エピソード2 使いみちのない奇跡

#11 繰り返される「平成最悪の飲み会」

 また失恋したらしい。

 バイト仲間で集まっての恒例の飲み会。今日はおとなしく飲んでいる、と思っていた白滝しらたきが飲んでいたのは、実はやけ酒だった。

 いつの間にかリミットを突破していたらしいことに、みんなが気づいた時は手遅れだった。振られた女の子の名前を叫びながら、奴は座敷を転げ回った。地獄絵図である。


 二回生のこいつが、自分の飲める限界を認識していないわけもなく、これは意図的なテロだろうと思われた。しかし、やがて動かなくなって、死体のように横たわってしまったこいつを、僕としても放り出して帰る訳には行かなかった。こんなやつでも一応は、大学の後輩なのである。


 数人掛かりで担ぎ上げるようにして最終バスに乗せ、僕と阿倍野が付き添って、奴のアパートに近い町外れのバス停で降ろした。この厄介な男を道端に蹴転がし、アスファルトに座り込む。

 通り雨があったのか、地面は少し湿っていたが、そんなことはもうどうでも良かった。阿倍野も、停留所横のベンチでへたっている。そんな僕らを、道端の水銀灯が青白く照らしていた。


「みさこ!」

 白滝が、わめいた。

「逢いたいよお!」

「『みさき』ちゃんじゃなかったのか?」

 一緒にこいつを担いできた阿倍野あべのに、僕は訊ねる。

 白滝はついこの前にも失恋して、「平成最悪の飲み会」と呼ばれる、同じような騒ぎを起こしたばかりだった。あの時は「みさき!」と叫んでいたはずなのだが。


「別の子ですわ。最初が名前が似てるとか言うて喜んでましたけど。結局振られるんやから、名前なんかどうでもええと思いますけどね」

 精魂尽き果てましたという顔をして、阿倍野が答える。

「今度はどんな子なんだ? その『みさこ』ちゃんてのは」

「かわいい子ですよ。白滝君のゼミじゃアイドルらしいです」

「そりゃまた、難しい相手を好きになったもんだな」

 僕は改めて白滝に目を遣る。メタルフレームの眼鏡を鼻のてっぺんに引っ掛け、ぼさぼさの頭をした彼は、精一杯好意的に表現しても、気のいいお調子者である。とてもじゃないが、アイドルの相手は勤まらないだろう。


 白滝が心から期待していた、波州大の竹中との麻雀の再勝負は、猪熊の圧勝に終わっていた。

 テンピン号は無事に守られ、白滝は竹中の妹を紹介してもらえる、はずだった。ところが、女子高生であるその妹は「絶対に嫌だ、死ねよクソ兄貴」と怒り狂ったらしく、残念ながらその話はなかったことになった。

 竹中は土下座して侘びたが、そんなことしてもらっても何の足しにもならない。白滝の落胆ぶりはすさまじく、その心の隙間を埋めるために、またおかしな方向へと暴走したらしかった。


「しかし、いつまでもこんなところにいる訳にもいかん。とりあえず、どこかこの辺りで、時間つぶせそうなところとかないか?」

「ちょっと離れてますけど、ゲームセンターやったらありますよ。夜中もやってますわ。前に白滝君のとこ遊びに来た時、行ったことあります」

「ゲームセンターなら元々やかましいから、こいつが多少騒いでも大丈夫かもしれん。ここからどれくらいで行ける?」

「10分くらいです、普通に歩けば」

「普通で10分か……」

 僕は、マンホールの蓋に頭を載せてぐったりしている白滝に目を遣る。こいつがそんなに歩けるだろうか。


 しかし、他にあてになりそうな場所もなかった。見渡す限り、県道沿いに並ぶのは小さな商店や民家がほとんどで、そのすべてが戸やシャッターを閉ざしている。彼方に明るく輝くのはサラ金の無人契約機らしく、さすがにそんな所へ行っても仕方ない。

「水が聞こえる。いつか、君と行った海」

 マンホール上の白滝がつぶやく。

「そりゃ海じゃない、下水の流れる音だ」

 そもそも海なんか一緒に行ったことないはずだが、いちいち突っ込んでいてはきりがない。


「なんか、泣いてませんか? 白滝君」

 そう言われて顔をのぞき込んでみると、閉ざされたまぶたの端には確かに涙がにじんでいるようだった。

「こうまで弱られると、哀れな気もしてくるな」

 僕はため息をつく。

「振られ続けですからね」

「相手の選び方が悪いんじゃないか、高望みし過ぎだ」

 僕がそう言うと、路上の白滝が不意に目を開いた。真面目な顔で、こちらを見る。

「でも、僕は後悔なんかしてませんよ。妥協して、ほんとに好きな娘以外と付き合えたとしたって、それが何になるんです?」

「そりゃそうかも知れないけど。というか、突然まともになるなよ、お前」


「これ飲む?」

 阿倍野がそう言って、ショルダーバッグから取り出した三ツ矢サイダーのペットボトルを、白滝に差し出す。

「飲む」

 白滝はそう言って起き上がり、ボトルのスクリューキャップを開いて、ごくごくと炭酸水を飲んだ。

「どうだ、とりあえず歩けるか?」

「歩けなくても、飛べるはずです。僕の背中には、翼があります。エンジンは低騒音のターボファンジェットで」

「駄目だ。まだおかしい」

 僕はがっくりと肩を落とした。

「はは、冗談ですよ」

 白滝は乾いた声で笑うと、立ち上がってズボンの裾を払った。

「大丈夫です。もう何がどうだって、どうでもいいんですから。世界は終わったんですよ」


 ちっとも大丈夫そうではなかったので、とりあえずはやはり、阿倍野の言っていたゲームセンターに向かうことにした。

「いいですね、ゲームセンター。きっと女の子が沢山いますよ!」

 希望が生まれたせいか、白滝はそう言ってどうにか歩き始める。

「ナンパでもするつもりなのかね、こいつは」

「さっきよりは前向きな方向やし、ええんとちゃいますかね」

 そんなことを言いながら、僕ら二人も白滝を追って歩き始めた。


(#12「深夜のゲームセンターへ。『準合法』の出会いとは」に続く)

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