第16話 有料秘密基地
待ちに待ちに待った土曜日。
快晴が続いて、空には雲ひとつない外出日和だ。日差しが暑いかとも思ったが、時折流れる春風が緩和してくれる。
電車に乗り、都心に向かう。
渋屋駅から少し歩くが、オレの借りているトランクルームがそこにあるのだ。
大きめのスーツケースをからころと曳きながら、清々しい中に排気ガスの混じる忙しない街を行く。
今はまだ『七星遙』の格好なので、誰かに呼び止められることもなかった。
『七星遙』の格好と言っても、首から上だけの話だ。学校に行く時と同様の眼鏡と前髪を降ろした姿。それからオリーブ色のバケットハットを被っている。
服装は裾が広がっている真新しいジーンズと無地のシャツ。その上から同じく無地のジャケットを羽織っている。
見る人が見れば、同じ服の持ち主が山ほどいるファストファッションの商品だと分かるだろう。
木を隠すには森の中。目立ちたくない場合は重宝する。
それはそれとして、最近は質が上がってきて、価格の割には出来が良い。何と言っても楽に着れて利便性が高いところが良い。
今日は利便性の欠片もない服をいくつも着て写真を撮りまくる予定だ。移動中や休憩中は楽に着れる服にしておかないとリラックスしにくいからな。
『熾光』の時でも忙しそうな時はこういう楽な格好をすることがままある。『熾光』の時はどんな服を着てても最大限ポテンシャルを発揮する努力をするから、ファストファッションでもよく話しかけられて時間に遅れそうになる。
顔を隠すだけで見つからなくなるのだから人間は愚かだ。
もちろん顔をいじりまくって悦に浸るオレが言えた話ではない。
トランクルームに到着し、入り口でカードキーを読み込ませる。
ここのトランクルームは比較的割高なのだが、二十四時間利用可能で換気がしっかりしていて綺麗に維持されている。オート電子ロックが実装されており、スタッフは常駐しているが顔を合わせずに利用出来るのがポイントだ。スタッフに相談すれば効率的な収納の仕方を教えてくれたり、ルームの不具合などすぐに対応してもらえる。
エレベーターで三階まで上がり、一番奥の部屋に向かった。
オレが借りている部屋は四畳ほどもあり、整えれば寝起きも可能な広さだ。家として考えるとトイレも台所もない上に、そこらへんのワンルームより高いので普通にアパートを借りた方がいいだろう。
家を借りるよりは少しだけ楽で、未成年のオレでも実績ありで気軽に部屋を増やせるのがベター。
いや、オレも成人してたらアパートを二部屋並びで借りて対処したいが、どうしても年齢がネックだ。
トランクルームの一番高い部屋を継続して借り続けるオレはいいお客様に間違いない。他に三階の奥に来る人見たことないからな。ほとんどの人は一階のロッカーや一畳のウォークインで十分なんだ。
奥から一つ手前の部屋、カードキーでロックを解きさっさと中に入る。
中は『熾光』用にセッティングされている。
壁際にはカラーボックスが壁みたいな顔をして山積み、中身は全て服だ。
ハンガーラックと全身が映る姿見、カラーボックスに入らなかった服とハンガーラックにかからなかった服を隅に積むともう場所が無い。湿度管理はしっかりされているのでカビの不安が少ないのが救い。
一応整理はしているつもりだ。
まだ着たことがなくて、着たいと思っている服はハンガーラック行き。
もう撮影済で洗濯もしたのはカラーボックスに入れておく。
優先度が低い、一度着てから未洗濯のものは分かりやすく表に出しておく。
着て気に入ったやつは家に持って帰る。
以上のルールで運用し、現状は表にあふれている服が死ぬほどある。ダメだこりゃ。
もらうことも多いし、親も買ってくるし、自分でも買うしで全然把握していない服が何枚もある。
毎回トランクルームを訪れる度になんとかしなければとは思う。
なんとかしなければとは思うのだが、朝来る時はスタジオの時間が迫っているから早く準備しなきゃいけないし、帰りは疲れてるからさっさと家に帰りたいし。整理する暇も無いというか。
「あ、こんなこと考えてねえで準備しなきゃ」
時間は有限、致し方なし。
オレは早速『メタモルフォーゼ』をした。
意識を額の中心あたりに集中させ、肉体の変化を念じる。わずかな違和感と時間をかけて『メタモルフォーゼ』は完了した。
外見にはほとんど変化無し。
ただ一点、オレの胸部がまろやかに膨らんだだけだ。
『熾光』バージョン2だ。胸が全く無いとウィメンズを装備しにくい。下は付いてるよ。
劇的な変化をすると時間もかかるし、ここで行うには不適だ。
着てきたファストファッションを脱ぎ捨てると、手早く下着を装着する。ブラもショーツもネットで買えるから楽だよな。言ったら男用はコンビニで売ってるけども。
男のトランクスとかより繊細な肌触りで作られてるから、デリケートゾーンも快適だ。ちょっと小さいけどブリーフより好きだよ。
「今日はどうすっかな……」
ハンガーラックの前で悩む。
今日は二着くらい持っていきたいと考えていた。
前回の投稿が春先フェミニンコーデだったから、今回は清楚系で行くか?
掛けてある服を取って身体に当てながら鏡を見て悩む。着たい服が多すぎるが、そんなに短時間で終わらせるのももったいない精神が全て持っていくのを許さない。
カメラマンも用意してなくて自撮りになるから、全体的な印象が重要になるカラーで魅せる系は外そう。
服の造りが印象的な……アクセサリや小物を多くしてみようか。
でもピアスとかは穴が空いてないしな……。治せるけど、物理的に身体に穴を空けるのは痛みのイメージが先行してしまってどうも。別の穴なら何度も増減してるんだけど、痛いのはどうにもダメだ。
悩んでいるとスマホが震え上がる。セリーン。
『はるかー 今日ヒマ?』
ウルトラ苦手な質問が比良さんから飛んできていた。
ヒマだったらどうするんだとか、ヒマじゃなかったらどうすればいいんだとか。どっちも選びにくいネガティブ思考のスタートワードだ。
まあ、今日に限っては答えられるので無問題。
『忙しい』
『そうなんだ、どこかで遊ぼうよ!』
『忙しいから』
『邪魔しないからさー』
比良さんのメンタル、どの金属で出来てるんだ? チタンか?
『今日は撮影だから』
『見学したい』
メッセージを送った一秒後に返事が来た。
「……ははーん、なるほど」
オレは比良さんの目的を見抜いた。
遊ぼうというのは単なる名目で、オレの挙動から技術を盗もうとしているに違いない。
学校だと制服だし、オレがウィメンズを着るのは休日になりがちなのは自明。
確かにオレも暴露する羽目になってしまった比良さんと七海さんの前であれば、ウィメンズを着るのもやぶさかでない。いや、まだ多少やぶさか感はあるが、言葉の上だけでも受け入れてくれた相手なのだから、色々と試したい気持ちも少しはある。
でも今日はダメだ。
『無理だそうです』
『ぐぬぬ……はるかが冷たい……』
『そんなこと言われても』
『諦める代わりに今の写真ちょうだい!』
「……えぇ?」
写真を個人的に送付する分には構わないのだが、今のと言われると困る。
オレはまだ下着姿であり、周囲には選びかねている服が散乱している。どうしろと。
「比良さんも難しい要求を……」
その時、オレの玉虫色の脳細胞が閃いた。
「……そうか、比良さんだ!」
今日の撮影のテーマがビビっと来た。
表には出てないが、どっかにあったはず。オレは片っ端からカラーボックスを漁り始めた。
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