怪物の作り方

きぬもめん

もう誰も怪物を見ていなかった

 チョコレートケーキ。有名なパティシエが作った芸術品のような限定品は僕の前で淑やかに座っている。上に塗られた艶やかなチョコレートはこちらを誘う口紅の様で、断面から覗くクリームとスポンジはまるで重ねられたフリルのドレス。

 チョコレートケーキは皿の上で上品に笑っている。今からどんなに繊細な手つきでフォークを入れられるのか、それを今か今かと楽しみにしていた。


 だから僕が乱暴にフォークを突き刺した時、ケーキは酷く驚いたらしかった。


 ※※※


 完成されていたものが崩れる瞬間が好きだ。自分の手で壊すのが好きだ。

 それは出来上がるまでに苦労していれば苦労しているほどよくて、より完璧なものであればなお最高だ。完璧であればあるほど壊した時の快感は何物にも代えがたい。


 今考えると、昔から壊すためにばかり作っていたように思う。砂のお城、ピカピカの泥だんご、積み木で出来た家。完成した瞬間は満たされないのに、それを蹴り飛ばす時は意識が遠くなるほど興奮したものだ。

 そんな鬼ごっこやおままごとより、意味のある物がくだらないガラクタになることを何より喜ぶような子供だったせいか、周りは当たり前に僕の頭を疑った。テンプレートから外れた子供を、気味悪がっていた。


「ほら、あの子よ。例の……ちょっと変な子」

「そうそう。この間もおもちゃ壊して笑ってたって」

「なんかちょっと……、ねえ?」


 そんな声が遠巻きに聞こえるのは日常茶飯事で、周囲の声に縮こまりながら両親は幼稚園児の僕を病院に連れて行ったことを覚えている。何か悪いことをしたわけでもないのにと、不思議に思ったことも。


「検査の結果ですが、お子さんはいたって健康ですよ」

「……本当ですか? 脳の異常だとか、その、障がいとかは―――」

「いいえ。物を壊してしまうのは元気が有り余っているからかもしれませんね」


 結果は正常。頭にも精神にも異常はなく、両親だけが医者の言葉を絶望した表情で聞いていた。


「お家でもよく見てあげてください。こういった行動は子供からのサインである場合も多く――――」

「……はい……はい、分かり、ました」

 

 正直、あの時の話の内容はよく分からなかった。ただばね仕掛けのおもちゃのように首を動かしていた両親とは反対に、異常がないことに安堵したような医者の顔を今でも何故か思い出すことがある。


 僕が病気でないと分かった後も周囲の反応は変わるわけでもなく、誰かが言ったらしい「あの家は子供に恐ろしい教育をしている」なんて根も葉もない噂だけが病院から帰って来た僕たちを迎えてくれた。僕らは何もしていないのに、噂はさざ波のように広がる。その発生源がどこか突き止めるだけの体力も、やめてくれという気力も、息子の異常を正常だと診断された両親には残っていなかったらしい。僕ら家族にはひそひそ声と、孤立だけが残された。


 同じような理由で幼稚園を3回、小学校を5回。中学を6回変えたところで両親は限界を迎えたらしい。それに気づいたのは満点のテスト用紙を見せても何も言われなくなった日のことだ。もう妙なお祓いに連れていかれることもなくなった。


 行く先々に付きまとってきた噂は広がるだけ広がって、僕はあっという間に幼い怪物になった。


 ※※※


 ココア味のスポンジに、地層のごとくクリームが重なったそれへスコップではなくフォークを突き立てる。切り分け、食べやすい大きさにカットしているうちに皿の上はあっという間に凄惨な事件現場へと変貌していた。ケーキバラバラ殺人事件。被害者は可憐なチョコレートケーキ。

 美しい芸術品からただのクリームとスポンジの残骸に成り果ててしまったそれに満足した後、僕は詰め込むように口へ運んだ。事件現場から証拠を拭う犯人のように素早く、こっそりと。食べ物は粗末にしたくない。


 めちゃくちゃにしたケーキをすっかり胃に収めてしまってから、僕は部屋全体を見渡して満足のため息を吐いた。部屋の中は完璧だった。完璧にめちゃくちゃだった。


 初めはただの手段だった。母のお気に入りの花瓶をうっかり落として割ってしまった時、忙しい彼らが止まって僕を見てくれたから。心配して、叱ってくれたことが嬉しかったから物を壊した。僕の小さな声を無視する友達が、驚いて見てくれるから物を壊した。

 何かを壊せば僕を見てくれる。それが大事で綺麗なものほど、僕を見て、知ってくれる。無関心でいることをやめてくれる。向けられる視線が嬉しくて心地いい、僕にとっての大事なコミュニケーション。そのはずだった。

 そのはずなのに、どうしてか。今はただ物を壊すのが楽しくて仕方がなくなっている自分がいる。


 カーテンを切り刻むことは何より熱中できた。食器が一枚残らず棚から落ちてくる様は土砂降りの雨のようで胸がスッとした。テーブルの足を切る感覚は不思議で、切り裂いたソファーから見える綿とスポンジはまるでケーキの断面図の様で心が躍った。


 楽しかった。ただただ楽しかった。

 壊すと頭がすっきりした。モヤモヤも悲しいことも全部紙屑のように吹き飛ばしてくれた。食器が割れる音は耳を塞いでくれたし、布を切り裂く感覚は僕を酷く安心させた。

 何も考えなくてよくなって、頭がだんだん空っぽになって、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して、壊して壊して。


 そして破壊ですっかり満たされた、満足のいく部屋になったのを見て僕はひとり、首を傾げる。


 ――――、壊していたんだっけ。


 何か大切なことがあった気がして、けれど思い出そうとすると酷く苦しくて、悲しくなるから。

 僕はその辛さから逃げるように、クリームがついた皿を高く振り上げた。

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