322 【ジーク】 反対する
「――――――お前は剣を取らないのか」
ローガンの言葉は僕に向けられたものだった。闘技場の上からじっと僕を睨んでいる。ぞくりと背筋が震えた。……アグニと同じだ。多分こいつは相当な人数を殺してきたんだろう。そういう目をしている。そんな奴と剣を交わすなんて冗談じゃない。いや、そもそも僕は相手がルークだろうとエイトだろうと手合わせなんてしたくないが。
「僕は剣なんてやらない」
嫌いだ。昔は目にするのさえ嫌いだった。鋭利な刃物で僕がどんな目に遭ってきたか、幼い頃のことを思い出すと吐き気がする。やがて怯えることはなくなったが、好き好んで触れるものでもない。剣を習おうとも思わない。この先もずっと。
「そうか。残念だ」
ローガンの目がすうっと細められた。
「いいところのお坊ちゃんは、自分で手を汚すのは嫌いか」
「何……?」
「下の人間に守って貰えるから覚える必要もない。いいご身分だな。椅子にでも座ってふんぞり返って、嫌な事は全部下の連中にやらせればいい」
「何だと?」
「……結局、お前のような奴が組織を腐敗させる」
ローガンは木剣を手にスタスタと去って行った。サクラに怒られたから役立たずとは口にしなかったが、そう思っていることはありありと伝わってきた。お前のような役立たずの邪魔者はさっさと消えろと、その目が雄弁に物語っていた。
僕は拳を握り締めた。腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
僕のことなど何も知らないくせに。剣を習わないと言うだけでなぜあそこまで言われなければならない。傷ついたことがないとでも思っているのか? 偉そうにペラペラと……!
「剣のことしか頭にない単細胞め……!」
「まあまあ、言わせておけばいいじゃない。噛みついても仕方ないでしょ」
あんな人殺しにはね……と続ける。そう言うレインの目も完全にローガンのそれと同じだった。
その後、「女性だからと手合わせしてくれないなんて不公平です」とぶすくれた顔のサクラに「あのローガンを謝らせるなんて……!」「もしかしてあいつもサクラさんのこと……!?」「女に全然靡かないあいつが!?」「もしかして実は知り合いか!?」と団員たちが騒ぎ立て詰め寄っていた。サクラはその全てを無視していたが。
「……ローガンが」
ぽつりと、エイダがあいつの名を口にした。その顔はどこか寂しそうにも見える。なぜ彼女がそんな顔をしているのか、正直僕にはよくわからなかった。
――――――――――――――
――――――――――――――――――
「……その後も手合わせやら鍛錬やらでずっと騒がしい連中だった。自警団は無秩序極まりない。あれが国を動かせるとは思えない。筋肉馬鹿の単細胞ばかりだ。仮に皇帝を廃したとして、その後はどうする。国を治めるのは並大抵のことじゃないんだぞ。あの様子だと法も政治もわかったものじゃない。皇族を追放した後にも貴族は残るだろう。その貴族連中とどう渡り合う。周辺諸国は? 属国は? こんなデカイ国が混沌と化したらその影響はどんどん広がる。アカツキ王国だって無視はできないかもしれない。いいか、たとえこの国が腐っているのだとしても……いや確かに腐っているのは揺るぎない事実だが……大国の存在によって保たれる秩序もある。シノノメ帝国は長い歴史の中であらゆる繋がりを――――――おい、聞いてるのか」
僕は思わずルークを睨み付けた。ルークは慌てた様子で欠伸を噛み殺し、ぶんぶん手を振った。
「き、聞いてる聞いてる! ものすっごく聞いてるぞ! いやあ、革命というのは本当に一筋縄でいかないな、うん」
「…………とにかく、自警団と協力するべきじゃない。あんなおぞましい目をした男を味方に引き入れても、扱いきれるものじゃない」
アグニを生かして自分の手駒にしたのは僕の判断ミスだった。あの時、何とかして極刑に処しておくべきだったんだ。フレアに協力を仰いででも、何とかするべきだった。あんなヘマはもうしない。大体僕にはもう神子の力がない。何かあっても……誰一人守ることはできないんだ。
「うーん……そうか、そっちはなかなか大変だったんだな。こっちは平和そのものだったが」
「お前はどこでもうまくやるからな……」
「なあに、ちょっと料理して掃除して洗濯しただけだ」
「そのちょっとが僕はちょっともできないんだが……」
「慣れればすぐできるようになるさ。私が教えよう」
「断る」
そっぽを向くと、「おやおや……」とルークが困ったように笑う気配がした。……お前は何でもできるからな。できない僕の気持ちなんてわからないだろう。
「ルーク、僕もジークに賛成だよ」
ルカは嫌がるレオンの手を引きながら、「すごい気迫だったんだ」と言葉を続けた。
「レオンがボロボロにされちゃったんだよ。見てるこっちはヒヤヒヤして仕方なかったな」
「うるさい! 油断しただけだ! 手を離せ!」
「ルーク、ちょっと治してあげてくれないかな?」
「別にそんな必要はない!」
「強がってないでほら、腕を出すんだ」
ルークがそっと袖を捲る。赤く腫れ上がった怪我が見えて、僕は思わず視線を逸らした。
「……酷いものだな。下手をしたら一生使えなくなっていたぞ。いや、そこは手加減したのか……?」
「別にこれくらい…………いっ」
「もう大丈夫だ、すぐに終わる」
ふわりと紫色の光が腕を包む。それが消えたかと思うと、怪我は綺麗になくなっていた。
「……助かった」
レオンは静かに頭を下げた。綺麗になった自分の手を見て「すごいものだな……」とじっと見入っている。
「聞いてみると、ここまでやるのは珍しいことじゃないって。副団長のローガンは味方にもここまでするような人間だよ。信用するには、少し……まだ足りない、と思う」
「そうか……」
ルカの言葉に、ルークはううむ、と顎に手を当てた。
まだ何か諦められないのか。
「他の手を探すぞ。何なら皇宮に忍び込んでシ……フレアを捜し出す方がずっといい。革命の混乱に乗じるにしても、そんなものを待つ時間も惜しいだろう」
「それは……そうだな。だがシ……フレアを助け出したとて、彼女がいなくなったと知った皇帝は何をしてくるかわからないぞ? ノアがアカツキ国内に突然侵入していたことといい、どこに伏兵が潜んでいるかしれない。戦争になるのは避けたい。……まあ、戦争になった途端ここで革命が起きれば、皇帝も戦争どころではなくなるだろうが……それでもできるだけ、アカツキが危険に晒される可能性は少ない方がいい。相手は何でもありの皇帝だ。慎重に動いた方がいいだろう」
「………………慎重にした方がいいのは……まあ、そうだが」
戦争を持ち出されると何も言えない。戦争を回避したいのは僕も同じだ。ローズならすぐ戦争戦争とウキウキしていたものだが、僕はやはり戦争は嫌いだ。戦場も嫌いだ。何より、あの頃のように軍と軍がぶつかり合うならまだしも、一般国民が危険に晒されるようなものは絶対に嫌いだ。
だが……本当にフレアが囚われていたら、僕はこんな悠長にしていただろうか? 多分していなかっただろうなと思う。戦争になろうがどうなろうが、皇宮に侵入して助けに行こうとしただろう。シドについて僕は発火能力者であることと名前しか知らない。だからまだ冷静でいられるんだ。……我ながら非情だと思うけど。
「だがまあ、皇宮に侵入、か……」
「ルーク?」
「ああいや、何でもない。ふむふむ、そうよなあ。しかし確かに、そう悠長にしていられる話でもないしなあ……」
「あの……ローガンさんは、悪い人ではないと思います」
珍しく少し迷いを見せながら、サクラがおずおずと口にした。
「酷い言葉を使ってはいましたが、根は悪い人ではないんじゃないか、と。本当に悪い人なら、私に謝ったりもしないと思いますし……。女性だからと手合わせしてくれなかったのは釈然としませんけど」
「え。レオンをこんなにした相手と手合わせしようとしたのか? サクラ」
ルークがさあっと顔を青くする。
「やめておこう、そんな危ないことは。あ、そうだ! サクラは明日からこっちに来るといい。うん、ジークもこっちがいいんじゃないか? 私が二人まとめて面倒を――――」
「お断りします」
「断る」
また役立たずと落ち込むのは目に見えているが、だからと言ってルークのお荷物になるのはもっと嫌だ。いつまで経っても独り立ちのできない子どものようで。
「ねえ、ローガンの素性は私が調べるよ」
黒パンをバリバリ囓りながら、レインがニタニタと歪んだ笑みを浮かべていた。だが長い前髪の隙間から見える目は全然笑っていない。それが東支部のある方を向いてじーっとしているのは、普通にホラーだった。
「怪しんだよねえ、彼。とんでもない秘密を隠し持っていそうでさ。私、そういうのピーンと来るんだよねえ」
「秘密、か」
「案外、あの自警団の汚~い膿だったりして? 革命の反対派の筆頭格なんでしょ? 彼の秘密を暴けたら、けっこう大きいと思わない?」
レインはパンの欠片を飲み込み、立ち上がった。
ローガンの秘密。それでまさかあんなことになるなんて、この時は知るよしもなかった。
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