第一楽章 笛と剣(4)

   ●


 トーンハウス学院は校舎から少し離れた位置に巨大な修練場を保有している。

 その広大さから時折街が主催する闘技大会などにも貸し出されることがあるこの場所は、普段学園の生徒たちが自由に使用することができ、当然実技が絡む授業にも用いられる。

 そして騎士学科、神奏学科にそれぞれ一つずつ存在するクラスが合同で行う講義も、多くはこの修練場で行われていた。

「本日も騎士と神奏術士によるペア——二人組デュオでの戦闘訓練を行います。神奏学科の皆さん、よろしくお願いします」

『よろしくお願いします!』

 今日の合同講義を担当するアルベルが一礼したのを見て、神奏学科の女生徒たちも揃って深々と頭を下げる。

 その中にただならぬ黒い視線が混ざっていることに気がついたモニカは、騎士学科の待機列の中でくすくすと笑いを漏らした。

「見て、ヘリオローズってばすっごい睨んでる。やっぱいいよね〜あの子」

「お前の言う『いい』の基準が気になってしょうがないよ。——ほら、始まるぞ。前向け」

「おっと」

 アルギュロスに背中を押されて向き直った先に広がっているのは修練場の平らなフィールド。

 こうして実際に施設内に入ってみると一層その広さが身に染みる。

「それぞれで修練を始めてもらう前に、またあなた達の中から一組ずつ皆さんの前で決闘形式の手本を見せていただきましょう。——アルギュロス=ハアト候補生、頼めますか?」

「はい」

 教官が指名してすぐにアルギュロスがフィールド中心へと向かう。

 成績優秀者ということもあって彼が選ばれるのはそう珍しいことでもないようで、他の生徒たちも別段人選に反応する様子もなく静かに見守っている。

「パートナーは……ヘリオローズ=ラプターを希望します」

「承知しました。ラプター候補生、よろしいで————」

「待ってましたぁ!」

 向かい側にいた神奏学科の列の中から勢いよく飛び出した赤色がステップを踏みながらアルギュロスと並び立つ。

「では相手は————」

「モニカ=グランテッドを希望します」

 アルベル教官の言葉を遮るように口にしたアルギュロスを見て、思わず周囲にどよめきが広がった。

「……ハアト候補生、相手となる生徒は私が指名します」

「俺たちはまだ彼女の実力を知りません。今後も同じ学科の仲間として修練を共にする以上、今この場でお互いのことを把握しておくことは重要だと思います」

「僕は構いません」

 張り詰めた空気の中、男子生徒の列の中から一本の細腕が挙がる。

「アルギュロス候補生とヘリオローズ候補生の相手は、僕がします」

「……本人がそう言うのなら、認めましょう」

 教官の了承を得たモニカもまた立ち上がり移動すると、アルギュロスたちと対峙するように離れた位置で歩みを止めた。

「よろしくね、二人とも」

「……ああ」

「べーっ!」

 軽い準備運動がてら関節を動かしながら、モニカは視線をフィールド全体へ巡らせる。

 昼休みの食堂で「合同講義のときは相手になる」とアルギュロスへ伝えてはいたが、まさかこのようなタイミングでその機会が訪れるとはモニカも考えていなかった。

 落ち着いているように見えて、アルギュロスはモニカの実力が気になって仕方がないらしい。

 ギラついた感情を肌で感じ取ったモニカの口角は自然と上がっていた。

「それではグランテッド候補生、パートナーの指名を」

「いりません」

「……はっ?」

 間の抜けた声を発したアルベルとともに、その場にいた全員が自分の耳を疑う。

「僕だけで問題ありません。早く始めましょう」

「はっ……はぁ〜〜〜〜!?」

 最初に声を上げたのはヘリオローズだった。

「ふざけるのも大概になさい! 仮にも騎士だと主張するなら、術士のサポートが戦闘においてどれだけ重要か理解しているはずですわよね!? ……まさかとは思いますが、よりにもよってかの英雄を真似ようなどとは————!」

「やめろヘリオローズ」

 興奮気味の怒声をモニカへ浴びせる彼女を制止し、アルギュロスもまた前方に立っている子犬のような恐れ知らずを睨んだ。

「本気で言ってるんだよな?」

「もちろん」

「ひとりで俺たちに勝てると?」

「それはこれからハッキリさせよう。その方がわかりやすくていい」

「……違いない」


 他の生徒たちはフィールドの壁際まで後退しつつ、モニカ、アルギュロス、ヘリオローズの三人は一定の距離を空けながら中心で向かい合っている。

 ヘリオローズは艶消しの黒を下地としきらびやかな薔薇の装飾が施された高級感のある笛を、アルギュロスは鏡のような輝きを放つ銀色の剣を、それぞれ腰から引き抜いた。

「……アル、その剣どこで手に入れたの?」

「あ? ……今話すようなことじゃない」

「それもそうだ」

 戦闘態勢に入った二人を正面に見据えたモニカも満を持して鞘から自らの剣を抜剣する。

「な…………」

「なんですの……?」

 直後、アルギュロスとヘリオローズの表情が困惑で歪んだ。

 モニカが引き抜いた剣は、よくよく見ればまるで笛と刃が一体となったかのような奇妙な外観をしていたからだ。神奏術士が演奏の際に音色を操作するキーらしきものまで付いている。

 戦うための武器————というよりは観賞用の芸術品、といった印象を覚えた。

「おい、なんだその剣?」

「え? あー…………今話すようなことじゃない、でしょ?」

「…………」

 その場の緊張が限界に達すると同時に、両者の間に重たい沈黙が流れ始める。

 ————そんなオモチャで。

 ふざけているのか? と、アルギュロスの中で小さな火花が跳ねた。

「それでは——————始めッ!」

 そして遠くで聞こえたアルベル教官による号令に従い、候補生たちはついに動き出す。

「————ッ!」

「ちょっ……!? アルギュロス候補生!?」

 火蓋が切られると同時に正面へと飛び出したのはアルギュロスだ。

 モニカとの距離が縮まるにつれて疾走する速度を高めていく彼はまさに銀色の風。人間が通常発揮できる瞬発力を軽く超えているように思えるが、周囲で見守っていた生徒たちは特に驚くような反応は見せない。

 血液中に含まれる“呼応力こおうりょく”の覚醒によって実現する運動能力の強化は、男性にとって当たり前に備わる身体機能だからだ。

「勝手に飛び出さないでくださいます!?」

 パートナーとの連携を二の次にモニカへと疾駆するアルギュロスだったが、彼をよく知る騎士学科の生徒たちこそ驚いたであろう。いつものように冷静に状況判断を下す彼とは正反対の行動だったからだ。

 アルギュロス自身も何故そのような行為に及んだのかははっきりと言葉にすることはできない。

 ただ己の中にある大切なもの————矜持と呼べるものを守るために、

 あるいは目の前に立つ少女が本当に自分よりも上にいるのかを確かめるために、

 それらの高揚感にも似た情熱が衝動となってアルギュロスの体を突き動かしたのだ。

(“呼応力”の覚醒は男にしかできない……。生身で戦う術を持たないお前に、どうして俺を越えられる?)

 剣を握る手に一層力が込められる。

(女のお前がどこまでやれるのか——————見せてみろ!)

 跳躍し、風を切りながらアルギュロスは眼下に立つモニカへと勢いよく剣を振り下ろす。

 一方のモニカは手にしていた笛のような剣の歌口へ唇を添え、微塵も焦ることなく落ち着いた表情を保っている。

 修練場は神奏術による特殊な固定術式が施されており、あらゆる殺傷行為は〈曖昧な結果〉として現れる。思い切り剣で斬りつけたとしても、命を奪うような致命傷にはならない。本気で殺し合うつもりで戦ってもせいぜいが半殺し————いや、七割殺しといった程度で留まる。

 だからこそアルギュロスも、剣を振る際に手心など加えない。

単発技法アクセントスマッシュ!」

 シンプルな縦方向の斬撃。騎士候補生の一年生が最初に習得する基本の剣技でありながら、アルギュロスのそれは極めて力強く、かつ精度の高い直線を描いていた。

 しかし教官も思わず首肯するほどの一撃は、相対するモニカへ到達することはなかった。

「……壁!?」

 空中で見えない何かに阻まれた。

 アルギュロスは両腕の筋肉を力ませ、刃に衝突した透明な壁へさらなる負荷を与えるも、まるで突破できる気がしない。

「……! 神奏術か!」

 直後に耳へ流れ込んでくるのは重たい笛の音。

 壁の向こう側で涼しい表情を見せるモニカは、構えた剣——もとい笛で分厚い壁を積み上げるような、荘厳な音色を奏でていた。

 この一瞬の間にモニカが手にしていた得物の刃は〈収納〉され、先ほどよりも一層楽器に近づいた外見になっている。

「アルギュロス候補生! それは《防壁の譜面》ですわ! なにをしても無駄ですの!」

「チッ……!」

 背後から飛んできたヘリオローズの声とほぼ同時にアルギュロスは空中で身を翻す。

 彼が着地すると同時に演奏を終えたモニカは、閉じていた大きな瞳を見せながらふっと余裕のある笑顔で話し出した。

「その通りだよ。この曲は演奏時間に比例して防壁の強度が上がり——完遂すると、周囲に〈三十秒間の絶対領域〉を形成することができる。物理的な攻撃は意味を成さないよ」

「ずいぶんな自信だな。あらゆる物理的障害から身を守る神奏術……。確かに強力だが、身を守れるのはあくまで三十秒間だけだ。そして譜面の構造上、《繰り返しダカーポ》は不可能。再び発動しようにも必ず隙が生まれる。そこを叩けばいい話だ」

「すごいね。騎士学科なのに詳しいんだ」

「戦闘に関わる術は必要知識だ。知ってて当たり前だろ、こんなの」

 そう吐き捨てたアルギュロスに戦いを見守っていた騎士学科の多くの生徒たちが「うっ」と苦い表情を浮かべる。

 自分の周囲に築かれたドーム状の壁を見渡しながら、モニカは再度手にしていた得物の柄を口元まで掲げた。

「……これは」

 疑問が浮かぶとともにアルギュロスの眉間へしわが寄る。

 モニカが演奏したのは先ほどの《防壁の譜面》とは打って変わって軽快な曲調の《譜面》。

 薄々わかってはいたが、モニカが先に展開した防壁は単にアルギュロスの攻撃を防ぐためのものではなかった。三十秒間の絶対領域を作り、追加で神奏術を発動する時間稼ぎをするためのものだったのだ。

 聴いた感じ《防壁の譜面》よりはテンポが速い、八〜九小節ほどの曲。難易度で言えば中級といったところか。

 女性の心臓にのみ宿るとされている“内なる神”——その力を木管楽器による演奏で引き出すことであらゆる加護を対象に与えることができる神奏術は、当然ながら女性にしか扱えないものだ。

(なるほど、神奏術を上手く使って試験監督を翻弄したわけだ)

 モニカの手慣れた動きにアルギュロスは息を呑む。

(だが術士としてどれだけ優れていても、接近戦に持ち込んでしまえば騎士の独壇場だ。……どう考えても俺の敵じゃない)

《防壁の譜面》の効果が途切れるまで残り十秒もない。頭の中でカウントを刻みながら、アルギュロスは腰を低く構えてモニカを視界の中心に据えた。

 やがてモニカの二度目の演奏が終了し、同時に防壁も解除される。

単発技法ウノボルテ!」

 地面に亀裂が走るほどの踏み込みによって生み出される爆発的な直進。

 モニカめがけて放たれたその突き技は、対ディソナンス用に古くから存在する剣技である。

 足先から全身の筋肉、そして剣の先端まで正確に力を乗せることで発揮される威力は、数ある剣技の中でも最高峰と言っていい。

 正面から突貫してくるアルギュロスに対してモニカは防御姿勢をとることなく、リラックスしているようにも思える佇まいで前方を見つめている。

 今度こそアルギュロスの繰り出した刃が彼女を捉えようとした次の瞬間、

「…………!?」

 視界からモニカの姿が消失した。

 力の行き先を失ったアルギュロスの剣はバランスを崩すも、瞬時に足腰へと力を戻して体勢を立て直す。

「やるね、アル」

 耳元で囁かれ、左に回り込まれたとアルギュロスはすぐに察知する。

 咄嗟に体を回転させながらブレーキをかけ、一定の距離を空けつつ再びモニカと対峙した。

「今の動き……」

 常人では考えられない身のこなしを目の当たりにし、アルギュロスの中で緊張が芽生える。

“呼応力”を覚醒させた体の動きを見切られた。アルギュロスの放った突き技を完璧にいなし、それに匹敵する速度でモニカは彼の背後をとって見せたのだ。

「どういうことだ……?」

「ご静聴ありがとう」

 モニカは〈笛を〉騎士然とした構えに直し、相対するアルギュロスへと眼差しを突きつける。

 小さな手に握られていた楽器から、再び両刃が展開した。

「ここから先は——元気にいこうか」

 刹那、残像を置き去りにしたモニカが迫った。

 息をするのも忘れ、アルギュロスは向かってきた剣閃に対して反射的に防御の剣を振るう。

二連技法ドゥエボルテ

「ッ……!」

 衝突するのは互いに解放した二連撃。

 鍔迫り合いになるのも束の間、バックステップで切り別れたモニカは休むことなくアルギュロスへと技を浴びせていく。

三連技法トレボルテ!」

「三連技法……! 《プレストコール》!」

 続けて四連、五連、六連、と徐々に高度な剣技による攻防へと移っていく。

 一年生のレベルを軽く逸脱した戦い————それに両者とも付いてこれているという事実は、観戦していた全ての人間に喫驚を植え付けた。

「それっ!」

「ぐっ……!」

 ギィン! と腹の中を突き抜けるような音を刃と刃で反響させ、モニカとアルギュロスはまたしても互いの間に距離を作る。

 思わぬ展開に険しい顔のまま愕然としつつ、アルギュロスは肩を小さく上下させた。

「それも神奏術か?」

「どう思う?」

「そうじゃないと説明ができない。女の血に“呼応力”は含まれていない以上、身体能力を底上げする術を使ったとしか…………」

「正解。《強化の譜面》って言ってね、その昔護身用に開発された術なんだってさ」

 そう語るモニカの言葉を聞いて、アルギュロスは脳内で頭を横に振った。

 どんな術を使ったかは問題じゃない。

 モニカはアルギュロスを上回る完成度で剣技を繰り出してきた。現役の騎士にも劣らない精度だった。

 底が見えない。先ほど散々斬り合ったというのに、見たところ体力も大して消耗していない様子だった。

 最小限の動きで、最大限の力を。

 それに気になるのはそこだけじゃない。

「……《防壁の譜面》に《強化の譜面》。編入試験のときも同じ条件下で教官と戦ったのか?」

「まあ、だいたいはね」

「なら今朝話してた『五十二秒』ってのは……」

「もちろん、術を発動する時間も含めてだよ」

 当たり前でしょ、とでも言いたげなモニカに対し、アルギュロスは動揺が顔に出ないよう強張らせながら、ただただ愕然とするしかなかった。

 ふたつの神奏術を発動する時間がそれぞれ十秒と少し。控えめに見積もって計二十秒かかるとしても、そこから戦闘を開始して教官を打ち負かすまでの時間は……たったの三十二秒。

 ……現役で“ディソナンス”や外道士を相手にしている騎士を、三十二秒で?

 もはや模擬戦が始まる前にアルギュロスが感じていた〈侮り〉は、彼方へと消え失せていた。

「……俺はお前がわからない」

「ならもっとやろう。僕らは最初から、そのために戦ってるんだから」

 モニカは最初から今に至るまで微笑みを崩そうとしない。まるでアルギュロスを推し量るように、はるか高みから彼を見下ろしている。

 アルギュロスよりも自分の方が優れていると、モニカの振る舞いはそう語っていた。

 そうなればアルギュロスの中で巡る思考はただ一つ。

(その高慢を————叩き折ってやる)

 沈黙の中、両者の間には火花が散っている。

 先に踏み込むのはどちらか。相対するふたりの集中が最高潮に達したとき、

「……!」

 虚を突かれたモニカの表情から笑みが消え、慌てて後方へ跳躍。

 直後に彼女が立っていた真下の地面に亀裂が走り、そこから無数の荊棘が伸びるとモニカを追尾し始める。

「黙っていればさっきから……! このわたくしを無視すんじゃねえですわッ!」

 そう叫んだヘリオローズの憤慨と連動するように、一箇所だけに留まらず荊棘は次々と大地を突き破ってモニカを包囲していった。

「なにこれ……ヘリオローズがやってるの?」

「アーハッハッハ! 驚きましたか慄きましたか!? 無演奏による《薔薇の譜面》、とくと味わいなさい! ですわ!」

「相変わらず後処理が面倒そうな術だな」

 無演奏————本来笛によって行う《譜面》の演奏を術者の脳内で完結させる技。自らの発する音色ともたらされる加護のイメージを明確に両立させなければ成り立たない高等技術だ。おそらく使える《譜面》は限られるだろうが、ヘリオローズは一年生の身でそれが可能らしい。

「これでチェックメイトですわ!」

 モニカの逃げ場を無くした後、先の防壁よろしくドーム状に展開された荊棘の壁は彼女を圧殺せんばかりに縮んでいく。

単発技法エネルジコサークル!」

 しかしその包囲網はモニカの繰り出した回転斬りによって瞬く間に放散してしまった。

「……え!?」

「なかなか厄介な術だね。先に落とすとしよう!」

 そう言って地面を蹴り、モニカは稲妻のような鋭さでヘリオローズのもとへと切り込んでいく。

「ちょっ……! ちょちょちょちょちょちょちょ————っ!? こっち来んなァ!」

「まずい……っ」

 慌ててモニカを追うアルギュロスだったがどういうわけかまったく追いつけず、一方的に彼女との距離を引き離されてしまった。

「このっ!」

 自分の身を守るため、ヘリオローズは絶えず地面から強靭な荊棘を射出してモニカの迎撃を図る。

「ふっ——————!」

 だが対するモニカは器用に全身を捻り、回避を交えながら悉くそれらを斬り捨てて突き進んだ。

 気がつけばモニカはヘリオローズの眼前まで肉薄し、いつでも彼女の首を取れる体勢に入っている。

「ほいっ」

「んぎゃっ!」

 そして流れるように背後へ回ると、剣の柄を用いてヘリオローズの首筋へ適度な打撃を打ち込み気絶させるのだった。

 足元で目を回しているヘリオローズからアルギュロスへと視線を移し、どこか真剣な面持ちでモニカは口を開く。

「これは君の失態だよアル。神奏術士は対人戦で真っ先に狙われることも多いんだから、ちゃんとフォローしてあげないと。……実戦ならここで終わりだよ?」

「…………ッ!」

 間髪入れずに接近したアルギュロスの剣がモニカの胴に迫る。

 モニカが避けられないタイミングで放たれたそれを刃で受けて駆け出すと、今度は引き離されることなくアルギュロスが食いついてきた。

 そのままフィールドを疾駆しながら、両者ともに一歩も譲らない攻防を展開する。

「さっきより数段速くなってる……! お前、無演奏で何か術を発動してるな!?」

「当たり! 《加速の譜面》をね! 習得するのに苦労したん————だっ!」

 全身の力を乗せて振るわれた斬撃が飛び、寸前で避けたアルギュロスのこめかみを冷たい風が撫でる。

 完成度の高い剣術だけでなく、神奏術——それもイメージを構築することが難しい肉体強化系の術を無演奏で発動するとは。

 どう考えても尋常ではない。そんな芸当、相当に戦い慣れした人間でなければ不可能だ。

「——上等!」

 一気に勝負を決めるため、アルギュロスは力強く前へと踏み出す。

 ——認めるしかない。目の前にいる少女が自分より優れていることは疑いようのない事実だ。だがそれは諦める理由にはならない。

 モニカがこの場の誰より強いのなら、今ここで彼女を目標と定め、打ち破ってみせよう。

「十五連技法!」

「……!」

 アルギュロスが技の構えに入った瞬間、モニカの顔が驚愕に染まる。

 当然だ。学園で習うことはない、それどころか今から放つこの剣技を使えるのは国中を探してもアルギュロスただひとりだ。

 何故ならこれはアルギュロス自身が編み出した秘技。カウンターを放つタイミングも読めず、回避も許されない状況となれば直撃は免れない。

 まずは初撃。

 銀色の刃が薙ぎ、モニカの体を確実に捉え————————


「極限技法」


「……は?」

 次の瞬間、地に伏していたのはアルギュロスの方だった。

 耳鳴りがひどい。頭から爪先まで痛みに支配されており、まるで立ち上がれない。

「僕の勝ち」

 うつ伏せのまま眼球だけを動かして上を見ると、そこにはモニカの子犬のような笑顔があった。

 何をされたのかわからない。混乱する脳を叩き起こし、アルギュロスは直前の記憶を引きずり出す。

 ————斬撃だ。

 いくつあったかも判断できない、無数の斬撃が一息の間にアルギュロスを襲った。

 神奏術なのか、剣技なのか、それすらもわからない。理解できない。何もかもが。

「あー、いたたた……ちょっと加減間違えたな。反動で腕が……」

「……い」

「折れてはいないよね……? 動きに支障は——っつ! イッタ! やっちゃったなこれ……!」

「おい!」

 何やら肩を回したり肘を曲げ伸ばししているモニカの背中へアルギュロスは呼びかける。

「ん?」と振り返った彼女は右手をヒラヒラさせながら、横たわっているアルギュロスと視線を交差させた。

「お前……一体何なんだ?」

 素朴な疑問だった。

 モニカは笑顔を保ったまま、それでいて引き締まった表情へと変わり、握っていた笛のような剣を鞘へ納めながら返答する。

「自己紹介は済ませたはずだけどね。けど何度でも名乗るよ。僕の名前が君たちに刻み込まれるまで」

 アルギュロスが瞬きをして次に目を開いたときには、そこに無邪気な少女の姿はなかった。

 もっと気高く、力強い————騎士然とした存在があった。


「僕はモニカ=グランテッド。……いずれ最強の騎士になる人間だよ」

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