第1節 始まりの章

EP-01 始まりの時

「はあ、はあ、はあ…」


 人の手が入っていない自然むき出しの洞窟の中。


 天井に空いた穴から差し込む光の先に、横たわる4メートルほどの大きさの猪型魔物の死骸と、それにもたれかかる青年がいた。


 彼が身に着けているのはボロボロになった軽鎧。地面には砕けた弓の残骸が無残な姿で転がっている。


 死闘を感じさせる青年の凄惨な見た目とは裏腹に、手に持つ短剣は技巧を感じさせる細工が為されており、天井から差し込んだ陽光に飾りたてられてキラキラとその剣身を輝かせていた。


「はあ、はあ、この短剣はいったい何なんだ…。これのお陰でこいつを倒すことができたのは間違いないけど…あの光はいったい…。」


 それは少し前に遡る。








♦♦♦



 洞窟の前に装備を点検している一人の黒髪の青年がいた。


 彼はその碧い瞳で手元に広げた装備品を一つ一つ丁寧に確認していく。

 量産型と思われる軽鎧と使い込まれた跡のある狩猟弓、そして腰のベルトやポーチに着けた罠と薬、そして投げナイフ。


 点検する手つきは迷い無く、普段から繰り返している作業なのだろう。点検が終わったものを素早く装備していくその姿は様になっていた。


「よし、準備完了。ふぅーっ。」


 彼は一度大きく深呼吸をすると、自分の目の前にある洞窟へと視線を向ける。


「あいつのねぐらの位置はわかった…。やれるだけの修行もした。……やれることは全部やった、大丈夫。…………見ててくれ、父さん。」


 覚悟を決めた瞳をギラつかせ、洞窟の内部へと震える足を進めた青年の姿はまるで自分が死地に赴いていることを自覚しているようであった。






 洞窟の中はとても広く、それほど暗くなかった。

 

 天井や壁には強靭な植物の蔦が幾本も這っており、今にも起こりそうな洞窟の崩落をその身一つで防いでいる。

 それでも長い年月によるものなのか、一部崩落している天井からは青い空が見え、暗い洞窟内部に陽光が差し込んでいる。


 崩落している場所を超え、周囲を警戒しながら進むこと更に数分、彼は洞窟の最深部に存在していた大きな広間にたどり着く。


 その広間は25メートル四方はあるだろうか。岩肌は硬く、ここまで通ってきた道よりも頑丈に見える。しかし何故か地面は均されたかのように平らで、壁の凹凸もほとんどない。まるで著名な建築家によって人工的に造られた空間であるかのような整然さであった。


 天井からは道中で見た植物の根よりも太く大きい蔓や木の根が突き抜けるように生えている。それらによって天井にできた隙間からは微かに陽の光が差し込んでいた。

 光の届かない奥の方には人に忘れ去られたのであろう神像と思われるものが佇み、その周囲を飛んでいる数匹の光虫がこの空間に神秘的な世界を作り出す。


 そんな世界の中心で、一匹の大きな魔物が寝息を立てる。


 まるで肉食獣のような唸り声に人間ほどの大きさの双牙、バランスがおかしい後脚と前脚。片目は不自然な形で盛り上がっており、そこにあった傷口を塞いでいる。その再生痕は青年にある記憶を想起させる。

 前脚の2倍くらいの太さはあるであろう後脚は黒色の毛皮の上からでも強靭な筋肉が見て取れ、その筋肉から生み出されるであろう爆発的な加速力はその猪のような風貌と相まって短時間の加速でも絶大な破壊力と推進力をを生み出すことが予想できる。


 悠々と睡眠を取るその魔物を見て、青年の顔が歪む。

 抑えきれない怒気が体の底から滲みだす。


「父さんの仇……。今ここで、殺す!!」


 魔物を確認した彼は即座に弓に矢をつがえて引き絞り、最大の力で放つ。矢の軌道はまるで弾丸のように鋭く、一般人では打ち出すことのできないような威力を孕んでいた。


 厳しい修業をこなしてきたことが一目で分かる一矢は、彼の思い描いた通りの軌道で魔物の脳天を目指し突き進む。


 しかし、その矢が突き刺さる瞬間。

 魔物は突如として無事であった方の片目を見開いてその大きな体躯に似つかぬ速度で顔を振った。当たる直前に矢が飛んできていることを察知し、牙で矢を弾き落としたのだ。


 睡眠を邪魔された魔物はその金色の瞳を怒りに染めて大きな咆哮を上げる。


「グルォアァァァァァ!!!!!」


「わかっていたさ、これで終わらないことくらいな!」


 青年はその咆哮にひるむことなく続けて二射三射と弓矢を放ちながら、自ら調合した毒薬や麻痺薬を投げ、魔物の行動を制限するように数々の罠を設置していく。

 その立ち回りは常に潰れた片目側に回り込むように行われており、事前に戦い方を考えていたことがよく分かる。


 死角を縫うように走って罠を設置し、時折わざと視界に入るように動くことでその罠を意識させないようにする。

 魔物の視界に入ったときは無理せず距離を取って弓を射る。狙いは無事な片目。精密な射撃と飛んでくる毒薬付きの投げナイフ、目の前を羽虫のように横切る青年を前に猪型魔物は苛立たしいと言わんばかりに唸り声をあげる。


 人の英知と努力の結晶とも取れるような頭を使う戦い方は彼の脳を酷使する。しかし、それによって作り出される戦況は少しづつだが彼に有利になっていく。


 投げた毒薬入りの瓶を魔物の目の前で射抜き、中の液体と瓶の破片で一瞬視界を封じる。それ共に彼は魔物の横に回り込み、太い蔦で作ったロープを鞭のようにしならせることで大立ち回りの中で設置した罠を起動させる。


 スパイク付きのトラバサミのような形をした罠がロープの先端を挟み固定し、青年が動くことでロープは魔物の脚に絡み付く。そこから別の罠でロープの持ち手を固定することで簡易的なワイヤートラップのようなものを作り出す。


 そして彼は足を止めずに弓矢を連射。生じた一瞬の隙に距離を詰めて比較的効きそうな魔物の横腹への接射を狙う。


 その姿は弱き者でも知恵や勇気を振り絞れば強大な敵に勝てるのだと、絶望の中でも藻掻いて前に進もうとする人間の底力を感じさせるものだった。


 しかし、順調なのはそこまでだった。彼と魔物ではそもそもの体力や膂力が違いすぎたのだ。


 思考を絶えず回しながら動き続けた彼が次第に息を切らし、動きに精彩さが欠け始めたのに対し、魔物は苛立ちによって攻撃が大振りになるものの動き自体は少しも変わらない。


 ロープはちぎれ、罠が壊される。毒薬の効果は薄く、矢もその強靭な筋肉と暴れ回るような動きの前に深手を負わせることができない。

 討伐のために用意したリソースが加速度的に消えていく。


 圧倒的暴力が目の前で繰り返される中での大立ち回り。ミスが許されない状況は彼の疲労を加速させる。






 そして彼は死にかけた。


 思考が緩み、疲れが動きの精細さを失わせたその一瞬の隙を突かれたのだ。不意の一撃を弓でガードするように防いだものの、魔物の鋭く大きな牙は弓を粉々に砕き軽鎧をいとも容易く抉り裂く。


 鮮血が舞い、彼は奥にあった神像の手前まで吹き飛ばされた。

 光虫によって血だまりが淡く照らされる。


 罠や毒薬などのリソースは完全に底を尽き、頼みの弓も砕け散った。立ち上がろうとするも体に力が入らない。限界の中、血で歪む視界に魔物の姿を、父の仇を強く映し出す。


 ゆっくりと近づいてくる魔物には軽い傷こそ付いているものの、致命傷となるような大きな傷は見つからない。

 目の前に死がにじり寄る中、彼は手元に神像に供えられていたのだろう短剣が置いてあることに気づく。


「まだだ、まだ俺は死んでない!だったらまだ戦える!……ア゛アァァァッ!!」


 最後の力を振り絞り、短剣を構えて走り出した彼に魔物の振り上げた牙がぶつかる瞬間だった。



 短剣が強烈な、だがどこか暖かい光を発した。



 その光は洞窟の中が一瞬で昼になったのかと錯覚するほどで。

 突如目を焼いた光によって魔物はタイミングを見誤り、牙は宙を切る。それと同時に魔物の空いた顎下をすり抜けるように滑り抜け、彼は手に持つ短剣を一閃する。


 魔物は切り裂かれた腹部から夥しいおびただしい量の血を流し、牙が宙を切ったことによって崩れたバランスが更なる好機を呼び寄せる。


 隙だらけの魔物に対して彼は勢いのまま体を振るように回転させる。


 千載一遇のチャンスになぜか強烈な光の中でもはっきりしている視界。ボロボロの体の何処から湧いたのか分からないような力で傷口奥深くへと短剣を突き刺した。


 そしてその勢いのまま腹部を縦に切り裂き、彼は転がるように魔物の下を通り抜ける。よろめくその巨体を前に再び飛び出し、魔物の目玉に向かって渾身の力で短剣を刺し込む。


「ア゛アアアァァァ!!!!」


「ブグアァァァァァ!!!!」





 彼らの魂がぶつかり合うような雄たけびはどれだけの間続いていたのだろうか。

 静かになった広間には崩れ落ちた魔物とその傍らで佇む満身創痍の青年の姿。


「はあ、はあ、俺、やったよ……。やったんだよ、父さん………。」


 切望していた敵討ちを成し遂げた彼は胸を満たす達成感と虚しさを抱えて天井の穴から空を見上げる。


 彼は魔物に勝利したのだった。


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