第一楽章 笛と剣(1)

 この世界唯一の国家、『シンフォニーアイランド』。四方を海に囲まれた大陸の上に築かれたこの文明は、古来より“音”と共に発展を遂げてきた。

 静寂が広がる北部『ポダッカ』、大部分の人口を占める中間区域『セーニョ』、王都の位置する南部『トゥコー』。三区域で構成された土地の秩序を保っているのは、各地域で活躍する“騎士”そして“神奏術士しんそうじゅつし”たちである。


「はぁ……っ……はぁ……っ!」

『セーニョ』随一の商業都市『ドリアン』。その裏街道を駆けるのは冷や汗で額を濡らしている賊の男。

 街の景色に溶け込みやすい、特徴のない衣服に身を包んだ姿は最近巷で警戒され始めた窃盗犯であることを覆い隠す。しかし出で立ちに似合わない学生鞄を大事そうに抱えていることで、その怪しさは一気に拍車をかけていた。

「その辺で諦めとけ」

「ひっ……!?」

 上空から投げかけられた声に怯み、足が止まりかけた瞬間に男の視界がひっくり返る。

 すぐそばの屋根から飛び降り、瞬く間に男を取り押さえたのは深い紅の制服に身を包んだ年若い少年だった。

「暴れるとケガするぞ」

 銀の短髪と同じ色の鋭利な眼差しを男から離し、拘束する手に力を込めながら少年は冷静に男が取り落とした学生鞄を見やる。

「いってぇ……っ! 離せクソ!」

「白昼堂々、トーンハウスの生徒を狙ってひったくりとは恐れ入った。……っと暴れんなって。折れるぞ?」

「……ハハッ!」

「なに笑って——————」

 背後に気配を察知するや否や、少年は即座に捕らえていた男の後頭部を踏みつけて失神させる。

「ぐぉ……ッ!」

 勢いをそのままに宙返りを見せた彼はすぐさま方向転換。忍び足で近寄ってきた大柄な男の頭部へ回し蹴りを炸裂させると、先ほど伏せた男へ被せるように転倒させた。

「そういえば二人組って話だったか、あんたら」

 完全に気を失っている二人へ吐き捨てた後、奴らが持ち逃げしようとしていた鞄を拾い上げ、手のひらで軽く土埃を払う。

「あ、アルギュロスく〜ん! ——いた!」

 表通りから聞こえたのは息が上がった少女の声。

 名を呼ばれた銀髪の少年————アルギュロス=ハアトは手にしていた鞄を差し出すと、慌てた様子で駆け寄ってきた、自分とは対照的な純白の制服を着た少女に向けて言った。

「たぶん大丈夫だと思うけど、壊れてないか確認しとけ。学園に申請すれば修繕が終わるまで代わりが支給されるはずだ」

「ありがとう! ……うん、見た感じ傷ついてはいないみたい」

 渡された鞄の中から楽器ケースを取り出し、少女は中身の笛の無事を確認するとホッと胸を撫で下ろした。

「ごめんね。わたしの不注意でアルギュロスくんまで危険な目に……」

「気にするな。笛は術士にとっての剣、命そのものだ。奪われるのをただ見てるだけってわけにはいかない。連中もパッとしない奴らだったしな」

「え? …………ええっ!?」

 後ろを確認しながら語るアルギュロスを見て、少女は傍らで伸びている窃盗犯二人の存在に気がつく。

「戦ったの!?」

「いいや? とっ捕まえただけ。雑魚すぎて話にならなかった」

「だ、ダメだよ! ちゃんと騎士の人を呼ばなくちゃ! 助けてくれたのはありがたいけど……!」

「その騎士が盗賊なんかに及び腰な方がダメだろ」

「アルギュロスくんはまだ候補生でしょ?」

「……かの有名な騎士ダレンは正式なライセンスを持っていないって話だぜ」

「……あのねぇ」

「ひーっ! ひーっ! 二人ともぉ〜……! どこに行ったんですのォ……ッ!?」

 少女が困り眉で諭そうとしたところで、再び表通りからアルギュロスたちを探す声音が飛んでくる。

「リオちゃん、こっちだよ」

「ふ、フィーネ……アルギュロスこうほせ……あなた達、走るの、はや……っ」

「お前がトロいんだよ、ヘリオローズ」

 アルギュロスの隣に佇んでいた空色の髪を揺らす少女——フィーネ=ピカロの手招きで裏街道へと千鳥足でやって来たのは、彼女と同じ雪のように白い制服の女学生、ヘリオローズ=ラプター。

 背中になびく長髪と同じ、燃えるように赤い前髪を留めていた薔薇の髪飾りの位置を直しつつ、胸元の邪魔そうな膨らみを振り乱したヘリオローズは二人のそばで膝に手をつくと、鬼気迫る表情で深呼吸を繰り返した。

「それで……っ!? わたくしの親友の鞄を盗んだ救いようのない不届き者はどこに……!? この最高にして至高であるラプター家の次期当主、ヘリオローズ=ラプターが手ずから裁きを下してさしあげますわーーっ!」

「んじゃ、早いとこ近くの騎士団ギルドに通報しないとな。できれば遅刻は避けたい」

「う、うん」

 鼻息を荒げながら眼光を尖らせるヘリオローズを尻目に、アルギュロスは懐から取り出したロープで気絶している窃盗犯たちの腕を縛り上げる。

 その様子を見たヘリオローズは目を丸くさせると、恐る恐るにフィーネの肩をつついて尋ねた。

「……フィーネ、これは一体……?」

「鞄、アルギュロスくんが取り返してくれたんだよ、リオちゃん」

「……ぐ、ぐぬ、ぬぬぬぬぬぬぬぬ……!」

「リオちゃん?」

「アルギュロス候補生!」

「んだようるさいな……」

 窃盗犯の拘束を済ませたアルギュロスは面倒くさそうにヘリオローズの呼びかけに応じる。

 ずかずかと大股で歩み寄ってきた彼女から思わず後退しつつ、アルギュロスは鬱陶しい言葉の数々を一身に受け止めた。

「まずはわたくしの親友を助けていただいたことに感謝いたしましょう! ありがとうございます! ですわ!」

「礼ならさっき本人から聞いたよ」

「しかぁし! その気になればわたくしが即座に彼らを捕まえられたことをお忘れなく! わたくしの神奏術にかかれば盗人の一人や二人や三人や四人——————」

「わかってるわかってる。それより俺こいつら見張ってるからさ、フィーネと二人で騎士を呼びに行ってくれないか?」

「言われなくとも! 行きますわよフィーネ!」

「あまり急ぐと転んじゃうよ? リオちゃん運動ダメダメなんだから」

「なーに言ってるんですの子どもじゃあるまいし——ふぎゃっ!」

「ほら、ゆっくり行こうよ。騎士団の事務所、そんなに遠くないから」

「朝から大変だな……」

 表通りへ向かう少女二人の背中を見送りつつ、アルギュロスは今回は抜くことがなかった腰の得物へと目を落とす。

 透き通るような銀色の剣。

 それはアルギュロスが身にまとっている制服以上に、彼を騎士たらしめている象徴であった。

「……少しは近づけてるかな」



 この世界には古来より“ディソナンス”と呼ばれる人類の天敵が存在する。

 発生源、繁殖方法は不明であり、奴らに関して分かっていることは現代でも極めて少ない。

 ただどこからともなく現れ、人々が生み出す“音”に惹かれて暴威を振りまく怪物である以上、それらと戦い国家の治安維持を図る役目を背負った者たちが必要になる。それが“騎士”だ。

 ディソナンスの事件で記憶に新しいのは、やはり一年前に起きた“ディザストロ”侵攻だろう。

 他のディソナンスを取り込み、その能力を獲得する力を持っていた奴は、僅か数日で政府の最高戦力でも手がつけられないほどの災厄へと成長してしまった。

 加えて山よりも大きく、大洋を思わせる底なしの再生能力。ディザストロは間違いなく歴史上最大級の“ディソナンス”であり、世界の調和を乱す巨大な不協和音であった。

 現れたのが『ポダッカ』の辺境地であったことが幸いして民間人の犠牲者は出なかったが、アレが討伐されないまま王都まで侵攻を続けていたと想像すると怖気が走る。


 そして最終的にその“最強のディソナンス”を討ち取ったのは、やはり“最強の騎士”だった。


 それが“騎士ダレン”。ライセンスを持たず、政府の機関に所属しないアウトローでありながら“外道士”ではなく“騎士”として世間に認められている唯一の人間。

 自分たちの管理下にはないダレンを政府は疎ましく思いながらも時には都合よく利用していたようで、ディザストロの一件では彼に政府から直々の協力要請があったという噂も聞く。

 やがて多くの人々が期待した通りダレンはディザストロを討ち取り、彼は正真正銘この国の英雄となった。

 きっと今もどこかで人知れず剣を振るい、彼の力を必要とする者たちを救っているのだろう。

(いつか俺も、あの人のような騎士に)

 その存在は、アルギュロスを含めた多くの騎士候補生たちの原動力になっていた。

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