第3話 近くの席の七海さんと比良さん

 要約すると三年間悪いことせずに頑張れよという校長先生のありがたいお話を聞き終えて、長く感じたけど実際はあんまし長くない入学式を終える。


 保護者の椅子ゾーンの真ん中に生徒が通る用の通路があるのだが、そこの一番前にウチの母親が陣取っていた。朝も山のように撮ったというのに、前を横切る今も鬼の如くカメラを構えて連写している。

 さすがに恥ずかしくなってちょっと見ないフリをしてしまった。


 体育館を出たところで、後ろに並んでいた同じクラスの女子に肩を叩かれる。


「なに? どうかした?」

「さっきめちゃくちゃ写真撮ってた人って、きみのお母さん?」

「そうだけど」


 やっぱりバレるよな。カメラが完全にオレを追ってたし。

 話の種にからかわれたりするなら嫌だな、と思っていたが、女子生徒は違う方向に舵を切った。


「きみとかきみのお母さんが良いって言ってくれたらなんだけどさ。端っこでもいいけど、私が写ってるやつがあったら譲ってもらえない?」

「……お母さんに聞いてみるぐらいならいいけど」


 オレの答えを聞いて、女子生徒はへにゃりと相好を崩した。


「ありがとう! 両親が二人とも今日は仕事でさ……。私は別にいいんだけど」

「ああ、いや、それはうん、分かるよ。ウチもお父さん仕事で今朝うるさかったから」


 記念日に写真を撮りたがる親がいるのはよく分かる。

 オレも記念日の度に写真を撮られまくるし、年々趣味で使うカメラが豪華になっているし、何なら日頃から撮られている。日頃から撮ってるんだから少しは落ち着いてもいいのではなかろうか。


「データと印刷したやつ、どっちが良い?」

「印刷するとお金かかるよね? データで大丈夫」

「じゃ、連絡先教えてもらっていいかな。『アドセル』は使ってる?」


 スマホを取り出してアプリを起動しながら訊いた。

 『アドセル』はオールインワンの通信アプリ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの一つで、通話やチャット、情報発信を何から何まで出来ちゃう最高のアプリだ。たぶんそのうち独禁法違反で訴えられるとネタにされがち。


 メインアカウントは一つしか取得できないが、メインに紐づくサブアカウントは二つ設定できる。メインアカウントは変更の少ないクレジットカード番号や個人情報など表に出しにくい物の管理用で、メインと違って諸々自由なサブアカウントは色々な活動用の対外向けに使用するのが主流だ。

 二つあるサブアカは家族用と友達用とか、仕事用とプライベート用みたいに使い分けされる。

 オレも一つをバイト用に割り振っているので、プライベートアカウントを提示するつもりだ。


 しかし、女子生徒はちょっと困った顔をした。


「私、スマートフォン買ってもらったばかりで……」

「あー、じゃあアプリ入れるところからか。便利だからオレは『アドセル』使ってるんだけど、きみのスマホにダウンロードしても大丈夫?」

「たぶん……。みんな使ってるやつだよね、確か」

「まあね。オレは家族で使ってるし、スマホ持ってる人の半分くらいは入れてるんじゃないかな。通話も無料だし」

「そうなんだ。それなら私も入れておこうかなあ」


 話をしている内に教室に辿り着く。そこでオレは話を打ち切ることにした。

 オレとばっかり話していても仕方ない。近くの席の人と友達作った方がいいよ。


「んじゃ、アドセル入れたら教えてよ。オレもお母さんに写真のこと確認しておくから」

「うん、ありがとう。えっと……そういえば、きみの名前聞いてなかったや」

「オレ?」


 教室に入ると、席順の記載されたプリントが黒板の両端と真ん中に貼ってあった。

 一番人の少ない、奥のプリントのところに行って、オレは自分の名前を指差した。


 七星遙ななほし はるか


 中央列の後ろから二番目、名前順ならこんなところだろう。


「セブンスターと呼ぶのだけはやめてほしいね、勘違いされて面倒なことになった過去があるから」

「そうなんだ。よく分からないけど、七星くんって呼ぶよ。私は七星くんの後ろの席だ」


 彼女はそう言って、オレのすぐ下に書いてある名前を指差した。

 七海凪沙と記載があり、まさかの漢字被りだ。お互いに七が付く結構珍しい苗字のはずなんだが。


「ななうみ、なぎささん?」

「ななみ、だよ。七海凪沙ななみ なぎさです、よろしくね」

「よろしく、七海さん」


 そしてオレたちは縦に並んで席に着いた。

 ……話を打ち切った意味がないな。よくよく考えれば入学式は名前の順番で並ばされていたし、オレの後ろにいる時点で近い苗字なのは分かっていた。

 こういうことが起きるといかに頭良く動こうとしても、本質は前世の馬鹿を引き継いでしまっているんだなと悲しく思う。


 机には新しい教科書やら何やらが置かれていたが、このへんは先生が来てから説明をもらえるに違いない。


 オレは早速後ろを向いて、七海さんに話しかけた。


「七海さん、スマホ買ったばかりだって言ってたよな。アプリの入れ方とか分かる?」

「えーと、実はあんまし……。架空請求詐欺とかよく聞くし、怖くて全然触ってないんだ」

「そのへんはアプリ入れる前に、インターネットで評判とか調べてみればいいよ。とりあえずオレが教えるから、『アドセル』だけ入れて設定しようか」


「おっ、『アドセル』やってるヒトたち~?」


 オレと七海さんの会話に挟まる女子が現れた。世が世なら犯罪もいいところだが、オレは男で相手が女子なのでおそらくはセーフ判定が下る。

 七海さんの隣に座る女子は検分していた数学の教科書を机に積むと、こちらに身を乗り出してきた。


 ギャル風味を醸し出す彼女は髪型も服装も少し緩めなので、オレとしてはちゃんと胸元のボタンを締めなさいと言ってやりたい。そんなことを言うと今どきはセクハラ案件になるので、ちらちらと視線をやるだけにしているが。


「あたしもやってるから交換しよーよ。あたし、比良奏ひら かなで。よろしくねー」

「平たくねーだろ……」

「えっ、なに?」

「いや、オレは七星遙。よろしく頼む。ほら比良さん、『アドセル』」


 思わず小声で呟いた言葉を拾われたのを焦ってごまかす。

 識別コード交換の機能をオンにして、お互いのスマホをすれ違わせる。

 オレのシンプルな付属のカバーを付けたスマホと、意外にもシックなブック型カバーのスマホが交差し、「アドッ!」とコード交換完了の通知音を鳴らした。


 それから比良さんの視線が七海さんに移る。

 七海さんは少したじろぎながら、


「えっと、私まだアプリを入れられてなくて……」

「聞いてた聞いてたー。簡単だからすぐ入れちゃお! 名前教えてよー」

「うん、私は七海凪沙。比良さん、よろしくね」


 比良さんは腕を組んで、うーんと悩ましげな様子を見せた。


「堅いなー。あたしはなぎさって呼ぶから、なぎさもあたしのこと名前で呼んでよ。てーか、あんまり苗字好きじゃないから名前で呼ぶこと!」

「えっ? でも七星くんは」

「オレは男だから」

「そうそ、別枠だから。男の子はもっと仲良くなってからでないとねー」

「そういうものなの? ……奏ちゃん、でいいかな」

「いいともなぎさ!」

「きゃっ」


 比良さんが前振り無しで七海さんに抱きついた。

 この人、パーソナルスペースがかなり狭いタイプらしい。しかも同性にのみ。


 抱きつきながらも横目でオレの様子を窺っている。


 オレもバイトの経験でいい加減、その手の視線には敏感になっている。密かに探るぐらいのつもりかもしれないが、オレにはバレバレだ。


 だからと言って指摘するつもりもない。

 全くの初対面なのだから、コミュニケーションはまだ手探りの段階だ。彼女なりの距離の計り方だと思っておこう。


 呆れた声を作って言ってやる。


「何してんだよ、七海さんが重そうだろ」

「七星……言ってはならぬことを言ったな……。今宵、背後に気を付けろよ……」


 この扱いの差である。

 狙って言った部分はあるが、比良さんはツッコミ要員として期待して良さそうだ。


「七星くん、女の子はデリケートなんだから言葉にも気を付けて」


 真面目な顔でご注進してくる七海さんは、お互いに冗談含みの会話であることに気付いていないらしい。

 オレは両手を挙げて降参の意を示した。抗う意味も無いし。


「悪かったよ、言葉には気を付けます」

「よし! あとね、奏ちゃん、大丈夫。そんなに重くないから!」

「ぐはっ」

「奏ちゃん!?」


 フォローのつもりで追い打ちをかけた七海に溜め息を吐いて、オレは前を向いた。

 そろそろ先生が来そうな時間だし、『アドセル』の設定は比良さんが手伝ってくれるだろう。


 お母さんに連絡しておこうかな、と改めて『アドセル』アプリを開いたところでプライベートアカウントを選択する。すると、オレが送るよりも先にお母さんからの通知があった。


『近くの喫茶店でお茶してるから終わったら教えてね。ハルカがお友達と用事あるなら、先に帰るけど?』

『決まったら連絡するよ。それと入学式でオレの後ろ歩いてた子が写ってる写真ってある?』

『なぁに~? ハルカ、あの女の子が気になってたの? 結構かわいい子だったもんね~』

『いや、親が仕事で来れないらしくて、写ってるのがあったら欲しいって言われたんだよ。お母さん、すっげぇ目立ってたからね』


 「ワオ!」と驚いている犬の画像が送られてきた。ワオじゃねえよ。


『その子に学校終わったら時間あるか聞いてよ。お母さん、校門のところで写真撮ってあげる』


 確認しようと思ったが、ちょうど「静かに席につけ~」と教師がやってきた。

 そんなすぐに確認しなきゃならないワケでもなし、これからの高校生活について話し始めた先生の話に集中する。それにしても、初日から教科書を山積みにするのはスタディハラスメントではないのだろうか。違うか。

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