第10話 ファースト・メルト

「なぎさ。あたしたち、最近知ったアカウントのことで争いになってるんだけど、この写真どう思う?」


 そう言って比良さんが見せたのは、もちろん『熾光』アカウントに投稿された女性姿のポートレイトだ。

 春らしい淡いカラーのフェミニンスタイルで街中を歩いていく連作で、表示されているのはその中の一枚。肩越しに桜並木を見上げる姿。


 しっかりメイクもしているからバレることはありえない。オレとは無関係の女性に見えるはずだ。

 そこには自信があるが、突然生の感想をぶつけられる場で生き残れる自信はなかった。


 オレの……『熾光』の写真にコメントや意見をくれる人は、『熾光』のことをある程度知ってから評価している認識だ。何も知らない人からバイアス無しの下手なことをタイムレスで言われてみろ、死ぬぞ。


「どう思う……? えっと、綺麗な写真だと思うけど」

「うんうん。このアカウント、モデルさんのなんだけど、写ってる人はどう?」

「すごいなー、って思うよ。私がこの服着てもこんな綺麗にならないと思うし、なんか周りが光って見えるし。写りがとっても良いよね」

「だよねー。他の写真もすっごい良いと思うんだけど、そのへんで意見が食い違ってたワケなのよ」


 七海さんは「ふーん、そうなんだ……」と呟きつつ、首を傾げた。


「私にはよく分からないけど、観る側と撮られる側で意見が違っちゃった、ってコト?」


「……どーゆーコトだって?」


 一瞬口籠った比良さんが訊ねると、七海さんはきょとんとして答えた。


「この人、遙くんでしょ? だから被写体本人としての想いがあって、それがすれ違ったのかなって。家でもパパが食べに来たお客さんと想いを一致させるのは難しい、ってよく言ってるし」

「……どうしてそれがオレだと思ったのさ」

「えっ? 姿勢とかそっくりだし、さっき見た遙くんと同じ瞳をしてるし……こんな綺麗な人、そう何人もいないよね? モデルさんなんだってむしろ納得したけどな」

「ああーーーー…………………」


 そういえばうどんの汁拭くときに眼鏡取って前髪上げたわ。速やかにうどんを喉に詰めて死にてえ〜〜〜。


 またしても自分のミスで正体がバレたこと、そこにさっくりとした意見が重なり、オレの羞恥心にダブルパンチだ。

 褒め言葉は言われ慣れてることだけど、身内とか仕事相手とかファンとか、想定内の相手に言われることに慣れていただけだったのかもしれない。


 オレのことを知らない第三者の評価だと思って聞いていたけど、実はきちんと把握されていた。そういう状況は簡単に発生し得ないだろ? 発生するし、当事者のオレは思った以上に恥ずかしく感じている。


「ええと……違う人だった?」


 七海さんの質問に、オレはやっぱり視線を彷徨わせた。人は都合の悪い質問をうまくはぐらかそうとする性質がある。

 よろけた視線の先に、比良さんが目を閉じて精神統一している様子があった。逃げないでくれ、頼む。


 比良さんからも見捨てられ、逡巡し、それから諦めた。昔から諦めの早い男なんだオレは。


「合ってるよ。色々と内緒にしてたことがバレて、オレも混乱したり、恥ずかしかったりしたんだよ」

「……ごめん、まだよく理解できなくて……恥ずかしいって何が? モデルのお仕事してるのを知られるのが?」


 丁寧に詰めないでほしい。本当に。


 諦めたとしても口にするのはまだ抵抗がある。

 まだ出会ってからわずかな相手に話すには勇気がいる……というより何で話すことになってるんだ?

 どうしても言葉を探してしまうオレに、七海さんはあっさりと言った。


「話せないとか話したくないことなら全然言わなくていいよ。ただせっかくお友達になれたんだから、仲良くしてほしいなーって」

「いや、いや……。いい、ここまで来たら話す。話すけど、ちょっと待ってくれ。心の準備がいる」


 今一度、整理をする。

 何がこんなにオレのハートにダメージを与えているのか。


 オレがモデルをしていることがバレるのは……大丈夫。知ってるやつは知ってるし。

 『熾光』としてウィメンズを着ているのが周知になるのも、大丈夫。でなきゃ、写真を公開したりしない。


「……はるか?」


 オレが――七星遙の知り合いに、七星遙が女装していると思われるのは……キツい。


「ちょ、ちょっと遙くん……大丈夫? 顔が真っ青だよ!?」

「平気。少し嫌なことを思い出しただけ」


 七海さんにオレはゆっくりと頷いてみせた。嫌なことがあったのは、過去の話だ。

 これほど重力がかかるのは、恥ずかしいという表向きの感情だけではないかもしれない。もしかしてトラウマになってしまっているのか。


「――はるか、手」


 比良さんがそう呟いて、テーブルに置かれたオレの手を華奢な指で触れた。

 いつの間にか強く握りしめていた拳を、そっと解いていく。手のひらに爪の痕が残っていた。


 痕をいたわるように撫でて、比良さんは泣きそうな目でオレを見る。


「あのね、本当にごめん。考えなしだった。なぎさに写真見せる必要なんてなかったのに、意地悪してごめんなさい。キミがこんなに嫌がるって思ってなかった。あたしが悪かったから、無理しなくていいから」


 涙を堪える彼女に、強張りながらもニヤリと笑ってみせた。

 身体の動作について、オレはこの世の誰よりも詳しく知っている。どんな状態だとしても表情の一つくらいは作れなきゃ嘘だ。


「そうだよ、そこだけは東京湾よりも深く反省してくれ」

「うん……ごめん。本当に。ごめん」


 渾身のギャグを放ったにも関わらず涙をこぼしそうな比良さんに、オレは大きく肩を落として溜め息を吐いた。


「ダメだって比良さん。そこは『浅くない?』ってツッコんでくれなきゃ」

「遙くん、東京湾ってそこそこ深いよ。底だけに」

「ふっふふ……」


 七海さんが真面目な顔をして言うもんだから、用意していた表情の裏から息が漏れてしまった。油断していた。

 マイペースなんだか天然なんだか、狙っているのか。不思議な人だ。


 漏れた息と一緒に嫌な思いも抜けたのか、楽になった、ような気がする。


 オレは告げた。


「この女装写真さ、モデルの仕事じゃないんだ。オレの趣味で女装してるんだよ」

「…………?」

「それで……?」


 七海さんは首を傾げ、比良さんは瞼を袖で拭って続きを促してきた。


「それで、と言われても、これで全部なんだけど……。や、オレもマイノリティの認識があるからさ、ほら……仕事ならともかく、趣味ってなるとさ……ほら、色々あるだろ?」

「つまり?」

「つ、つまり? お、男が趣味で女装してるってなると色々思うことあるだろ?」


 想像していた納得を得られなくて、オレは混乱しつつあった。

 え? オレの説明、なんか不足してる?


 二人は顔を見合わせて、さっきのオレよりも大きな溜め息を吐いた。


「なぎさ、今の聞いた?」

「うん、奏ちゃん。私たち馬鹿にされてるよね」

「趣味でコレかあ……凹むなー」

「私は惰性で女やってるって言った方がいいかも」


 なぜかオレが悪者にされている空気だけを感じている。急に風当たりが強くなった気がする。

 比良さんの手はオレの手のひらを撫でていたはずが、指先を握り潰さんとばかりに人差し指をギュッとしている。

 何にも分かっていないオレに説明が成された。


「あのさ。はるかの女装って、ガチじゃん」

「正直、女性より女性らしいというか、そこらへんのアイドルより綺麗になっちゃってる」

「人生かけて女やってるあたしたちより女性をやってる人、どうこう言えないよ」

「っていうか、なんで趣味なの? 趣味だって言いたくないなら仕事にすればいいのに」

「それだ! あたし、はるかの写真集出たら買うなー」


「…………オ、オレさ」


 差し出した言葉が、震えるのを制御できなかった。


「メンズも、……っ、ウィメンズも好きなんだ。服が好きなんだ。全部の服を着たいと思ってる。……着てもいいのかな」


「いいんじゃないの? えっ、ダメなことある?」

「全然構わないからコーディネートの詳細を教えてほしいよ」

「あっ、それあたしも! 何ならメイクも教えてほしい! こっちの写真、はるか自分でメイクやってるの?」

「えー、なにそれ! その遙くんのモデルさんのあかうんと? 私にも教えてよ!」


「はは……っ」


 二人からもたらされたあっけない回答に、こわばっていた胸の奥が溶けていく。


 ふとテーブルに寂しく放置されていたうどんとナポリタンを思い出した。

 ナポリタンを箸で拾って食べてみると、トマトソースの色味から想像する味に反して酷く苦い。

 オレは苦味成分をゆっくり噛み砕き、しっかりと味わって嚥下する。


 もう二度と来ないだろうが、一生忘れられない味になった。

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