暗夜のテールランプ

天洲 町

前編

 徐々に強くなる雨と左右から覆い被さるように立つ木々が作り上げる闇をヘッドライトが切り裂き、タイヤが泥を跳ね上げる。急なカーブが多く、道幅も狭いが慣れた道だ。スピードメーターの針も遠心力を受けているかのように激しく左右に振られている。


 山道を抜けるまでもう少し。


 エンジンを一際唸らせハンドルを右に思い切り切る。視界が左端から順に照らされ、光が正面をとらえた時、目の前には男が一人立っていた。

 軋むブレーキ。スリップするタイヤの匂い。激しい衝撃。闇に呑まれる視界——



 レインコートのフードを叩く雨粒に息苦しさを感じながら、交通課の刑事生瀬宏仁はぬかるむ山の斜面を慎重に下っていた。眼下には太い木に激突した自動車がある。ボンネット部分が無惨に潰れており、黒く焦げたような跡も見られる。それを囲むように黄色いテープが張られ、同じ色のレインコートを着た数名の操作員が辺りをうろうろしていた。宏仁はその中の一人に声をかける。


「お疲れ様です。交通課の生瀬です」

「お疲れ様です。昨日からの雨で現場保存が難しい状況です。先にご覧になられますか?」


 運転席の砕け落ちた窓ガラスをちらりと見る。雨粒がいくつもの筋になり、エンジンルームや車内に流れ込んでいる。


「いえ、雨は一晩降っていましたし今更急いだところで変わらないでしょう。それよりわかっている情報が欲しい」

「了解しました。上の道でもご覧になられたでしょうが、この近くに住んでいる赤城茂三さんをそこの車の高田弘路さんが撥ねた事故のようです。赤城さんの奥さん、高田さんの母親にそれぞれ確認済みです。本人で間違いないと。

 赤城さんの遺体の近くに微かにブレーキ痕が見られました。しかしスピードの出過ぎか雨のせいか谷に滑落。木に激突してようやく止まったといったところでしょうな」


 この峠は所謂走り屋行為をする人間が少なからずいる。車内の高田という男もその類だろうか。そう言われるとアルミのホイールやリアガラスのステッカーなどが目につき車好きなのが見て取れる。しかし形はどうあれ一人の人間を殺めた者を裁くことができないというのは遣る瀬無い。


「死亡推定時刻はどちらも昨日の夜十時から十二時。赤城さんが雨の様子を見に家を出た時間、高田さんと見られる車が麓のコンビニの監視カメラに写っていた時間と計算しても概ね計算が合うようですね」

「なるほどわかりました。じゃあ車見てきます」


 宏仁はスポンジのように沈む枯葉と土を踏み分けて事故車両に近づき、先ほど状況を説明してくれた捜査員も後ろに続く。何往復かすると明日には筋肉痛になってしまいそうだ。


 近くで見るとより事故の凄惨さを感じる。蜘蛛の巣のように入ったヒビで白く見えるフロントガラス。まだまだ見て取れる車内の血痕。萎んで垂れ下がるエアバッグ。水に濡れた芳香剤。雨で炎上が酷くなかったせいか比較的綺麗な車内が、運転していた男をリアルに想像させる。


「体のあちこちに酷い打撲は見られたようですが木にぶつかった時にハンドルに頭をぶつけたのが致命症と見られています」


 先ほどの男が高田の遺体が運び出される前の写真を見せてくる。腕は妙な方向に曲がりだらりと垂れ下がり、頭はハンドルにもたれるようにしていて、流れ出した夥しい血が仮面のように顔を赤黒く塗りつぶしていた。


 見比べるとかなり流れてしまったようだが、ハンドルの上部は確かにより多くの血痕が残っている。


「ドアを開けて中を見ても?」

「ええ、もちろんどうぞ。鍵はかかっておりませんので」


 ドアを開くと車内に染みついた化学的な甘ったるいにおいがむっと鼻をつく。遺体を運び出した時のものなのか足元のマットに泥の足跡がいくつもついていたが、ガラスの破片が散っているくらいでやはり車内は事故車両にしては綺麗なものだった。

 不審なものはなさそうだと思ったが、気になるものを見つけた。


「これは……?」


 運転席の足元にハンドボール大の岩が転がっていた。


「岩……ですね。運転席側の窓ガラスが割れているのはこいつがどこからか転げてきたせいなのかもしれませんね」


 そう言われるとすっかりガラスが落ちて枠だけになっているのは運転席のここだけだと気付く。岩を裏返して見ると細かいガラスがめり込んでいるのがわかった。窓枠のフレームが曲がっているのを見るとかなりの勢いだったに違いない。これが窓ガラスを割ったのは間違いなさそうだ。


「だとすると高田さんの体には岩が激突した跡がありそうですね」

「ですがどれがそうなのかを特定するのは難しいかもしれません。事故死でしょうしそこまで細かな解剖まではされないかもしれませんね」


 宏仁は顎を親指と人差し指で摘み、数秒虚空を見つめてから


「……ありがとうございました。少し調べたいことができましたので署に戻ります」


と言って車を出た。


 濡れそぼる枯葉を踏み分け斜面を登り、自分の車に乗り込んで宏仁は現場を後にした。

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