人の顔を覚えるのが苦手な私でも、この方だけは覚えていましたわ!

 王宮には、私も何度か出入りしたことがある。


 貴族ならば、年に数回行われる大広間での舞踏会に参加する者は多い。私が最初にカロル様に見初められたのも、その舞踏会だった。また、一方的に婚約破棄を受けたのも。


 本日招かれた謁見の間に足を踏み入れるのは、二度目となる。前回はカロル様からの婚約の申し出を受け、承諾するためにここを訪れた。


 壁と高い天井には芸術的な金の細工が施され、豪奢なシャンデリアが煌めきながら広い室内を照らす。最奥には、真紅のベルベットで彩られた国王王妃両陛下のための玉座。


 その前まで、しずしずとした足取りで進んでいく。すると左右に控える衛兵達が小さくざわめいた。



「おお、アエスタ様だ。相変わらずお美しい……」


「いや見てみろ、背後に控える侍女達も美しいぞ」


「こんなにも美女が揃うと、圧倒されて息をするのも畏れ多いな」

「おい、一番最後のは誰だ? 随分と体格の良い男だが、しかし頭から布を被っていて人相が全くわからん。フォディーナ伯爵家の者か?」


「アエスタ様が個人で雇った護衛だそうだ。女性ばかりでは不安だったとのことで、わざとああいった格好をさせて威圧しているのだとか。確かにこれほどの美人達には、あれくらい不気味な姿の姿の大男でもついていないと、おちおち道も歩けんだろう」



 彼らのひそひそ話に聞き耳を立てながら、私はほっと息をついた。

 良かった、今のところはうまく騙せているようね。



「私も護衛役で良かったじゃないですか……何故私だけ、こんな」


「シッ、ベニーグ……じゃなくてベニコ、話す時は裏声でと言ったでしょう。声でバレたらどうするの。それに美人だって褒められてるじゃない。少しは喜んだら?」


「そうですよ、ベニコ。とても可愛いですよ、ベニコ。自信を持ってください、ベニコ」



 私とシレンティに囁かれると、ベニコもといベニーグは、紅を塗った唇を噛んで俯いた。


 男達に買ってこさせたロングヘアのカツラの内側では、屈辱で二つの耳が震えているのだろう。シレンティとお揃いのメイド用ワンピースにエプロンの内側では、尻尾も怒りで震えているに違いない。


 やぁねー、モナルク様に協力していただいてまできっちりメイクしたのに、そんな顔してたら台無しじゃなーい。どうしてベニーグだけ女装させたのかって、そんなの面白いからに決まってるじゃなーい。シレンティもノリノリでしたしー?


 モナルク様にも可愛いおリボンを付けたり、可愛いドレスを着せたりしたかったけれど、サイズの問題で諦めざるを得なかった。ベニーグの衣装ですら、肩幅やらウエスト周りやらを切り貼りしてお直ししてやっと仕上げたくらいだもの。


 それにモナルク様は、お顔も手足もピンクでモフモフしてて可愛らしいから全身隠さなくてはいけない。

 なのでなるべく大きな布を買ってきてもらい、それを頭から被って目のところにだけ穴を空けるという簡易な変装しかできなかった。


 男達には、もう一仕事していただいた。

 フォディーナ家に行って、新たな馬車を調達してもらってきたのだ。


 王宮から出発したお迎えの使者の皆々様は、既に私達がこちらに来ているとも知らずに今頃は北のモーリス領へと向かっているだろう。我々がいないと知って、その旨を王宮に伝えるため急いで戻ってきたとしてもしばらく時間がかかる。無駄足を運ばせて申し訳ないとは思うが、致し方ない。


 私の王太子殿下との再婚約の知らせを受けたフォディーナ伯爵家が、思ってもみなかった事態に混乱し、慌ててモーリス領へ迎えをやった。そのため、予定よりも早く到着してしまったので、先にご挨拶だけでも――といった旨を門兵に伝えたところ、少し待たされたものの、中へ入る許可が下りた。知らせを受けたカロル様より伝達があり、婚約の儀を予定より早めてすぐに執り行ってくれるそうだ。


 といったわけで、まんまと謁見の間にベニーグとモナルク様を連れ込むことには成功した。戦いはここからだ。


 玉座の脇にある扉から、まず最初に現れたのは――。



「アエスタ! 会いたかった……君が来るのを、ずっと待っていたんだよ!」



 従者を置き去りにする勢いで、テンション高らかに駆け寄ってきたこの殿方は……この方は…………ええと、どちら様でしたっけ?


 そっとシレンティを見ても、首を傾げるばかり。そういえば彼女は、王宮に入るのは初めてなのだっけ。



「……あなた、まさか忘れたのではないでしょうね? あの方こそがカロル・テナーク・シニストラ第一王子殿下でしょうが」



 反対側から、見兼ねたベニーグが低く囁く。


 あ、あーあーあー……あれがカロル様でいらっしゃったのね。言われてみると、こんなような感じの方、だったかも。


 にしても、と私はカロル様だという方を見つめる。

 うっすい顔してるわね……覚えられないのも無理ないわ。目は大きすぎず小さすぎず、鼻も大きすぎず小さすぎず、口も然り。肌の色は黒すぎず白すぎず、髪はくすんだゴールドで長すぎず短すぎず、体格は細すぎず太すぎず……とまあ、良く言えばバランス型、悪く言えばこれといった特徴がないという容姿でいらっしゃるもの。



「カロル様、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりでございます」



 近付いてきたので、取り敢えず定型文のご挨拶をしてみる。



「そんな畏まった言い方しないでおくれ、アエスタ。僕らはこれから夫婦となるのだ。君に似た美しい姫を抱く日を、早くも心待ちにしているんだよ」



 あ、やっぱりこの方はカロル様だわ。この我道ゴーゴー感には覚えがあるわ。



「アエスタ様、お久しぶりでございますわね」



 するとカロル様のお隣から、一人の女性が声をかけてきた。


 うわ、びっくりした。話しかけられるまで、全く存在に気付いてなかったわ。

 だってこちらはカロル様よりも顔のパーツがそれぞれ小さくて、おかげでより印象が薄いもの。なのに大仰な巻髪で輪郭をわっさりおおっているから、より顔面が埋もれていらっしゃるのよね。


 けれど、この顔この声は、カロル様以上に記憶に残っている。



「スティリア様、ごきげんよう。お久しぶりでございます」



 引き攣りそうになる頬を懸命に叱咤し、私は相手と同じ、令嬢らしい華麗なる微笑みで挨拶を返した。


 この方こそがスティリア・イムベル公爵令嬢――私を陥れて王太子殿下の婚約者の座を奪い、さらに都から遠く離れた辺境伯のもとへと追いやった張本人だ。


 その点に関しては、したくもない結婚をせずに済んだわけだし、モナルク様という最高可愛い方に出会うきっかけを作っていただけたのだから、感謝してもいい。


 でもね……フォディーナ家を没落の危機を突き落とし、おかしな噂を広めて人心を混乱させ、私だけでなくモナルク様を貶めたことは、感謝を加味したところで許せない!



「それにしても……アエスタ様は相変わらず、ですわね」



 必死に怒りをおさえている私に向けて、スティリア様が軽く眉をひそめた。



「たとえ『不測の事態』等が起こったとしても、遅れるのはもちろん、もってのほか。ですが、早く到着しすぎることも失礼に当たるとはお考えにならなかったのでしょうか? 国王陛下も王妃陛下も、今慌ただしくご支度なさっております。あなたの到着予定時刻に合わせてご多忙の中、スケジュールを組んで時間を割いてくださっていたというのに……無理に急かすような真似をして、無礼にも程がある思いませんの?」



 とまあ、いけしゃあしゃあと言う。


 ならず者を雇って怪我を負わせ、まさにその『不測の事態』を起こして遅れさせてやろうと目論んでいたくせに。


 計画が失敗し私が無事な顔を見せたことで、少しは動揺するかと思ったのに、この落ち着きっぷり……やはりこの女、ただ者ではない。


 笑顔の下に隠された凄まじい執念と憎悪を思い出すと恐怖が蘇り、震えそうになった。


 だが、負けてなるものか。今日こそ、この女をやっつけてやる!

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