第6話 覚悟する

 ……しくじった。




 この私が、まさか背後を取られるなんて。死に神のようなこの男がなかなかの腕を持っていることは認める。でも、それにしたって迂闊過ぎた。助けるかどうするか、結局こんなにぐだぐだ悩んでいるのが駄目なんじゃないの。やるって決めたらやらないとだし、やらないんなら中途半端に関わるべきじゃない。




「ぐっ、お前達は一体何者だ!! ここはイグニス公爵家の敷地内だぞ! お前たちが無礼を働いている相手は公爵夫人と、正当なる次期公爵閣下であられるルカ様だ! お前達が不当に拘束していい方々ではない!!」




 エイトの涙ぐましい訴えに、私が入っていないのはこの際置いておこう。




 私は気絶したフリをして転がされていた。


 完全に気配を消して、意識のないフリをする。鉈を下ろされた直前、私はそれを避けながら全力で彼の足下へ滑り込んだ。エイトは押しのけ、自分だけでも助かることを優先しちゃったのは悪かったけど、一応彼も避けられるように突き飛ばしたから許してよね。その直後薔薇の茂みに頭から突っ込んで怪我をしたのはまあ、運が悪かったとしか言えない。


 気絶したフリをしたのは、そうすれば見逃してもらえるのではないかという一瞬の判断に任せたに過ぎない。


 私が気を失ったことを確認した男は、私とエイトを担いで薔薇の茂みの中へと私たちを連れてきた。そう、奥様と、ルカが囚われている場所だ。気配を探らなくても、息づかいや微かな物音ですぐにわかる。集中すれば目を開けなくても手に取るようにその場がわかった。今のところ、大きな怪我を負わされた感じはない。血の臭いはするけど、微量だ。多分顔を殴られて鼻血とかだろう。その程度で良かったと、少し安心する。




 そんなことより怪我をして気が立っているエイトが煩い。その口をなかなか塞がない彼らにも少し驚きだった。いや、何ならどうしてここまで連れてきたのかも謎。口を塞がれた奥様とルカを連れて移動した方がよっぽど楽だろう。お荷物が二人増えるのだから。エイトを気絶させることだって彼らくらいなら簡単にできるんじゃないだろうか。




「アグニ、何をしている。口を塞げ」


 苛立った男が指図する。


 アグニ、というのは私の背後を取った男のようだ。彼は私のすぐ近くで、ずっと私を見下ろしている。




 ……何、この人。怖いんですけど。幼児趣味? 私のことが気に入っちゃった? それとも……気絶しているフリがバレているって訳? 嘘でしょ。だとしたら、私が感じたよりもこの男は厄介だ。間違いなくこの男達の中で一番厄介。




「……チッ」




 一向に動く気配のないアグニに苛ついて、リーダー格の男が舌打ちしてエイトの口を布で塞ぐ。「んーっ、んんーっ」と抵抗する彼に、一言言ってやりたい。暴れても体力を消耗するだけだから、取りあえず大人しくしとくといいわよ、と。




「場所を移動させるか?」


「いや、ここでいい。そのうち向こうは騒ぎになるはずだ。ここまでは来ない」


「よし、始めるか」






 ……始める? 一体何を……。


 待って、奥様に一体何をするつもり!?






 嫌な予感に、一瞬気絶のフリを忘れそうになる。アグニという危険人物がピクッと反応した気がして、慌てて気配を消す。




「んんーっ、んんんんーーっ!!」




 必死で拒絶する奥様に、男達が近づく。


 その時






「そこで何をしている?」






 ジーク殿下の声がした。






 彼は幾人かの近衛騎士を連れていた。彼らもなかなかの手練れだ。良かった。ほっと胸を撫で下ろす。後は彼らがなんとかしてくれるだろう。ただ、密かにその気配を探ったところ、このアグニという人物に勝てる気がしない。まとめてかかればいけるかもしれないが、暗殺者は他にもいる。第一、まともに戦っても難しそうなのにこちらには人質がいる。




「まずいぞ、なぜ近衛騎士が……」




 暗殺者たちがじり、と殺気を漲らせる。




 そうよね、ここに近衛騎士が来たのも王太子殿下が来たのも、私が招いたことだ。小説ではきっとなかったはずの展開。彼らだって、こんな展開は想像もしていなかったはずだろう。




「武器を下ろせ。僕はジーク・アスター・ルークス。そして君たちが拘束したのは忠実なる僕の部下と、公爵夫人、それに未来の次期公爵だ。これがどういうことか、君たちはわかっているのかな?」






 ……相変わらず婚約者の存在はガン無視ですか。


 部下が部下なら主人も主人ね。こいつら、嫌なところはそっくりなんだから。私も入れてくれたっていいじゃない! それともほんとに見えてないの? 気配消しすぎ? なんなら気絶してるのは私だけなんだから、そこもっと心配しなさいよ!!




 一方、王太子の登場に暗殺者たちも動揺が隠せないようだ。


 どうする、と目だけで会話している。彼らとて、ここまでの大物を巻き込むのは分が悪いだろう。このまま諦めてお縄に……






「アグニ。やれるか」


「……無論」






 やるの!? やっちゃうの!?


 相手は一国の王太子よ!?


 さっさと白旗上げなさいよ!! 馬鹿なの!?


 ……思わず叫びそうになった。たとえ相手が王太子だろうと、知ったこっちゃないって? 捕らえられても待つのは死のみ。それなら少しでも生き残れる方に賭けるってことね。




「アグニ……!? 王太子殿下、お下がりください」


「知っているのか」


「話だけなら。素顔は明らかでないのでわかりませんが……国をまたいで暗殺・諜報・拷問、頼まれればありとあらゆることをやっている危険人物で……その強さは、数千人の兵士に匹敵するとも」


「ほお……それは面白いな」






 とんっっでもねえのがいた。


 数千人の兵士と戦って勝っちゃうってわけ? 嘘でしょ、なんでそんなとんでもねえのに奥様目をつけられちゃったわけ? いや、こいつが目をつけたというか、こいつの雇い主がやばい。こんなもん身重の女性に差し向けんなよ。


 ジーク殿下も何のんびり「面白い」なんて言ってくれちゃってんのよ。全然面白くないわ。


 そんな化け物相手じゃ、いくら近衛騎士でも無理じゃない。だってこいつ一人で千人分以上の力があるってんでしょ? 知らんけど!! ていうかどうやって出したわけ? その数。まさかそれくらいの数相手に戦ったわけ? こわいんだけど!!






「うっ……」


 


 一触即発の空気の中、うめき声がした。


 この声……奥様だ。めちゃくちゃ苦しそう。これはもしかして……もしか、しなくても……




 生まれようと……してたりして?




「んん、んんんんーっ」




 苦しそう、めちゃくちゃ苦しそう……! ちょっと! 誰か早く助けてあげてよ! その化け物なんてさっさと片付けて、早く……!




 アグニの筋肉が盛り上がり鉈が振るわれる。その殺気が比べものにならないほど膨れ上がっている。


 ……本当に化け物のような男。


 近衛騎士が応戦するが、彼らの剣はアグニの攻撃の前には全くの無意味だった。刃がぼろぼろと崩れ、叩き壊される。おまけにアグニ以外にも暗殺者はいる。アグニほどではなくても相当の手練れであることに間違いはなくて、近衛騎士は今にも殺されそうだ。致命傷ではないにせよ、彼らが怪我を負うたびに血の匂いが濃厚になって、思わず吐きそうになる。




「殿下! ここは一旦お逃げください!」


「向こうから煙が……火事か!?」




 僅かな煙の臭いが漂ってくる。……奥様を拉致し、その目をここから引き離すためにご丁寧に火事まで仕組んだという訳ね。今頃公爵は火事の方で手一杯。しかもその火事が起きているのは奥様の私室のはず。


 ……小説世界では、公爵はそれで奥様を助けようと火の中に飛び込み、私が発火能力を使ってその勢いを増幅することで亡くなるのだから。もちろん私は小説世界でもこんな陰謀に加わってはいない。でもそれを利用して、憎い父親を永遠に葬ろうとするのだ。






「んんー、んんんーっ!!」






 奥様の苦しそうな呻き声が……心を突き刺す。


 どうしたらいい? 正直ジーク殿下はなんとかするだろうけど、奥様は……奥様はどうなるの?




 小説では、彼女は死ぬ。きっと彼らによって殺されたんだろうけど、このままじゃやっぱり亡くなってしまう気がする。それも、今度はルカの目の前で。


 彼は小説ではあのペンダントをずっと探していて、奥様を探すのが遅れる。おかげで彼はこの現場に出くわすことはなかった。でも……このまま、目の前で母親が死んでしまうかもしれないところを見ているしかできないなんて……あまりに残酷すぎる。


 ルカが口を塞がれたまま体を震わせて泣いているのがわかった。






 ……覚悟を、決めて。


 


 私のこの手は何のためにあるわけ?


 人を守るため。


 それが、あの人にかけられた永遠の『呪い』でしょうが。


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