#13 ピンボールマシンの美女
まずは配当の高い一点張りで勝負してみる。38通りある数字のどれか一つに賭けるわけだが、もちろん当たる確率は低い。確率が低いからこそ配当が高いのである。
僕が選んだのは赤の「7」だったが、ボールはそんなのあっさり無視して黒の「31」の場所に落下した。
それなら二点張りだ、三点張りだと確率を上げ、配当を下げながら張って行く。しかしそれでもちっとも当たらない。ついには「偶数」に残ったコインの大半を賭けた。これならほぼ二分の一の割合で当たるはずだ。しかしボールはぐるぐると回ったあげく、無情にも「3」に飛び込んだ。
結局、あっと言う間にコインのほとんどを失ってしまった僕は、憮然たる顔をして残ったわずかなコインをポケットに突っ込み、再び階下へと戻った。
確率を考えれば誰でも分かる。こんなもの、勝てるはずがない。
その時は、そう思ったのだった。
「白滝はどうだ?」
一階に戻って、F1レース風のゲームで遊んでいる阿倍野に、声を掛ける。
「ああ、一郎さん」
画面から目を離してこちらを向いた彼の背後で車が壁に激突し、爆音が鳴り響く。
「多分、まだ麻雀を……いや、違うわ。あいつ何してるんや」
不審げな顔になった阿倍野の見ている方向を、僕も振り返った。
フロアの奥を目指して、白滝がふらふらと歩いて行く。その進路の先には、一人の女性の姿があった。
フロアの一番奥は、ピンボールマシンが並ぶコーナーになっている。そのうちの一台で、我々よりも少々歳上と思える雰囲気の女性が遊んでいた。ストレートの黒髪に、ほっそりとした体の線がはっきりと出た黒いワンピースを着ている。
彼女は若干お尻を後ろに突き出すようにして、一台のピンボールマシンに向かい、左右のフリッパーボタンを激しく叩いていた。そして、そのお尻に向かって歩いていく男こそ、我らが問題児・白滝であった。
「あいつ、行く気か、あの
「行くでしょう」
僕と阿倍野はゲーム機の陰に体を隠し、固唾を呑みつつ、ことの成り行きを見守った。騒ぎになれば出て行かなければならないが、どんな展開になるのか、正直なところ興味深い。
彼女がプレイしているピンボールマシンの、スコアボードのイルミネーションが明滅し、派手な電子音が鳴り響いた。いかにも通りすがりといった風に、白滝はそのフィールドをひょいとのぞき込む。
そして一言二言、彼女に何か話しかけた。
横顔から判断する限り、彼女はなかなかの美人らしかったが、その表情は戸惑いに曇っていた。何かを否定するように首を強く横に振っている。しかし白滝はなおも懸命に、何か言い募っている。女はその場を立ち去ろうとする。白滝が腕をつかむ。女が振り離そうともがく。白滝が女にしがみつく。
「まずい」
「止めんと」
僕らはあわてふためいて現場に駆けつけ、白滝を後ろから羽交い締めにした。
「この馬鹿、何やってるんだ」
「これ以上やったら刑法犯やで」
「離してくれ!」
白滝が叫ぶ。
「この人こそ、やっと見つけた最後の女神、南極のオーロラ姫なんだ」
彼女は腰に手を当てて、そんな我々をにらみつけていた。色白で、くっきりと気の強そうな表情をしている。綺麗な女性である。しかし、歳はやはり少々僕らより上だろう。
「君たち、この子の友達なんだったら、こんな状態で放っておいちゃだめよ。これじゃ酔っ払いセクハラ親父と変わらないよ」
「すみません」
阿倍野が赤くなりながら頭を下げる。
「もうだいぶ酔いも醒めたかと思ってたんですけど」
「ちっとも醒めてないわよ。こんなおばさんに『あなたの瞳をいつまでも見つめていたい』なんて、素面で言えるわけないじゃないの。ふふ」
笑ったよ、おい。満更でもないんじゃないか、と僕は密かに思った。
「おばさんなもんか、おばさんじゃない、君はエーゲ海の海洋深層水みたいに美しい」
床にしゃがみこんだ白滝が、また意味不明なことを叫んだ。
「ほら、酔っ払いだ」
彼女は嬉しそうに笑う。
「どうせ君たち、どこかに隠れて面白がって見てたんでしょ。だから、この子の様子を見てすぐに飛んできたんでしょ?」
全くその通りだった。
「それは何というかあの、事件が起こりそうな予感が、白滝くんは色々あかんので」
彼女にじっと見つめられて、阿倍野はしどろもどろになっている。
「あら、予感なら私だって自信あるのよ」
彼女はそう言ってピンボール機に寄りかかり、長い髪を掻き上げた。何だか良い香りがする。
顔を上気させた阿倍野は「ですよね」とかいい加減な返答をしながら、彼女の脚を中心にふらふらと視線をさまよわせていた。このままでは、こいつも間違いなくお姉さんの色香にやられる。
「とにかく、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
二人の間に割り込むように、僕は深々と頭を下げた。
それから床の上で「その豊富なミネラルが」などとつぶやく白滝を無理やり引きずり起こし、阿倍野を蹴りつけるように追い立てて、その場を離れた。阿倍野は未練がましく何度も振り返っては頭を下げた。
彼女はしばらくこちらを見ていたが、肩をすくめてピンボールに戻った。
「もうちょっとで落とせたはずなんですよ、彼女。何で邪魔するんですか」
白滝が文句を言った。
「一人でこんなところでピンボールをしてるなんて、誘ってくれって言ってるみたいなもんです」
そう言いながら、阿倍野は露骨にうらやましげな表情をしていた。
(#14「何という無駄な奇跡」に続く)
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