第14話 私の可愛い弟
「クロウは別の馬車へ」
レイモンが冷たく言い放つ。
「承りました」
形式ばったやり取りの後、私達は首都を去ることになった。
あんなに動けなかったのに、今は早く去りたい気持ちで満ちている。
馬車が走り出した時の安堵感は、言葉では言い表せない。
「餌を与え過ぎてはいけない」
前に座るレイモンがぽつりと呟いた。
「民衆を一個の個人として受け入れる。その度量を姉さんは見せたんだ。胸を張っていい」
さっぱり意味が分からない。処刑のことなら、今は触れないで欲しいのに。私の内心など構わず、レイモンは続ける。
「あれ以上やってはいけない。火炙りも、串刺しも」
「お願い、やめて」
思わず声に出す。そう、私の可愛い弟は決断を下した。勇者に迫られ、民衆に応じ、手を汚すことなく人を殺めた。
違う。これはおかしな解釈だ。
民衆は必ずしも処刑を求めていない。
違う、民衆は必ずしも勇者を求めていない。
そうだ、民衆はナルタヤの勇者を認めていない。だから死んだ国王の言葉で静まり返った。
「私達は間違えた。違う?」
「うん? 姉さんもクロウも間違えてないよ」
「嘘、クロウを叱っていたわ」
「クロウが出しゃばるからだよ」
そのクロウは、レイモンをしゃしゃり過ぎだと評していた。
「正解はないんだ。結果だけが残る」
「そんなあやふやなもので、あの人は殺されたの?」
そう言えば私は彼の名も知らない。アルタニアの国王だった、それしか分からない。先祖累々たる恨みなど、あってなきようなものだ。昨日知らされて調べてもいない。
「姉様、お疲れみたいだね」
「疲れとは違うわ。私達は何をしているの。何をさせられているの」
レイモンは勇者に転生者を望んだ。
私への愛ゆえにと聞こえたけれど、それも分からない。
そうだ、私は何も知らない。
いくらなんでも知らないことが多すぎる。
「教えてレイ、どうして餌を与え過ぎてはいけない、なんて言うの」
こんな台詞、父上や兄達が使いそうなもの。
私のレイモンが言うはずない。
「勇者に入れ知恵されたのね」
きっとそう。確信めいたものを感じたのに、レイモンは怪訝な顔をして見せた。
「姉様は処刑が嫌いなんだよね」
「嫌いとか……好きな方がおかしいわ。嫌いというより、関わりたくなかった」
「だよね。僕だってクロウだって嫌だよ」
「誤魔化さないで」
「勇者だって嫌だろうなあ」
あいつはどうでもいい。その勇者が、レイモンを操っていることが汚らわしい。こんなところ来なければ、誘いになど乗らなければ、レイモンは可愛いままだったのに。
「勇者は内心ほっとしたんじゃないかな」
「あんな奴どうでもいいの。お願い、目を覚ましてレイ」
「姉様は勇者が怖いんだね」
当たり前じゃない。戦争を起こし王族を手にかける。人の死をなんとも思わない殺戮勇者。あんな化け物がこの世にいるなんて……。
「けど姉様、勇者は自分を使えと姉様を頼った。僕にまで文を寄越す始末だ。相当追い詰められているんだろう」
あいつのどこが? いいように使われているのは私達。まるでこの世終わりを味わうような苦痛が……。
「頼ったってどういうこと?」
思わず口をついて出た。何、この違和感は。
「うん? 文を寄越した。今日だって立ち会わせた」
「自分を使えなんて、一言も書いてなかったわ。言葉もなかった。レイモン、あなた何を言っているの?」
私は間違いを指摘しているつもりだ。レイモンは何か勘違いしている。あいつは私達を利用して……。
「あいつは私達を利用して、それで……」
言葉にするが続かない。どうして?
「利用して投資を無駄にしたくない?」
「そう。夢みたいな交易の話を実現する為……」
私は何を言っているんだろう。勇者の投資に付き合わされたとでも言うつもりなの?
「勇者は何がしたいの?」
ここまで来て初めてスタートに戻って来た。
「魔王をぶち殺すらしいよ」
「どうして私なの、アルタニアなの?」
「このままじゃ勝てないって言ってたじゃないか」
「……そ、その心は?」
自分で、自分がおかしなことを言っていると気づいた。私は何を求められていたの? つい昨日話したばかりなのに。
「アルタニアを召し上げるので差し上げたい、だよ」
「だからその理由よ! 何も説明されてない!」
声を荒げると何がおかしいのか、レイモンは手を叩いて笑い始めた。な、なぜ弟に笑われないといけないの!
「レイ! 馬鹿にしないで!」
「ごめん姉さん、許して下さい」
「嫌よ、ちゃんと説明なさいっ!」
落ち着いて、とレイモンは私の隣へと腰を下ろした。
「アルタニアは対魔族の要衝だ」
「そうよ。知らない者はいないわ」
「このままだと負けるらしい」
「まだ負けてないわ。エストマ三国だってまだ無事よ」
「負けてから"ああ負けた"で、対応出来るなら眺めてればいい」
なんてこと言うの。仮にも王族、いくら可愛い私の弟だからって、言っていい……ことと……悪い……。
「負ける、の」
「と、思っている人達と勇者が共謀したから、こうなった。僕も調べた、確かに危うい。絶対かは分からないけど、ナルタヤの勇者が言うんなら、ナルタヤの第七王子としては信じるしかない」
「そうなの」
「そうらしい。というかずっと負けてるから、いつかこの世界は崩壊するね。海の向こうは善戦してるみたいだけど」
「海……」
私はずっと何を問題視していたんだっけ。
あれ、分からなくなってきた。
「海の向こう。行きたいならそうしよう。勇者を使えば大金が手に入るかもしれない」
「そうなの」
同じ言葉を繰り返している。
まるで呆けたように。
「生け贄なんて言ってごめんよ姉様。アルタニアを変えないとみんな死ぬ。だから勇者はこんなことをしてるんだ」
それからレイモンは指を立てる。
「"さすがの俺でも無理だ、守りきれない。だから助けてくれ、ナルタヤの第五王女システィーナ"と、勇者は言いたいんだ」
「……ならそう言ってよ」
「本人は言ったつもりだと思う」
「言ってないわ。言ってないもん!」
レイモンがまた笑いだした。この子いつからこんな、姉を姉とも思わない勝手な弟になったの!
「姉様、いつか海に行こう。姉様の水着は僕が選ぶよ」
「……嫌よ」
「姉様、僕が嫌いになった?」
「違うわ……」
「じゃあ選ぶね。約束だよ」
私、何を勘違いしていたの。
私、どうして海に行くの。
私のレイモンは、どうしてこんなに嬉しそうなの。
もう分かっているけれど――この事実は闇に葬らねば。
「レイ、今の話、誰にもしてはいけないわ」
「水着?」
「それじゃなくて、その前」
「ああうん。分かった。勘違いは誰にでもあるよ、姉様」
「もうやめて!」
馬車は走り続ける。私の恥を置き去りに、役立たずが君臨していた王城へと向かって。
私が勇者を使いこなさなければ、世界が滅ぶ。
レイモンが言うのだから仕方ない、きっとそうなんだろう。
ならやってあげる、私が殺戮勇者を使いこなす!
使い倒して魔王をぶち殺す!
決意と共に私の城が近づいて来る。
――さあ始めましょう、世界と戦う明日を。
今を生きる私達の為に。
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