粘土細工を置いておいても大丈夫そうだが。

「それはいかんねえ、係長」

 課長クラスなのだろうと思われる、脂ぎった男が話している声が聞こえてくる。酔っているのか地声なのか、大変な大声だ。

「女房にはもっとサービスしてやらんと」

「いやはやどうも、お恥ずかしい限りです」

「今さらそんな気にゃならんだろうが、敵も一応女なわけだ。たまには優しくしてやらんといかんぞ」

「まったく課長のおっしゃる通りで。一度、お宅に見学に伺わせてもらいたいぐらいでして」

 揉み手せんばかりの卑屈な笑顔を浮かべ、係長が言う。


「何なら、わしに嫁さん一晩預けてみるか。すっかり上機嫌で帰ってくると思うぞ、がははは」

 ドヤ顔の課長は、とんでもないことを言い出した。

「では、私はお側で見学を」

 係長はおどけた口調で課長にすり寄る。

「馬鹿言うな。その晩は、君は自宅謹慎だ」

「えええええっ、謹慎」

 全員が再び爆笑の渦の底に引きずり込まれる。そして泥粘土のような料理を、さもうまそうに貪り喰らう。ゾンビの如く感性の死に絶えた、ジャパニーズ・ビジネスマンという奴なのだろう。


「おい」

 大沢さんが低い声で言った。

「隣り、なんかすごい会話してないか」

「昭和セクハラ大全集って感じですね」

 僕は笑った。曜子さんは笑わない。

「就職したら、ああいう上司は絶対に回避したいですけどね。どうせ仕事も駄目で、朝から晩までセクハラパワハラばっかりやってるんでしょうし」

「俺の回りだって、あんなのばかりだぞ。休みと言えば競馬かパチンコ。本なんかまず読まない。読むのはせいぜいエロ雑誌だ」

 大沢さんは盛んに庶民の娯楽を攻撃する。

「何を言うんですか! 競馬は貴族の遊びですよ。何て言っても、農林水産省推薦のギャンブルです」

 白滝が厳重に抗議する。

「馬はかわいいよねえ」

 阿倍野がそう言って、目を細める。

「馬肉もおいしいし」


 一郎たちの陰口にも気づかず、おやじたちのセクハラ大会はさらなる盛り上がりを見せているようだった。今度は部下であるOLの品定めを始めたらしく、本人に聞かれたら間違いなく訴訟ものの内容である。

「そう言えば君、ハナザワ君とはどうなってるんだね?」

 今度は例の係長が尊大な口調で、まだ二十代前半と思える男性社員に問いかける。

「つきあってるらしいじゃないか。もう、どの辺まで進んでるんだね」

「いいですな、若い者同士」

 困惑の表情を浮かべる若手社員の顔を見ながら、別のおっさんがにやにや笑う。

「ハナザワか。あいつは顔はまずいが、腰のくびれがたまらん。一度わしが」

 課長がそこまで言ったとき、がたんという大きな音が響いた。曜子さんが、椅子を蹴飛ばして立ち上がったのだ。

 怒りの表情をあらわにした彼女は、まるで全身を青白い炎に包まれているようだった。


 彼女はメニューを手に取ると、天に向かって大きく振りかぶった。ぱしん、という乾いた音がフロアに響く。課長のバーコード頭に、曜子さんがメニューを叩きつけたのだ。あまりのことに、その場の全員が凍り付いた。

「貴様ら全員死ね。今すぐ、ここで死ね」

 追い討ちをかけるように、曜子さんは低い声で死を宣告した。


「お前、何てことを」

 真っ青になった大沢が、辛うじて口を開く。

「名刺持ってなきゃ何もできない癖しやがって、何様のつもりだ、お前ら!」

 曜子さんが一喝する。

 その迫力に恐れをなしたのか、おっさんグループは「お嬢さんにご不快な思いをさせて申し訳ない」と平謝りし始めた。「お嬢さん」かどうかはともかく、名刺の通じない相手に弱いのはなるほど事実のようだ。


 とにかく、場を収めるために大沢さんと僕は謝罪し、みんなで曜子さんを連れて店の外へ脱出した。

「何で止めるんですか」

 曜子さんは大沢さんに正義の怒りをぶつける。

「ああいうの許せないんですよ、わたし。女を何だと思ってるんだ。一発じゃ足りない」

「いや、分かるよ。良く分かるけど、知らない課長を叩いちゃまずいよ」

 大沢さんがなだめる。

「さっきも言いましたが、僕らだって不愉快ですよ、ああいう奴らは」

 横から、僕も口を出す。

「だけど、一般社会でああいう暴行はやはり」

 次の瞬間、僕は激痛と共に、路上に転がっていた。曜子さんの回し蹴りをまともに喰らったのだ。


「痛い、痛い、助けて」

 僕は悲鳴を上げた。

「暴行ってのはこういうのを言うのよ。何が一般社会よ。分かったような口聞いてんじゃないわよ」

「すみません、私が心得違いをしておりました」

 地べたにはいつくばって、僕はひたすら謝った。全く、とんでもないクリスマスだ。


 とにかくカラオケでも行こうよと、四人がかりで曜子さんをなだめながら街を歩き出した。アマチュアバンドのボーカルをやっていたこともある彼女は、歌うのが大好きなのである。機嫌も、少し直ったようだった。

 外世界から遮断されたようなあの店の中とは違い、さすがに今日はそこら中が人だらけだ。イルミネーションが施された通りも公園も、人で埋め尽くされている。違法駐車されたベンツのボンネットに、勝手に座ってる連中までいる。

 そんなカオス状態の地上を、波丘市内で唯一の超高層ビルが、赤いランプをいくつも点滅させながら超然と見下ろしていた。

(#28「彼女の前に立ちはだかるもの」に続く)

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