337 約束した




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――――――――――――――








 あれは、爽やかな新緑の季節……だったと思う。多分。恐らく。きっと。あまりはっきりとは覚えていない。ただ日差しが眩しくて、木漏れ日がキラキラ光っていたことだけは覚えている。






『――――やあっ!!』


『うわッ!?』






 振るった木刀が、僅かに届かなかった。隙の出来たところをサッと詰められ、鮮やかに一本を決められてしまった。その日、俺は生まれて初めて自分と同じくらいの年の子どもに負けた。




 地面に尻餅をついた俺は、悔しいと感じるより、すげえな、と感心していた。子ども相手は危険だからってずっと禁止されていた俺が、一本取られたんだ。こいつとなら構わないって先生も許してくれた。それはこいつの強さを先生が認めたからだ。臆病で引っ込み思案な奴だと思っていたのに……いや、それはもっと昔の話か。こいつは確かにずっと努力していたし、どんどん強くなっていってたし……俺はそれを、ずっと傍で見ていたじゃないか。




『あ~~負けた! やられた!』


『ご、ごめん! 怪我はない?』


『へ? ああ、大丈夫大丈夫。痛かったけどすぐ治――――』


『ごめん……痕に残ったらどうしよう……』




 ずっと俺に勝つことを目標にしてたんだろ? だったら素直に喜べばいいのに。俺は一度も謝ったことないぞ? なのにどうしてそんなに謝るんだよ。やっぱり変な奴。こいつは俺のことを「天女」と呼ぶ。美的感覚が人とずれてるし、お坊ちゃんだし、俺とは違う世界の人間だけど…………まあ、良い奴だよなって思う。




『痕なんて気にするなって! ヤバい怪我しても大体明日には治ってんだから。それに俺が痕なんて気にしたってしょうがないじゃん!』




 ニカッと笑ったけど、彼の表情は晴れなかった。




『そんなことない。だって、ほむらは――――』




 泣きそうな顔で、俺を見る。




『誰よりも綺麗だよ。俺が知ってる人の中で、一番一番綺麗だよ』




 ……そんなこと言うのは、やっぱりお前くらいだよ。


 気恥ずかしい。照れくさい。俺は視線を外して、「えっと……そんなことよりさ」と話題を変えた。






『勝った方が何でも願い事聞くって話だろ。さ、何でも言えよ。俺が何でも叶えちゃる!』


『……勝てると、思わなかったから』


『え?』


『考えてなかった……』


『えー』




 そいつは困ったように微笑んだ。元々女の子みたいな優しい顔立ちをしているけど、笑うとますます女の子に見える。守ってあげなきゃって自然と思わせるような。いやまあ、俺は今お前に負けたばっかりなんだけどさ。




『何かないのか? 天ぷらが食いたいとか、お使いしてほしいとか、肩を揉めとか……』


『うーん……。俺は、ほむらにいつもたくさんもらってるから……』


『え? 何かあげたことあるっけ?』


『あるよ。ほむらのご飯は、すごく美味しい。ほむらのすごく強いところには勇気を貰える。それに……それに、この前だって』




 この前、というのが何のことを指しているかは、すぐにはわからなかった。ただ、もしそれがこいつの家で見事に土下座した時のことだとしたら嫌だなとは思った。……外で仲良くしているところを家の人間に見られて、道場を辞めさせられるかもって話になったんだ。俺みたいな奴とは関わらせたくないって。別の道場にするって。俺のせいでそういうことになるのは嫌だったから、怖かったけどお願いしに行った。成り行きで土下座した。そしたらなんだかんだ続けさせてもらえることになった。それだけだ。ただそれだけだけど……あんまり思い出したくはないよな。






『何でもいいからさ。ほら、取りあえず何かあるだろ』


『うーん……じゃあ』




 そいつの頬がふんわりと赤く染まる。ちょっと照れたように。




『ほむらのお願いを叶えたい……て言うのは?』


『へ?』




 なんじゃそりゃ。




『ほむらは何をお願いするつもりだったの? 俺がそれを叶えるよ。それが俺のお願い』


『いや……でもそれじゃ俺が良い思いするだけじゃん。負けたの俺なのに』




 絶対おかしいって俺でもわかるお願いだけど、そいつはニコニコ笑って譲らなかった。えー……いいの? そんなのアリか? うーん……まあ本人が良いって言うならいっか!






『じゃあ……お願い』


『うん』


『この先、大人になっても、何があっても……友達』






 視線を逸らしながらそう伝えると、彼は驚いたように目をパチクリさせた。






『………………友達?』


『うん』


『それが……ほむらのお願い?』


『うん』


『そんなの、僕が良い思いをするだけじゃ』


『そんなことない。絶対だぞ。何があってもだぞ。お前が大人になって偉くなっても、ずっと友達だぞ。どんなに嫌になっても友達辞められないんだぞ。喧嘩してもだぞ。それでもいいのか』






 俺はこいつと身分が違う。まだ子どもだから、道場の中だから……そういうのがなかったら、俺なんて本当は対等に話すこともできない。そういうの、よくわかってるんだ。俺は生まれが卑しいから。大人になったらきっともっと大変なんだろうな。多分俺はずっと蔑まれて生きていくんだ。馬鹿にされるのも嫌われるのも慣れてる。でも、一度友達になった奴にまで嫌われるのは、ちょっと悲しい。だから…………。








『うん、約束。俺はずっとほむらの友達だよ』








 迷いなく、そう言ってくれた。たとえ嘘でも嬉しいと思った。


 




『約束だぞ』


『うん』


『絶対、絶対だぞ』


『うん』


『絶対、忘れるなよ。………………刀士郎』
















――――――――――


―――――――――――――――――










「―――――――――碓氷義勝!!!」








 懐かしい声だった。


 忘れるはずもない。死神のような形相で義勝に襲いかかった男を、私はよく知っていた。








 天馬刀士郎。






 いいとこの坊ちゃんで、優しくて穏やかで、剣の天才で…………俺の、友達だ。




 あいつは驚くほど昔のままだった。柔らかい薄茶の、頭の高いところで括った長い髪も、白い頬も、女性のように整った顔立ちも。ただ……








「殺してやる…………!!!」








 こんな顔は知らない。だって刀士郎は、すごく優しい奴だった。自分の怪我より人の怪我を気にするような。いつも穏やかに笑っていた。俺と義勝が喧嘩をしたら柔らかく仲裁に入る。そういう、奴だった。


なのに――――






 木剣が振り下ろされる。応戦したのはシドだった。刀士郎に同じくらいの殺意をぶつけて義勝を守っている。




「子ども……!?」


「…………ッ」


「貴様、こんな子どもに剣を……!!」




 刀士郎の怒りがますます膨れ上がる。狭い通路で、二人がやり合うにはあまりに危険で、いつどっちが怪我するのかわからない。て言うかすごいな刀士郎、木剣で本物の剣とやり合ってるのか。いやいや、感心してる場合じゃない。どうしようどうしようどうしよう。刀士郎どうした? どうして刀士郎がこんなに怒っているのかわからない。だってこれは感動の再会じゃないか。幼馴染み三人が本当に久しぶりに再会したんだぞ!? なのに……!!






「やめろ刀士郎!! 何してるんだよ!?」


「ッ……!!!」




 声を上げると刀士郎の動きが鈍くなった。すかさずシドが力を入れたのがわかったが、そこは経験の差というやつか、刀士郎がうまくいなしてあっという間にシドから剣を取り上げてしまった。




 ただ、そこから刀士郎は動かなくなった。じっと突っ立って、今にも殺さんとばかりに義勝を睨んでいるが、金縛りにでも遭ったようにじっとしている。






「刀士郎……?」






 不安になって声を掛けると、刀士郎の肩がびくりと上がった。その時――――






「ローガン!! 何があった!? ッ……フレア! 何がどうなってこうなっている!?」


「げッ、ジーク!?」


「今ゲッって言ったか!?」


「言ってない! て、レオンにレインに乱蔵まで!?」


「イグニス令嬢!? ここに囚われていたのか!? ルークは!?」


「…………はあ」


「何がどうなってこうなってんだよ……」




 いや私だってこれが一体どういう状況なのか説明願いたいくらいなんだが……。ん……ちょっと待て、“ローガン”? さっき、ジークは刀士郎のことをローガンと呼んだか……?










「と、刀士郎が……ローガンだったのか……!?」










 ええええええええええええええ!?


 そんなのわかるわけないじゃないか! それに話に聞いた感じ、ローガンは孤高の一匹狼なんだろう? いやいやいや、刀士郎はそんなタイプじゃないって! かつてのあいつなんて私と一緒にクールとはほど遠いことをやっていたぞ!? 狐の面を被って「コンコン」とか言っていたんだぞ!? まああれはかなり小さい頃のことだが……。




 そうこうしているうちに、義勝が皆に追い詰められ大変なことになっている。




「貴様、どこの誰だ……!? フレア! この男に誘拐されたのか!?」


「違う違う違う!」




 私は必死で否定した。義勝は刀士郎を見て固まっている。おいいいい、何か喋れよ義勝。お前だって久しぶりの友達との再会に喜んでるんじゃないのか!?






「皆落ち着けって! そんな殺気立たなくても、義勝は――――クシュン!」






 あれ……くしゃみ? ぶるっと体が震えた。ちょっと顔が熱い。頭が痛い……のか……? どうしたどうした、私の体。治癒は? 機能してないのか? おいおいおい……まさか冷えた? そりゃ夜はちょっとは冷えるけど、別に寒いという程じゃないのに……。さっき着替えたからか? 私の体はその程度のことでどうにかなる程やわじゃないだろう?


 皆が唖然とした顔で私を見ている。うん、そうだよな、風邪なんて私にはほど遠いもののはずだよな……。




「フレア……? 大丈夫か!?」


「う、うん。多分、ちょっと疲れただけ――――」




 額を押さえた。やっぱりちょっと熱い。ほんとにどうしたんだ。頭が酷くぼんやりする。皆に説明を、皆をどうにかしなければならないのに、私がこんなでは…………






 チャキ、と聞き慣れた音がした。




「え……?」




 鬼気迫る顔の刀士郎が、シドから奪った剣を私に向けていた。






「え? 嘘、え? ちょ、ちょっと待っ――――――」






 そのまま、問答無用で振り下ろされた。


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