第14話
草子は深い海の底に沈んだように眠っていた。海の底は心地よく、草子を包んでくれるように優しかった。
トントントン。
草子はリズム良く叩かれるドアの音で目を覚ました。
一瞬、夫が探しにきたのかと思ったが、すぐにそれだけはないと確信する。では、先程のイボ蛙なのか、いや、それもないなと草子は落ち着いた気持ちで、鍵を外した。
ドアの向こうには、高校生ぐらいに見えるド派手なTシャツを着た女の子が立っていた。
「えっと」
「三百円貸して」
頼んでいるように聞こえない言い方で、その女の子は草子に手を差しだしてきた。
草子は、お釣りの小銭から三百円を取り、女の子に素直に渡した。
「サンキュー」
「どういたしまして」
「おばさん、一人?」
「おばさん?」
「おばさんは嫌か」
「別にいいけど」
「じゃあ名前教えて」
「草子」
「どんな漢字」
「草の子供で、草子」
「ふーん。あたしは百花。百の花って書くんだ」
「可愛い名前ね」
「おばさんは草で、あたしは花か」
何か楽しい発見があったように、百花はにっこりと笑った。
草子は百花を見つめながら肌が綺麗だなと思った。思わず自分の手の皮膚と見比べてしまった。
「草子さん、いくつ?」
「39」
「へー。けっこういってるね。あたしは17」
若い。草子は自分に子供がいたら、もしかしたらこの子ぐらいになっていたかもしれなかったなと、複雑な気持ちで百花を見つめた。
それから、百花はしょっちゅう草子の部屋のドアをノックしにきた。
ドアを開けると、スルっと部屋の中に入り込み、何を喋るでもなく、草子の横で静かに眠っていた。
百花を起こさないようにと、草子はなるべく物音をたてないように気を配った。
百花を愛おしく感じている自分に驚いた。そして草子は、自分は子供が欲しかったんだと寂しく気づいた。
部屋にあるパソコンの使い方を百花から教わり、草子はネットを見たりする事が出来るようになった。
ある日、田中と検索してみた。よくある名前なので、膨大な量の田中が見つかった。だが、田中と名乗ったあの男はどこにも見つからなかった。
それでもどこかにいるかもと、草子は目を凝らしてパソコンの画面を見続けた。
「誰か探してるの?」
いつの間にか起きた百花が、パソコンを覗き込みながら草子に聞いた。
「自由を探してるの」
草子が自分だけがわかっているという返事をすると、百花はしつこいぐらい事情を聞いてきた。
草子は大事なものをわけてやるように、百花にあの男の事を話した。ところどころ、モザイクをかけたようにぼかして話した。
あたしたちの物話を、17才の百花に分かってもらえるとは全く思えなかったからだ。
百花は草子の話を黙って聞いていたが、何もかもを見透かしたように、
「会いたいんだ。その男に」
わかったように言う百花に、ほんの少し苛立ちが沸き起こったが、顔には出さず、
「探してくる」
と草子は立ち上がった。
例え百花であっても、あの男の事でもう一言たりとも言葉をかけられたくなかった。草子は逃げるように、ネットカフェを飛び出していった。
しかし、飛び出したものの行く当てもなく、草子はまた歩き続けていた。
男と初めて出会った時の事を思い出しながら歩いていた。
そうだ、あの場所に行ってみよう。
(つづく)
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