第5話 比良さんは反則をしがち
『アドセル』はオールインワンの現代必須と言われるコミュニケーションアプリだ。
通話メールにチャット、データの送受信に使えるストレージサービス、クレジットカードや電子マネーを連携させて決済機能も備えている。
もちろんウェブログの諸機能でテキスト・画像・音楽・動画などの情報発信も可能だ。
機能ごとにプライバシー設定を変更することが可能で、オレの場合、バイト用アカウントの方ではウェブログ機能だけを無制限に開放し、他のオレに繋がる機能は識別用のコードを交換した相手――フレンドのみが使用可能になっている。
つまり、何らかの手段でオレと連絡先を交換しなければ、比良さんはあんなメールを送ってこれないわけだ。
確実に昨日が初対面にも関わらず、どうやってオレのバイト用アカウントに滑り込ませたんだ。
悩みすぎて気が付いたら眠ってしまっていた翌日、本人から答えがもたらされた。
悩みすぎて無駄に早く登校してしまったオレが席で佇んでいると、チャイムギリギリに登校してきた比良さんが耳元に口を寄せて呟いたのだ。
「はるかさー、たぶん交換するアカウント、間違えたでしょ。帰ってから確認して、変な声でちゃった」
「……ちょっと放課後に時間くれない?」
「いいよー」
アホすぎる間違いにオレは頭が痛くなった。
『アドセル』はタスクキルさえしなければ基本的に前回表示していた画面を維持する。
何らかの人体動力学的な事象に気を取られていた昨日のオレは、バイト用アカウントを開きっぱなしで、そのまま交換してしまっただけだ。
「間抜けがよ……」
ふと気になってプライベートの方を確認する。
昨日撮影の後で交換した七海さんの連絡先はちゃんとこっちに入っていて安心した。
◆ ◆ ◆
家の手伝いがあると言う七海さんと別れ、駅前のコーヒーショップに比良さんと入った。
カラオケとかも考えたが、オレにとっても女子と二人きりになるのはあまりよろしくない。行くにしても、親交を深めてからだな。
オーダーの列に二人で並んでメニューを眺める。
「オレが持つから好きなの頼んでいいよ」
「どしたの、太っ腹じゃん」
「そりゃ付き合わせてんのはオレの都合だし……。もう分かってると思うけど、このぐらいなら全然平気だから」
「じゃー、お言葉に甘えて。期間限定のスプリングブロッサムフラッペチーノのトール、ホイップ増しシロップ増しでー。あとこのハニーバタースコーンがいいな」
「了解。オレ、並んでるから席取っといてよ」
比良さんは列から外れると、オレをじっと見て呟いた。
「手慣れてる……」
「来たことあるから」
しっし、とオレは比良さんを追い払った。
仕事の付き合いで使うことが多いのだ。写真を撮って『アドセル』に載せると、見た目の派手な物が多くて閲覧を稼げるし。
間違えることなく注文を終えて、電子マネーで支払う。
オレは普通のティーラテだ。ロイヤルミルクティーっぽいやつ。コーヒーも飲めるけど、なんとなく紅茶を頼みがち。
作ってもらったフラッペチーノとティーラテ、スコーンをトレイで受け取ると、比良さんを探す。
比良さんは見つけにくい、少しだけ暗がりにある奥の二人がけ席にいた。
落ち着いた灯りの下で見ると、比良さんは怒られない程度の茶髪にしてるんだな、と分かる。
スマホをいじっていて、オレには気付いていない。
「お待たせ」
「おっ、ありがと。いやー、これ楽しみだったんだけど、お小遣いがもうなくってさー」
「桜花の塩漬けが入ってるんだろ、それ。桜を見るのは好きだけど、食べるのは苦手なんだよな」
「おいしーのに。味見してみる?」
そう言って比良さんはオレにストローを差し出した。
一瞬であらゆる計算を終えたオレは脳みそに映像を刻み、
「オレはいいよ。比良さんのために買ってきたやつだし」
格好良く固辞して自分のティーラテを飲んだ。
どうしたんだ比良さん。
なんだか距離の詰め方が雑すぎないか。
すでに異性と距離をしっかり取る第一印象の方が間違っていたように感じつつある。
小さいお口の比良さんがスコーンを食べ終わるのを気長に待ち、一息ついたところでオレは本題を切り出した。
「オレのアカウントの話だけど」
「うん。やっぱ、ご本人なんだ……」
オレはマジでバカやったわと自分の間抜け加減に嘆きつつ、学校指定のカバンからヘアピンを取り出した。
簡単にまとめた前髪を上げて、留める。
それから誤って交換したバイト用アカウントを開いた。
それぞれのアカウントには個人のアイコン画像を設定出来て、バイト用アカウントにオレは自分の写真を設定している。偽装した状態ではなく、仕事で撮影した宣材写真をだ。
『
メンズ雑誌『TRIBAL』専属モデルのアカウントアイコンと同じ顔がここにあった。
そう、オレは『メタモルフォーゼ』をある程度使いこなせるようになった結果、モデルとして身を立てられる肉体を手に入れてしまったのだ。
身長こそ百七十に届かないが、そこは顔の良さと着こなしとなんか凄いやつオーラっぽいものでカバーする。
身長も『メタモルフォーゼ』で伸ばせるは伸ばせるんだが、一度伸ばすと世間的に戻せないから低めで止めている。
とりあえずネタバレしたところで早々にヘアピンは外して元の朴訥文芸少年の姿に戻る。
「中学の友達も知ってるからめちゃくちゃ隠してるわけじゃないけど、面倒だからあまり言いふらさないでくれると嬉しい。オレがバイトしてることぐらいはいいけど、内容は秘密って感じ」
「なるほどねー。りょっかい。なぎさにもてきとーに言っとけばいいかな」
返事が軽すぎる!?
「……少しぐらいなら頼みを聞いてもいいが」
「フラッペチーノとスコーン奢ってくれたし、なんだか悪くない?」
「交換条件を聞いてもらった方が、オレが安心するというか」
「あー、そっか。そうだよね」
比良さんはずずっとストローの中身を吸い上げた。
「んーと、それなら今日みたいにお賃金が入ったら何か奢ってよ。はるかのことがバレるまで毎月さ。口止め料はこんなもんでいいでしょ」
「……雑誌に口を聞いたりとかも出来るけど」
「そういうのはなんか違くない? あたしが恥をかくだけじゃん」
オレは少なからずびっくりしていた。
だってオレがモデルだと知ってから近付いてくる女性のほとんどは恋愛脳かコネ狙いのやつばかりだったから。
「プロのスカウトから誘われたなら、あたしも挑戦してみようかなって思うけどさ。弱みを握って売り込んで、売れなかったら恥ずかしいだけじゃん。そんで、どーせ売れないし」
現実が見えている、とでも言えばいいのだろうか。
地頭の良さ、要領がいいのか、とにかくそんな感じを受けた。
「オレの仕事をバラしたわけじゃん。何かしてほしいこととかないワケ?」
「え? だから何か奢って、って言ってるじゃん」
オレは背もたれに深く寄りかかって天井を見た。オレの知っている女性種ではないようだ。
「何が不満なんよー」
比良さんが軽くコツンとローファーの先でオレの足先を小突いてくる。
無視していると、だんだん小突いてくる位置が上がってきたので、オレは姿勢を直して手のひらでローファーを受け止めた。
「思ってたんだけどさ、急にパーソナルスペース近くない?」
「……嫌だった?」
「嫌……ではないけど」
比良さんに主導権を握られている空気を変えようとした指摘は、身を縮こまらせて尋ね返す比良さんの姿にやられた。
同年代の可愛い女の子に囁かれて嫌なやつがいるわけねえだろ。
白い顔をなんとか保ち、オレが答えると、比良さんは安心したようににこりと笑った。
「よかったー。あたしさ、そういうのあんまし気にしないタイプなんだけど、それで中学の時に嫌な目に合ったわけ。だから高校では気を付けようとしてたんだけど」
「いや、オレは近いって言ってるんだが?」
オレがツッコむと、比良さんは真面目な顔で頷いた。
「はるかはちゃんと自分で適正距離取ってくれる人だなー、って思って。で、実はモデルをやってて、職業倫理? もすごく気を使ってるでしょ。あたしがやらなくても、はるかがやってくれるんならいっか、って」
「よくないが!?」
「なんでさ」
オレは口籠った。
年頃の女の子が無防備に襲ってくるのは犯罪だぞ。その苗字に反した特徴を持って七海さんにやったようなことをしてくるわけだろ。それはね、比良さん、青少年にやってはいけない犯罪なんですよ。だってほら性癖変更の承認を取ってない。いくら傾国の美女で目が肥えているオレが相手だとしても、それは反則。ズル、オフサイド。あまりにもえっちすぎる。
「…………なんでも、だ!」
しかしそんなことを口には出せない。
オレとてプロのモデルだ。スキャンダルに繋がりかねない言動や行動はきちんと戒めてきた。
こんなアホみたいなミスが原因で失っていい世間体ではないのだ。
「分かったぞ、お前、男関係のトラブルメーカーだったんだろ。こんな頻繁に接触されたら、そりゃ勘違いもするわ!」
「だから人を選んでるんじゃん。はるかは勘違いしないんだろうなって、ほら信頼してるんだよ、しんらい」
勘違いするわボケがよ。
オレは自分のしか触ったことねえんだぞ、ちくしょう。
打算のないスキンシップってだけでこんなに動揺するとは思わなかった。
「……嫌な時は物理的にどかすからな」
「それぐらいしてもらった方が分かりやすくていいね、よろしくぅ!」
比良さんが右手を掲げてきたので、釣られてオレも手を上げると、彼女は軽くハイタッチをして席を立った。
「それじゃ、奢りもよろしくねー。ばいばーい」
そしてオレが返事をする間もなく、さっさと店を出ていってしまった。
手を上げたままぼうっと見ていたが、状況の終了を認識して全身から力が抜けた。
「疲れた」
月イチの奢りまで決められてしまっていた。継続的なやつじゃなくて、一回で終わらせたかったのだが。
オレがモデルだと知ったら、雑誌やプロモデルの紹介とかデートを要求してくる人しか身近にいなかったから、新鮮ではある。
すっかり冷めてしまったティーラテを口に運んでいると、『アドセル』が通知を鳴らした。
『そいえば、はるかのプライベート交換するの忘れてた。招待コード送ってよ』
「参った……」
小さく首を振って、今度はちゃんと
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