第17話 試合とお助け金
この小さな藩に、ふたつも道場はいらないのではないか。
今回の道場同士の試合は、藩の財政を預かる勘定方のひと言が発端だった。
先年、藩内にふたつあった藩校が、ひとつに統合された。藩の財政の厳しいおり、ふたつもの藩校を維持できないためだった。千代の道場も、藩から、額は少ないながらも幾分かのお助け金をいただいている。香田道場も、同様に、数年前から、藩より、道場維持のための金銭的なお助けを受けている。
藩の勘定方は、お助け金を、同時にふたつの道場に支出するのは、無駄遣いにあたると考えたのだ。試合をさせ、ふたつある道場のうち、勝ったほうにのみ、お助け金を出すようにするという。
そんな金は要らぬ、といえればよかった。が、先年よりの飢饉で、道場生たちの稽古代の支払いが、とどこおっている。千代の道場も、お助け金には、かなり頼っていた。
心配することはない。試合に勝てばよいだけのことだ、向こうの道場の師範も、年をとっている。師範以外に、こちらと互角以上に戦えるものなど居ないはずだ。
うちの道場に通っていて、向こうの道場に行き、肌が合わず戻ってきた者に聞いた話では、向こうの道場の師範は、商売の面では遣り手で、いつも儲けることばかり考えている。が、剣の腕のほうは、からっきしだということだった。
名ばかりの師範代が数人いて教えているというが、うちの道場から移っていった者たちのなかには、まともな教えが受けられず、それを不満に思って戻ってきた者も多かった。
「姫先生。あそこ、ろくなやつ、おらんで」
農民の栄吉が、手の甲で日焼けした大きな鼻をこすりながら、告げ口した。
「こっちで、入門のときやった鍛錬を碌にやらずに、型どりばかりやってる」
「身体ができていれば、初めの鍛錬は要らないでしょ」
そのときには、栄吉をたしなめたが、剣の型を行うためには、そのための身体の筋の力が要る。最初の鍛錬をおこたれば、結局のところ、本当の剣の型は身につかない。
その頃は、まだ、香田の道場にそれほど反感を持っていなかったけれども、どこか、うさんくさく感じたものだった
先月、その香田の道場に、新しい師範代が入ったらしい。その師範代は、そうとうに腕が立つという。
千代は、歯ぎしりした。道場同士の試合の話が出たとき、香田側は、最初は、あまり乗り気ではなかったのだ。試合の時期を、できるだけ、引き伸ばそうとしていた。
試合に勝てる自信がなかったからにちがいない。けれど、今度は、試合の時期を早くしてくれと言ってきた。新しくやってきた師範代は、よほど腕の立つ者らしい。
「姉上、飯田殿が……」
二郎が、来客を告げにきた。
飯田源次郎は、千代のいいなずけだった。父が亡くなった時に、千代の行く末を案じた伯父が、話をもってきたのだ。父が亡くなり、動揺していた祖父母が、千代には何の相談もなく話をまとめてしまった。
千代が迎えに行く前に、源次郎は客間に勝手に上がりこんでいた。
家の格は確かに源次郎の方が上だけれど、いつも、自分の家のように我が物顔で振舞っている。とがったあごと、何を考えているかわからない細い目が、千代はあまり好きではなかった。
「千代殿。城内で聞いたのだが……」
源次郎は、あごを親指と人差し指ではさみ、揉むようにしながら、
「香田の道場と試合をされるとか」
たぶん、城内の噂で聞きつけたのだろう。源次郎は、以前から女の千代が、剣をふるうことを快く思っていなかった。
「します。わたくししかいませんから」
源次郎は腕組みをし、顔をしかめた。
「噂は本当でしたか。やめられませんか」
「やめられるわけ、ないじゃないですか」
千代は、あきれていった。
この道場の命運がかかっているのだ。千代以外、相手に勝てそうな者がいない以上、千代がやるしかなかった。
「道場など、やめればいいじゃないですか。二郎殿の士官の世話ぐらいは、うちでできますぞ」
千代は、きっと源次郎をにらんだ。
「わたしの代で、道場をつぶすわけにはまいりません」
源次郎にとっては、道場など、どうでもよいのだ。只々、面倒事を避けたいだけなのだろう。
「負けると、外聞が悪い」
源次郎は、不満げなうなるような声でいうと、千代をにらんでくる。
この男は、自分の家の格が下がることしか気にしていない。このような男に嫁がねばならないのかと、ため息がでた。
「負けません。ご心配なく……」
「傲慢は、あなたには似合いませんな」
源次郎は、ななめに口角を下げ、ゆがんだ笑いを浮かべながら、
「負けて、泣きついてきても、どうにもなりませんぞ」
脅しのような言葉を続けると、障子を乱暴に閉め、そのまま帰ってしまった。
千代は、見送りながら、剣のことなど何も知らないくせに、と腹がたってしかたがなかった。
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