毎週土曜君は死ぬ

泳田颯

第1話 僕と彼女、先生と患者。

「やはり、君の淹れるコーヒーは苦味が強いですね」


 僕はそう呟きながら、楽しそうになにやら用意をしている彼女の屈託のない笑顔を見つめる。

『苦味の強い』コーヒーをもう一口飲んでから、カチャと音を立ててカップをソーサーへと戻した。

 部屋一帯に甘い匂いが充満し、「ふふふん」と鼻歌交じりのご機嫌な声の持ち主は僕の余計な一言に


「ミルクと砂糖ならそこにありますけど?」


 と少しばかり不服そうに顔をしかめた彼女がこちらを向いた。


「いえ、結構です。」


 僕がそう言うと、彼女はニコッと笑って「そうですよね、なんだかんだ言って、先生は私の淹れるコーヒーが好きなんですから」と得意げに言ってみせた。

 "先生"彼女は僕をそう呼ぶ。

 外は今もポツポツと雨が降っている……いや、これは雪が降っているようだ。

 ーまぁ、僕たちが濡れることはないのだけれどー

 雪の中傘を刺すものはおらず、まして溶けた一つの滴すら街には降り注がれず、乾いた洋服でいつも通り雨なんてお構いなく子供達が元気に走り回っている。


「元気ですね……」


 僕は窓の外に目をやりポツリとつぶやいた。

 そんな独り言にも彼女は丁寧に「子供はいつだって元気でいるのが一番ですから」

 そう言って僕にニコリと微笑んでみせた。



 僕はAIだ。

 コーヒーの味なんてわかるわけがないとそう思うだろう。

 けれど、それは違うとも、そうであるとも言えよう。

 簡単に説明をするならば"僕たちAIはそうプログラムされている"そう言えば理解していただけるだろうか?

 感じるものというのは全てプログラムされている。

 それは、味や匂い、音や感触。いわゆる五感で"感じるもの"は全て。そして、一番は感情。

 感情以外のその他のものはそうなり得る要素はあるが感情はプログラムされた以外なんと説明したら良いのかわからない。そういうレベルの話だ。

 さて、以上のことから僕は彼女の淹れたコーヒーの感想が言えない、なんてことはない。

 実際、彼女の淹れるコーヒーは苦い。

 ただ、僕は毎週土曜にだけ飲めるこの特別なコーヒーが、なんだか嫌いになれないのだ。


 クルクルとカップを回し一定のリズムで黒い波を作り"苦い"香りを感じながらしばらく待つと、彼女が甘い香りを身にまとい、今焼き上がったばかりであろう熱々のクッキーを運んできた。

 部屋一帯の甘い香りの正体はこれだった。

 そんな苦味の強いコーヒーに合わないはずのない甘い焼き立てのクッキーをいただきながら、最近の彼女の話に耳を傾ける。


「きっと今日のクッキーは今までで一番美味しいですよ!」


 今日一番の笑顔を見せた。

 どうやら最近の彼女の趣味はクッキー作りのようだった。



 クッキー作りは人に教わったようだった。

 はじめこそ、彼女は「こんなに美味しいものを自分で作れるなんて」と感動し趣味にしどんどん凝っていくようになったそうだ。

 ただやはり、いくら美味しいクッキーが焼けても自分一人で食べるとなるといささか美味しさに欠けてしまうように感じた。

 そこで彼女は毎週土曜日必ずある来客にこのクッキーを出すことにした。

「美味しい」という感想が欲しかったわけではなかった。

 彼女はただ"自分の焼いたクッキーを誰かに食べて欲しかった"ただそれだけである。

 そして、可能であれば"食べたクッキーに対しての"リアクションが欲しかった。

 それは、「美味しい」などと言うポジティブなものだけでなく「口に合わない」などの一般的にネガティブなものも含めて。である。

 言葉だけでなく、クッキーを口に入れるその瞬間や食べた時の表情なども例外なく彼女の欲するリアクションであるようだった。

 そのリアクションこそが自分の焼いたクッキーを食べたという明確な確固たる事象となるに相応しいものと考えたのである。


 とにかく、彼女は自分の目の前で自分の焼いたクッキーを食べてもらうことにこだわった。

 というのが僕の印象だ。

 そう結論づけた訳は何も彼女自身がそう発言したわけでなく、今までの彼女の言動からそう考えていることが明白だからだ。

 一度イタズラ心から僕はある提案をしたことがある。それはとても簡単で、何より彼女の考えへの仮説を立証するに相応しいものだった。


「このクッキー今日は持ち帰ってもよろしいですか?」


 ただこれだけだ。

 その時の彼女は今でも鮮明に覚えている。

 笑顔で焼きたてのクッキーを持ってきた彼女は、口をパクパクさせ悲しそうな表情を見せたかと思えば「え……」と一言だけ漏らしたのだ。


 それは絶望の表情として辞書に載せるべき表情と言えば伝わるだろうか?とにかく、誰がどうみても絶望していた。

 あまりにも可哀想に思えて「いえ、やっぱりここでいただきますよ。君のクッキーはこのコーヒーによく合う。何よりクッキーと言うものは焼き立てが一番だ。」そう言った。

 その言葉を聞いて彼女はたちまち笑顔になり「そうですよね!クッキーは焼きたてに限りますし、やっぱり先生は私のコーヒーが好きなんですね!」と先ほどの表情が嘘のように自信満々に言ってみせた。


 そんなことがあったと言うのも相まって僕は彼女の焼いたクッキーを毎週食べるようになったわけだった。

 彼女は土曜が好きなようだった。僕が来るから自分の焼いたクッキーを食べてもらえると言って。とても嬉しそうな笑顔をしていた。


「僕でよければ毎週いただきたいくらいですよ。」そう伝えるとより一層笑顔を輝かせ「本当ですか!?」と嬉しそうに言っていた。

 そう、僕と彼女は毎週土曜にしか会わない。


 理由は簡単だ。僕は医者で彼女は僕の患者であるからであり僕は毎週土曜日彼女の家まで往診に来ているからだ。

 誰がどうみても笑顔でクッキーを焼き今週の出来事を嬉々として話してくれる彼女が病気であるようには見えないだろう。

 彼女を一言で表すと元気はつらつが最も適した言葉だと言えよう。

 そんな彼女だがこの僕がいなければたった一週間で命が尽きてしまう。

 ゆえに彼女にとって僕は医者でしかないのである。


 ただし、これはあくまで表向きの話であり、実際はそんな簡単なものではなかった。

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