憎まれることを恐れていては、大切なものを守れないのよ!

 シレンティが完全に気を失ったと確認すると、棍棒男はこちらに向かって頷いた。私に、ではなく私の背後にいる男に合図したらしい。


 すぐに口の戒めが解かれ、代わりに地べたに転がされ押さえ付けられた。

 先に戦闘力の高いシレンティを大人しくさせるために、わざとこちらに目を向けさせて油断を誘い、不意打ちしたのだろう。しかし、今のところ殺すつもりはないようだ。


 どうか今のところだけでなく、この先もそうであってほしい!



「あなた達、一体何のつもり? 私はこれでも王太子殿下の婚約者なのよ? 私に何かあれば、カロル様がお許しにならないわ!」



 地にめり込みそうなほど頭を強く押さえ込まれながらも、私は首を捩り、男達をキッと睨んだ。



「おーおー、本当に綺麗な顔してるぜ。こりゃ王太子殿下が骨抜きになるのも無理ねえ」


「あのお嬢さんじゃ、確かに敵わねえな。いくら公爵令嬢って立派な肩書きがあっても、つまんねえ顔立ちしてたもんな」



 二人の会話で、察した。

 この二人は……いや、この馬車の連中は、王家からの使者などではなかったのだ。



「そう……あなた達は、スティリア・イムベル公爵令嬢の手下、というわけね? 王宮からの迎えが来る前に、誘拐しろとでも言われたの? 婚約の挨拶を放棄して、どこかに遊びに行ったように見せかければ、ますます私の悪名は高まりますものね?」



 怖くて恐ろしくて正直震えそうになったけれど、それ以上に湧き上がる怒りの方が強くて、私は必死に強気を装った。


 ふざけるな! 誰があの女の望み通りになんてなるものか!



「そんな怖い顔しなさんな。俺達ゃ、手下でも何でもねえよ。イムベル公爵令嬢から、依頼を受けただけだ」


「そうそう、金のためならどんなことでもする、ありふれた一般市民さ」


「何がありふれた一般市民よ! 一般市民は誘拐なんて請け負わないわ!」



 固い地面で頬を削る痛みを堪え、私は叫んだ。すると棍棒男が膝を付き、顔を寄せる。



「へえ、怒った顔も美人だな。安心しろ、誘拐なんて面倒な真似しねえよ。用が済んだら、とっとと立ち去るさ」



 それから男は棍棒を置いて、胸元から何かを取り出した。無骨な指が弾くと、鋭利な刃が飛び出す。折り畳み式のナイフだ。



「しかし、もったいねえよなー。こんなに綺麗な顔を、『二目と見られないよう切り刻んでくれ』ってよー。見ろよ、怯えた顔も芸術品みたいだぜ」


「だったら、その前に楽しんでおくか? どうせ傷物になるんだ。そっちも傷物にしたって問題ねえだろ?」


「いい考えだな! 逆に、報酬を上乗せしてくれるかもしれねえぞ。あの女、この美人のせいで相当焦っていたようだし」


「ああ、俺達みてえなゴロツキにまで声を掛けてきたくらいだもんな。未来の王太子妃様の涙ぐましい努力にお応えして、サービスでもう一仕事してやろう」



 二人は何やら盛り上がっていたが、私は睨むことも忘れて震えた。


 私の顔を切り刻め、と。スティリア様は、そんな依頼をした。こんなにも多くの者を雇って。


 彼らはゴロツキだと言っていたが、恐らく裏稼業の者達なのだろう。そんな者達を利用してまでも、スティリア様は私を蹴落としたかった。どんな代償を払っても、私だけはカロル様に近付かせまいとした。


 その執念を思い知って――初めて私はスティリア様に、恐怖を覚えた。顔を切り刻まれるよりも、そうまでさせる彼女の妄執が恐ろしかった。


 嫌われていたのはわかっていた。でもまさか、こんなにも憎まれているなんて。


 何もしていなくても、存在するだけで憎悪される。そのことが怖くて、こんなのは初めてのことでどうしていいかわからなくて怖くて怖くて怖くて。


 体を仰向けにされた時に、シレンティの方を見た。シレンティは倒れた姿勢のまま、身動ぎ一つしなかった。



「大人しくしてろよ。いい子にしてたら痛くしないからな?」



 棍棒からナイフに持ち替えた男が、私の腕を押さえながら囁く。


 言われるまでもなく、手足は萎えていた。ドレスの胸元に手を突っ込まれても、抵抗する気力も湧かなかった。



「ん? あんた、顔に似合わず意外と毛深いんだな。でも触り心地は悪くな……おおん!? 何だこりゃ!?」



 体に乗っていた男が素っ頓狂な声を上げる。奴が手にしていたのは――心臓の上に避難させていた、ピンクのお手製のぬいぐるみ。



「モフルク……モフルクに触らないで!」



 それを目にした瞬間、私は思い出したように暴れた。驚いて体勢を崩した男の手から、愛しいピンクが転げ落ちる。



「モフルク!」



 私は叫んで身を捩った。


 怖がっている場合じゃない。憎まれたから何だというんだ。私には、守らねばならないものがある!



「モフルクに何てことをするのよ! 今のはきっと痛かったわ! 痛くて泣いたかもしれないわ! さっさとモフルクを返して! 優しく起こして、キレイキレイして、モフルクに痛いことしてごめんなさいと謝って、私のもとに返しなさい! ほら早く!」


「こんの……大人しくしろ!」



 平手打ちを食らう。が、怒りに燃える私をその程度で大人しくさせられるわけがない。



「言うことを聞かなければ暴力!? 暴力でしか言うことを聞かせられないの!? 大体、どうして私が言うことを聞かなくてはならないの!? 誰が決めたの!? どこの法律!? 一応頭が付いてるんだから、少しは考えて、言葉で私を納得してみせなさいよ!」



 ここで新スキル・屁理屈が発動した!


 しかし今度は、頬に冷たい感触が。腕を押さえていた男が、ナイフを突き付けてきたのだ。



「うるせえな、黙らねえとさっさと切り刻むぞ? 切られるのは怖いだろ? とーーっても痛いと思うぞ?」



 暴力の次は脅しだ。が、怒りに燃える私をその程度で黙らせられるわけがない。



「だったら、とっととやればいいでしょ! 何をもったいつけてるのよ。もしかしたら、あなたの方が怖いのではなくて? ドバーって血が出るし、ビローンって肉が見えてしまうものね? 切るのは怖いでしょー? とーーってもグロテスクだと思うわよー?」



 同じ言葉で煽り返し、へっと私は鼻で笑った。いつかのモナルク様のように、とても意地悪い顔で。



「このクソ女! いいぜ、望み通り切り裂いてやる!」



 激昂した男が、ナイフを振り上げる。


 目を閉じ――ることはせず、私はしっかりと目を開き、その刃が己の顔面に迫る様を凝視し続けた。


 この顔に未練などない。失ってしまえば、カロル様との婚約も流れるだろう。あの方はこの顔にしか興味がない。またスティリア様の気も済む。


 そうしたらまた、モナルク様に会えるかもしれない。醜く顔を潰されても、モナルク様なら受け入れてくださると思う。

 だってあの方は最初から、私の顔面になんて興味を抱いていなかった。私が美人だろうと不細工だろうと、きっと変わらない態度で接してくれただろうから。



 ナイフが迫るまでの僅かな間に、私はそんなことを考えていた。


 一瞬のはずが、随分と長く感じた。

 そしてついに刃が私の身に届き、皮膚を切り裂く――かと思われた、その時。



「…………アエスタ!」



 自分の名を呼ぶ声。


 続いて、どぉん! という重い地響きと共に、頬に触れかけていた刃ごと男が吹っ飛ぶ。



「な、何だ、おま……ひいっ!」



 ついでに、腹の上に乗っていた男もすっ飛んで消えた。


 恐る恐る体を起こすよりも早く、両肩をふっさりとしたピンクの毛に覆われた大きな手に掴まれた。ぽにぽにの肉球が、ドレス越しに私の身を支える。



「アエスタ、だいじょぶ? 怪我、ない?」



 ふっくらとした口元から出る甲高い声で問われ、私はこくこくと頷いた。


 え……? えっと……ええ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る