Phase 4 少年が見ているセカイ

 あの黒い霧が見えるようになったのはいつだったろうか?

黒い霧のようなものが纏わりついたり、噴き出したりする人間から良くないものを感じるようになったのは……。

 小学校に上がる前から見えていた。

 そのことを両親に話したのは一度ではない。心配した母に眼科や脳神経科に連れていかれたが、結果は異常もなく一過性のものだと診断された。

 幼い頃の自分は分かってもらいたくて、家族には嫌なものに近づいてほしくなくて――それからも幾度となく訴えた。両親だけではなく、黒い霧を発生させている大人たちにも。

「嘘をつくのはやめなさい」

「そういうことを言って、誰かの気を引こうとするのは良くないことだ」

 返ってくるのは、そんな言葉だけ。

 徐々に黒い霧のことを大人に話さなくなり、同世代の子供たちに話してみた。

 けれど、反応は大人たちとそう変わらないものだった。最初は面白がって色々質問してくる子もいたが、飽きてしまえばクラスの中で「嘘つきのおかしなヤツ」というレッテルを貼られる。

 黒い霧を纏っている人間が近くに来れば、どうしてもビクッと反応してしまう。霧のことを直接話さなくなっても、そんな子供を両親は気味悪がった。

 いつからか必要最低限しか話さなくなり、家族と明確な距離を感じるようになった。一緒に遊んでくれる友達はいたが、どこか上辺だけのつき合いになってしまう。


 ――日高玲という人間と同じ世界を見ている人間はどこにもいない。


 そんな恐怖に近い自意識が玲の根底にある。

 最近は「黒い霧」について絶対に口外しないようにしていた。

(どうして……霧のことを言ってしまったんだろう?)

 答えの出ない疑問を、玲は夢の中に置いていった。



 目を覚ますと、玲は見たこともない部屋のソファの上に寝かされていた。

 周囲からは人の話し声が聞こえる。玲はゆっくりと身体を起こす。室内では無数のホログラムモニターが展開されていた。研究者と思しき人たちが何人もいて、各々が表示されたチャートやグラフを見ながら意見を言い合っているようだ。

また超大型ホログラムモニターは、広い運動場を映し出していた。生徒たちが戦闘の実技訓練を行っている最中だ。二人組で組み手のようなものをやっている。おそらく玲と同世代か少し年長といったくらいだ。

しかし、ただの格闘技ではない。手から燃え盛る炎を放つ者。対して、無数の凍てつく氷の矢で応戦する者。他にも全身や身体の一部を光らせながら、空高く飛ぶ生徒たちが映し出されている。

(……魔法使い!?)

 しばらくすると、モニターの映像が切り替わる。今度は教室で座学を受ける生徒たちの様子が映っていた。男女問わずみんな真剣に授業に臨んでいる。そして、着ているブレザーの制服に玲は見覚えがあった。朝日が着ていたものだ。

「みんな、魔法化学士なのか……?」

「ピンポンピンポン、大正解~♪」

推測を口にした玲に一人の女性が小さく拍手を送ってくる。薄茶色の柔らかそうな髪が揺れている。羽織るように白衣を着ていたが、あまり研究者という雰囲気ではない。

「あの子たちはみんな魔法化学士の卵。そして、君がいるここは~」

 白衣の女性は少しもったいぶるようにテンション高めで言葉を続ける。

「国立軍学校付属アルカディア特別魔法化学士アカデミー。その中枢である作戦司令室よ」

 予想を超える、作戦指令室という言葉に玲は飛び上がりそうになる。

「ど、どうして僕がそんなところに!?」

「ふふっ、玲くんビックリした子犬みたいになってる」

 動揺を露わにする玲に向かって、白衣の女性は楽しそうに微笑む。

「宮湖さん……何してるんですか? というか、なんで白衣を?」

 アルカディア本校の制服に着替えた朝日だった。

「初対面の印象って大事じゃない? 私も研究者というか教員のはしくれだし、良いイメージを持ってもらおうと思って」

 確信に満ちた宮湖に朝日は少し呆れて、

「宮湖さんの白衣姿なんて数年ぶりですし、そんなイメージすぐ崩壊します」

「えー。朝日ちゃん辛辣……そりゃ毎日着るわけじゃないけど」

「それより、今回の件に関するタロースの分析が出たみたいですよ」

 朝日は前方のホログラムモニターを指さす。

 そこにはタロースが表示されていた。出力デバイスによって彼女の大きさは変わっており、先ほどよりも彼女の表情が分かりやすい。タロースのあどけなさが残る顔と瞳のデザインに玲は親しみを感じていた。その高い知性を感じさせる言動とはやはりギャップがあって、人間相手にはない不思議な感覚だ。

「近年では《INイン粒子》の影響で、軽犯罪だけでなく強盗や誘拐も増加しているのは紛れもない事実だけれど――」

 長らく続いた不況を脱し経済的復興を成し遂げた日本が持つ負の側面だと玲たちは報道や授業で知っている。ただ知識としては分かっていても、自分が巻き込まれるとは玲も思いも寄らなかった。

「今回の誘拐はそれだけじゃないね」

「本人の証言ではメタトロンとは無関係。嘘もついていなかったんだろう?」

 金髪の青年が問いかけた。理知的な目でタロースを見つめている。

 タロースが頷く。

「だけど、ボクの結論はそうじゃない。日高玲くんを誘拐しようとしたのはどちらもメタトロンの差し金という線が捨て切れないんだよ」

「メタトロンも一枚岩というわけじゃないみたいだからねぇ」

 金髪の男性は髪をかき上げ、タロースの言う可能性を肯定する。

「玲くんをメタトロンが狙ってきたとすると、あちらは精度の高い情報収集や分析が行える規模だ。現状クラプターになった人間の正確な数は把握できていない。色んな組織を仲介して指示が出されていたら、本丸であるメタトロンにたどり着くのはボクでも困難だよ」

「そもそも自分がメタトロンと関係していると気づかないクラプターもいるんだろうな」

 やはり自分を連れ去ろうとしたのはメタトロンという組織らしい。けれど玲にはもっと聞きたいことがある。

「おや? 目を覚ましたみたいだね」と金髪の青年が玲に近づいてくる。妙に親しげで距離が近いように感じる。年齢は宮湖と同じ二〇代半ばくらいに見える。

晴気はれぎ雪也ゆきやだ。これからよろしくできると嬉しい」

差し出される右手。玲は彼の雰囲気に圧され、拍手を交わしていた。

 晴気は上下に軽くシェイクを続けていて、なかなか手を放してくれない。

「……あ、あの」

「もう……晴気先生。玲くんが困ってますって」

 宮湖に指摘され、晴気は玲の手を解放した。

「逸材って話だからさ。どんな子か気になってたんだ」

「……それってどういう意味ですか?」

 玲が尋ねる。ここに連れてこられた理由と必ず関係があるはずだ。

 晴気と宮湖は玲に事情を話してしまうかどうか相談している。けれど、「早く説明してあげたほういい」とか「でも、もう少し待てば……」といった感じで結論はすぐに出そうにない。玲が所在なさげにしていると、不機嫌そうな朝日と視線がぶつかる。

「…………」

 しかし、すぐ朝日に目をそらされる。

「さっきはありがとうございました……怪我とか大丈夫ですか?」

「気にしないで。あなたに心配されるようなことじゃないわ」

 刺々しさが垣間見え、朝日に何かしてしまったかと玲は不安になるが、見当もつかない。

 タロースは朝日を見て、やれやれと肩をすくめている。

 そんな時――一番大きなホログラムモニターが切り替わった。映ったのは白髪の男性。

「日高玲」

 落ち着いた深みのある低い声だった。

 名前を呼ばれた玲はそちらを向く。白髪に白髭と老人と分かる外見をしているが、その肉体は老齢とは思えぬほどで広い肩幅と太い腕も鍛え上げられていた。

 周囲からは「龍造寺りゅうぞうじ総司令……」と小さなどよめきが起きている。

「この学園で魔法化学を学び、クラプターと戦う術を身に着けろ。お前には世界を救う可能性がある。異能に自覚があるだろう?」

 思い当たるのは黒い霧を見ることができる目だ。

 玲は驚き、紫色の瞳で龍造寺の顔を画面越しに見返した。

「魔法化学士になれ、日高玲」


《第1話 終了》


<イラスト>

https://kakuyomu.jp/users/projectBDT/news/16817330654103979050

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