第10話 第七王子の溢れる欲望

 知らない天井、知らない壁。知っている家具や装飾品。私なら着ないであろう衣装の数々。

 ここは恐らく、アルタニアの姫が使っていた部屋だろう。私は今晩ここで休むことになった。


 このままいけば気の滅入る役割が回って来そうだ。

 まだイエスと言ったわけではない。

 それでもレイモンは乗り気だ。

 私だってもっとスマートな形なら喜んで受け入れる。

 でも血に塗れた彼らを見れば、どうしていいか分からない。私にその資格があるのか、という迷いではない。

 もう逃げ出したい。

 これが偽らざる本音だ。


 扉、壁を通して血の臭いが漂って来るのではないか。そんな不安に押し潰されそうなになる。

 私には逃げ場なんてないのに。

 どうしてこんな所に閉じ込められているのだろう。

 警備は?

 残党が襲ってきたら?

 いえ勇者だって城の兵士だって、信用ならない。

 彼らに好きにされるかと思うと寒気なんかではすまない。

 恐怖が身を包んでくる。


 レイモン、私のレイはどこ?

 そう一緒の部屋でいいのにどうして別々なの?

 まさか勇者に乱暴でもされていたら!


 不安がこの身を突き動かした。

 私はどうなってもいい。

 レイだけは守らないと。

 自分勝手さに嫌気は差すが、これぐらい神様だって許してくれる。ねえ神様、そうですよね?

 祈りは届かない。いつも誰も応えてはくれない。

 だから動かないと。


 扉を開けると風の流れを感じた。

 五階建ての城内のここは四階。

 見張りの番兵がいない。

 好都合だが心が軋む。

 護衛の一人もいないなんて、生まれてこの方経験したことがない。

 私を誰だと思って……。


 今はレイモンを捜さないと。

 同じ階には誰もいない。

 五階にも誰もいなかった。

 下に降りるのは正直億劫だ。さすがに兵士がいるだろう。ため息一つ、勇気を奮い立たせ階下へと足を向ける。


「ありゃ殿下」


 突然声をかけられ驚いたが、声で誰だかすぐに分かった。


「クロウ……」

「いやご無事で何より。殿下の護衛につくと言ったのですが、必要ないとレイモン様が仰るものだから。どうしました?」

「あなたこそ今までどうしていたの?」


 問いかけにクロウは苦笑混じりで応じた。


「いや何城内の視察です。手土産の一つもないとさすがにお叱りを受ける」


 そうか彼はまだ帰るつもりなんだ。今はその気楽さが恨めしい。それでも勝手知った人物と会えたのは心強かった。


「あなたこの状況をどう思う?」

「圧勝完敗ですね。こいつはもう援軍がどうとかの話じゃありません」

「そう、そうなのね」

「民衆を敵に回すとこうなるんですねえ」


 そんなに酷い統治だったのか。アルタニアの王家は腐敗し過ぎていたらしい。


「王族の面も拝みましたよ」

「どこにいたの?」

「地下の牢屋です。まあ惨めな有り様で」

「乱暴されていたりしなかった?」

「いえ全く」

「本当に?」

「言いたかないですがこれからですよ。見せしめに何をされるか想像はつきます」


 嗚呼と嘆息するよりない。

 せめて苦しまずと祈ることしか出来ない。


「で勇者はどうでした?」


 今度はクロウが尋ねてきた。


「話していないの?」

「俺は特に。侍従なのは事実ですし、用事があれば言ってくるでしょう。礼儀も何もありゃしない」


 それはあなたもだけれど、とは口にしない。


「あなたは私の部下よ」

「ご安心を。役に立ちますよ」

「じゃあレイモンの部屋を教えて」

「うん? レイモン様なら地下ですね」

「まさか牢屋に行ったの!」


 思わず声が飛び出たが、クロウはゆっくりと首を振り否定した。

 そしてあり得ないことを口走る。


「勇者と一緒でした。地下っても牢獄のある方じゃありません。もっと下があるらしいですよ」


 クロウは自慢気で悪びれもしない。

 私のレイモンがあんなことやこんなことされていたら、こいつ死刑だ。

 どうしようもない奴だと呆れたが、とにかく捜し出さないと。


「案内なさい」

「地下は冷えます。外套持ってきましょうか?」


 ……頷くが、気遣うところを間違っている。


「じゃちょっくらお待ちを」


 クロウに待たされるとは、私も落ちたものなのだろうか。


 ーー階下は兵士が目を光らせていた。

 けれどクロウが散々顔を売っていたようで、無礼を働く者は一人としていない。彼は彼で、可能な範囲で役割を果たしてということか。

 複雑だけれど、今こうして傍にいてくれるのは正直頼もしい。


「この下らしいです」

「そう」


 生返事をして私は地下への階段を見つめていた。

 吸い込まれそうだ。

 地下何階なのだろう。

 もう三つは降りたと思うのだけれど。


「行きますか」

「いえ様子を見てくるだけよ」

「なら俺が行きますよ。ついでに挨拶もしときたい。野郎の人物評なんて訊かれた時、困りますからね」


 クロウはおどけてみせるが実務的。そうじゃないの。私は不安でレイモンが傍にいて欲しい。レイモンの傍にいたい。


「下にいるのは二人だけ?」

「たぶん……訊いてきましょうか?」

「いえ何かあったら呼ぶわ。ここにいて」

「あいさ」


 とことん軽い。もう好きにして。

 クロウのことは放っておいて、私は更なる地下へと続く階段を見つめた。

 案外素直に足が動いたのは、クロウの軽さに当てられたからかもしれない。


 ーー部屋がある。灯りが漏れている。

 話し声も聴こえてきた。

 入り口にそっと近づき様子を窺う。


「異世界とは驚きですね。そんなこと誰も信じないですよ」


 レイモンの声だ。そっと覗いて見れば着衣に乱れはない。杞憂だった。

 私の可愛いレイモンだけど、勇者にそちらの趣味はないらしい。これなら、案ずるべきはむしろ私の身か。馬鹿馬鹿しい思い込みだった。


「誰も信じねーから苦戦してんだよ。連中は許さん」

「お怒りですね。魔王を倒すのが優先では?」

「阿呆。メインディッシュは最後だ馬鹿野郎」

「そりゃ失敬」


 レイモンは受け流したけど阿呆に馬鹿野郎だと! あのクソ勇者、私のレイモンをなんと心得る!

 くそっ、私に力があれば火炙りにしてやるのに!

 アルタニアの王族達のように!


 ……火炙りはやだなあ。見えないところでやって欲しい。私関わりたくない。

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