第一楽章 笛と剣(3)

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 トーンハウス学院は主に神奏学科の第一棟、騎士学科の第二棟、図書館や食堂に加え職員たちの研究室などがある第三棟の三つで構成されている。

 それぞれの学科の生徒同士は合同講義以外では授業中に顔を合わせることは少ないが、昼休みになると多くの人間が食堂や図書館を利用するために第三棟へ集まるため、そこでは紅と白の制服が入り乱れる様子が観察できる。

「ここが学園の図書館だ。騎士候補生が借りるような剣術指南書はもちろん、術士候補生が使う譜面の原本とかもここで管理してる」

「なるほど……。どうりですごい数」

 騎士候補生アルギュロス=ハアトは現在、アルベル教官から頼まれた編入生の校内案内を遂行している最中であった。

 三階構造となっている図書館のど真ん中に立ち、モニカは辺りを埋めるように保管されている蔵書に感嘆の声を漏らす。

 気品のある静けさで満たされたその空間は足音ひとつ立てるのにもつい神経を使ってしまう。

「これだけ本があるなら知識には困らないね。来てよかったなぁ」

「……しつこいようで悪いけど、グランテッドさんは」

「モニカでいいよ。君のことは『アル』って呼んでもいいかな? アルギュロス〜だと長いし」

「——モニカは、術士候補生ではないんだよな?」

「うん、違うよ。僕は正真正銘、騎士候補生」

 気持ち良さすら覚える屈託のない声音で答えたモニカに対し、アルギュロスは幾度目かの仰天に襲われた。

 騎士学科の紅い制服に——珍しい形状をしているが腰に下げている物は確かに騎士の命たる剣だ。装いに目立っておかしな部分はないが、モニカが少女であるというただ一点だけでその全てが常識から外れたものに変わる。

 完成された楽譜の中に発生したノイズか、あるいは個性を表すアレンジか。

 アルギュロスを含め、トーンハウスの生徒たちがモニカを見る目は明らかに前者であった。

「次はそうだな……。ちょうどお昼なんだし、食堂に案内してくれないかな。一緒に食べようよ」

「あ、ああ」

 モニカのどこか無邪気さを帯びた表情と振る舞いはアルギュロスの緊張をほぐしかけるも、彼はその度に今朝のことを思い出して再び身構えてしまう。

 ——現役の騎士である教師を相手にした実技試験で一分を切るなど、任務に駆り出されることもある上級生でもそうザラにはいない。

 この小柄な少女のどこに、そんな力が秘められているのか。

 この子犬のような彼女に、自分のこれまでの研鑽は容易く飛び越えられたというのか。

 隣を歩く少女が、ひどく遠くに感じる。

「今日は俺がご馳走しよう」

「えっ、いいの? 僕めちゃくちゃ食べるけど……」

「いい。監督生の務めの内だ」

 複雑に絡まった心に頭を悩ませながら、アルギュロスは必死に平常心であるかのように振る舞った。



「う〜んおいっしい! すごいやここの料理! メニューの数も質も一級品だね!」

 食堂片隅の席に座っていたアルギュロスは、向かい側で大量に積み上げられた皿とミートパイを頬張り満足げな笑顔を見せるモニカに対してまたしても愕然としていた。

 騎士学科の制服を着た女子生徒。それだけでも周囲の目を集めるのは避けられないことであるが、底なしかと思えるほどの食欲はさらに目を見張るものがある。

「すっ……すごいな。まだ食べるのか?」

「食べれるね〜。ほら、僕って君たちと比べてまだまだ体が出来てないし、沢山食べて筋肉つけないとだからさ」

「目的はわかるけど、その食欲とは結びつかないだろ……」

「さっきも言ったけど、ここの料理がすごくてつい、ね。こんなランチが毎日食べられるなんてここの子たちは幸せだよ。——ていうか、アルはそのプレートに乗ってるのだけでいいの? 騎士を目指すならもっと血と肉を増やさないと。男の子なら尚更ね」

 口元にパイの食べかすを付けたまま、モニカはアルギュロスの眼下に置かれているオムレツとパンを小指で示す。

 これでも騎士学科の生徒のために量は盛られている方なのだが、モニカからしてみればどうにも物足りなく見えるらしい。

「同意できるが、食べ過ぎるのは逆効果だ。午後には神奏学科との合同講義もある。腹が膨れて十分なパフォーマンスが発揮できないなんてことになったら滑稽だぞ」

「合同講義?」

「把握してなかったのかよ……。今日は二人一組デュオでの戦闘を想定した模擬戦だ。——そういえばお前のルームメイト、」

「模擬戦!」

「うおっ!?」

 身を乗り出してきたモニカの顔がアルギュロスの目の前まで迫る。

 大きな瞳を煌めかせながら、彼女は鼻息を荒げてまくし立てた。

「いいねー! 待ってたんだぁそういうの。誰と誰が戦うの?」

「べ、別に決まってはいない。その時その時で教官が決めたり、生徒が————近い! ちゃんと座れ! 口の食べかすを落とせ! 候補生に相応しい作法を身につけろ!」

「おっと……ごめんごめん。つい高ぶっちゃって」

 笑みを崩さないまま話すモニカにアルギュロスは細めた目を向ける。

 彼女の子どもっぽさが残る言動からは騎士の威厳など感じられるわけがなく、実績と印象のギャップに混乱させられっぱなしだ。

 ————やはり何かの間違いではないか?

 アルギュロスの中でモニカの評価が揺らぎ始めたそのとき、嵐は唐突にやってきた。


「モニカ=グランテッド!」


 その一声が響き渡った直後、賑やかだった食堂に緊迫した空気が流れ始める。

 皆の視線が集まりだした出入り口前で腕を組みながらどっしりと構えた神奏学科の生徒がひとり。

 振り向いたアルギュロスは揺らめく炎のような長髪が視界に入ってすぐに嫌な予感を察知すると、眉間を押さえて深くため息をついた。

「君は————ヘリオローズ=ラプター。今朝ぶりだね。どうしたの? 血相変えて」

「ど・う・し・た・のじゃないですわよ! 話はまだ終わっていなくてよ!? ちゃんとわたくしが納得する説明をしやがれですわァ!」

「えー……だから何回も言ってるじゃない。僕は騎士候補生なの。けどあくまで女子って扱いになるから寮は神奏学科の子たちと同じなの。わかるでしょ?」

「わかりませんわ全然わかりませんわ! あなたの言葉も着てる制服も腰にある剣もぜーんぶわけわかんないですわァ!」

「ともかくこれからよろしくね」

「勝手に話を終わらせないで頂けます!?」

「だって君いくら言ってもわかってくれないし……。あ、お昼一緒に食べようよ。人間、食卓を囲めば仲良くなれるんだからさ」

「お断りしますわ……! ——アルギュロス候補生!」

「なんだよ」

 前触れもなく矛先を向けられたアルギュロスは口をへの字に曲げながらヘリオローズを見上げる。

「このちんちくりんの小娘が将来“騎士”に——ダレン様と同じ肩書きになるだなんて想像もしたくありませんわ! 一体いつから騎士学科は男女の社交場になったんですの!?」

「『様』……?」

 ヘリオローズが発した単語のひとつに応じるように、微かにモニカの眉が動く。

「試験は突破したって言うんだ。……認めるしかないだろ」

「仮にも監督生でしょうがあなた! ハッ! 見損ないましたわ失望しましたわ! わたくし怒りで震えが止まりませんわー!」

「プリプリしてて面白いねこの子」

「趣味悪いぞ。改めろ」

「なんですってぇ!? もーーーーう我慢なりませんわ! 合同講義を楽しみにしていなさい! この最高にして至高のヘリオローズ=ラプターが手ずから裁きを下して————!」

「ああっ! リオちゃんいた! ダメだよ食堂で騒いじゃ!」

 湯気を噴き出す勢いでモニカに食らいつくヘリオローズを止めたのは二人目の乱入者だった。

「ええい離しなさいフィーネ! わたくしの堪忍袋は既に限界突破していますのぉ!」

「みんなの迷惑だよ! ほら、戻って近接戦闘の対策しよ?」

「い〜! 嫌ですの〜! そんなことしたらまた筋肉痛に——————!」

 友人に引きずられて退室したヘリオローズの姿が見えなくなった後、アルギュロスは眼下にあるプレートを視界の中心に収めながらモニカへぽつりと言った。

「————とまあ、今のは大げさな例だが……ハッキリ言って他の奴らも現時点でお前に抱いている印象は、あの赤いのとそう変わらないだろう」

 事実を伝えたつもりでもやはり嫌な言い方に思えてしまい、アルギュロスは彼女の顔を見ることができなかった。

 男は“騎士”に、女は“神奏術士”に。ある合理的な理由からそのように築かれてきた歴史は人々の常識として浸透し、疑う者はいない。

「……正直な話、俺もまだお前が騎士学科に在籍していることが信じられない。そう周囲から思われることもわかってたはずだ。その上で騎士を目指すワケはなんだ?」

「簡単さ。僕は今のかたちこそ、僕の実力を一番発揮できると確信している」

「と言うと?」

「わからないなら、見せるよ」

 モニカが椅子から立ち上がる音が聞こえ、アルギュロスは反射的に顔を上げては彼女と視線を交わす。

「僕が紛れもなく騎士候補生だってことを、〈君たち〉に証明するよ。————この後の合同講義ってやつ、模擬戦やるんでしょ?」

 その瞳の中の輝きは、出会い頭のそれよりも輝いているように見えた。

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