第20話

 お店の人からたくさんの説明を受けたが、草子は電話をかける以外の操作が一つも覚えられなかった。


 草子は、公園のベンチに腰掛け電話をかけ始めた。


 電話番号の最後に一から順番に入れていき、六のところでイボ蛙に繋がった。


「もしもし」


 イボ蛙の声だ。


 草子は嫌悪感で全身が泡立つ感触に、電話を切りそうになってしまったが、ジローを思い出しなんとか踏みとどまった。


「……もしもし」


「ああ、草子ちゃん。松野だけど」


 そうだ、この男は松野という名だった。嬉しそうな松野の声に、草子は拍子抜けした。あんな逃げ方をしたはずなのに、この男は昔から仲のいい友達みたいな声を出して話してくる。


 危険だ。


 草子は、電話を切ろうとした。


「この間の事はもういいから」


 切ろうとした携帯の中から、松野の声が響いた。


「……すみません」


「僕、第一印象悪いタイプだからね。誤解もうけやすいし」


「そうなんですか」


「だから慣れてるから気にしないで。で、今日は何の用事だったの」


「実は……家を探してて」


「あれ、前は男を探してるって」


 草子が黙り込むと、


「見つかったんだね」


 楽しげに松野は笑った。


「で、その彼と住む家を探してる」


「はい」


「で、お金を貸してほしいんだ」


 何でわかったのだ。草子は驚きを隠せなかった。


「今、何でわかったんだって驚いたでしょ」


「はい」


「だって、それ以外に僕に電話をかけてくる理由なんてないじゃない。あなたには」


 このイボ蛙は、意外と賢いのかもしれないと、草子は少し見る目を変えた。


「いいよ。貸してあげる」


 こんなに簡単に話が進んでもいいのだろうか。


 草子は逆に不安に陥った。何かとんでもない見返りを期待されているのではないか。


 だが、自分から取れる見返りなど何もないという事を、草子はすぐに気づいた。


 それから、話はスルスルと氷の上を滑るようにまとまり、草子はお金を借りに松野の会社に行く事になった。




 松野の会社は驚く程、大きかった。


 ビルの前で、首が折れるのではないかというぐらい反り返り、草子はビルの最上階を見上げていた。


 ロビーに入るとすぐ受付があり、話かけるのが気後れするぐらいの美しい女性二人が座っていた。


 床もピカピカで、毎日クリーニングに出しているのかと思うぐらい皺のないワイシャツを着ている男性達が、ただ前だけを向いて歩いている場所。


 夫もこういう場所で働いているのかと、一瞬夫の事が頭をよぎったが、今はお金を借りなければという使命を思い出し、草子は受付の前に立った。


 受付の髪の長い方の女性が、慣れた手つきで内線をかけ、三階にどうぞと声を発した。


 こんなに高いビルなのに、松野は三階にいるんだと、草子は少し心が軽くなった。


 エレベーターで三階に上がり、ドアが開いておりようとしたら、目の前に松野が立っていたので、草子は声をあげそうになってしまった。


「来たね」


松野は楽しそうに笑い、草子を部屋まで案内してくれた。


「今日はすみません」


 謝る草子に、松野は黙って封筒を差しだしてきた。


 草子が中を見ると、封筒の中にはたくさんの一万円札が入っていた。


「こんなに」


「いるでしょ。これぐらいは」


「助かります」


「返せる時でいいよ」


「ありがとうございます。出来るだけ早く返します」


 草子は深々と頭を下げた。


 少しの沈黙の後に、松野が、


「彼氏が死んでからでいいよ」



 (つづく)

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