第11話 原因

 冴の父たちと別れたあと、藤吾はひとり、ぼんやりと、日の沈んだ直後の薄暗い道を歩いた。クルマの通りの激しい国道をそれ、わき道に入ると、タイヤの巻きあげるほこりがないせいか、澄んだ空気のにおいがした。


 なぜ、こんなに平静でいられるのだろう? 自分のなかに、〝こだま〟が棲みこんでいるのに。

 藤吾には、わからなかった。もっと驚き、困惑し、いぶかしんでもよいはずだった。

 自分の両手を、ためつすがめつ見た。あの刀は、この手と手の間から、生じてきたように思う。当たり前のように、灰色に鈍く輝く冷やりとした細長いものが、手のなかにあった。

 藤吾は、なんの違和感もなく、自在にそれを操れたのだ。自分の心のなかを覗き込んでも、過剰なくらい落ちついていて、驚きの感情がわいてこない。


 自分のなかにいる〝こだま〟は、いったい誰なんだろう?

 考え続けたが、なんの手がかりもなく、刀をふるっていた時のことを思い出そうとしても、頭のなかに重たい幕が下り、何かにさえぎられているようで、ぼんやりとしか思い出せない。

 気づくと、あたりは住宅街で信号も街灯もなかった。空を見ると、星も見えなかった。

 明日は、雨が降りそうだ。

 いや、今にも降りだしそうだった。藤吾は、湿り気の出てきた空気をかきわけ、早足で歩いた。もうじき、家に帰り着く。なんとか、制服を濡らさないですみそうだった。 

                    

 

 翌日、白装束、修験者風の服装をした男たちが、小亀山に入っていた。ひとりが案内をしているらしく、後に続く二人に、前方を指し示しながら、先へ先へと、導いていた。

 うっそうとした森林のなか、ところどころにしか、陽が射しこんでいなかった。

 案内されている二人は、大量にかいた汗を、すでにぐっしょりと濡れているタオルで、何度もぬぐっていた。地面からとび出した木の根やとがった石のせいで、何度もころびそうになるのを、二人とも必死でこらえていた。


 曲がりくねり、進むほどに細く険しくなっていく道を、三人は、荒い息を吐きながら登リ続けた。

 道の果てに、荒れ寺があった。

 いぜんとして、呪文のような、耳をふさぎたくなるような低いうなり声が、寺の敷地内すべてに鳴り響いていた。寺全体が、うなり声によって振動し、揺らめいているようにも見えた。

 男たちのうちの一人が、寺の引き戸をあける。内部を覗きこんだ男たちは、声をあげた。 

「やはり……良平殿であったか」

「 手遅れじゃ、もう助けられぬ」


「良平!」

 悲痛な声を発したのは、冴の父だった。

 どうやら、探していた肉親のひとりを見つけたようだ。

 倒れている男は、彼の弟だった。

 故郷を出て、彼の道場の何倍も規模の大きな剣道の団体で、師範代を勤めていたはずだったのだ。が、数ヶ月前から行方不明になっていた。 


 冴の父は、遺体の前にある机のうえから、古文書を取り上げ、とても丁寧に、不自然なくらいゆっくりとした動作で、折りたたみ、巻いた。古文書をふところにしまいこむと、目を閉じ、何かを小声でつぶやいたあと、口を固くむすび、合掌した。

 後ろに控えていた弟子らしい男たちも、無言で手を合わせた。


 ふいに、うなり声がやんだ。

「これで、新たな〝こだま〟が呼びこまれることはないだろう」

 冴の父は、深いため息をついた。しゃがみこみ、弟の顔に手をやり、見開いたままだった目を、閉じさせた。 

          


 藤吾が朝、学校に行くと今日も武と美雪は休んでいた。神社から帰ったあと、すぐに武と美雪の家に連絡し、無事に送り届けられたのは確認している。  

 あれから2日経っている。体力は回復しなかったんだろうか?

 田代先輩のように、しばらく動けないのかもしれない。


 とにかく、放課後、武の家に行こう。

 最近、武の家には行ってない。武が柔道を始めてから、あまり互いの家を行き来することがなくなってしまった。武の部活の空き時間と、藤吾の暇な時間がたまたま合わないと、どこにも一緒に出かけられなかった。 


 2時間目の授業中、携帯が鳴った。

 一度切って、休み時間にかけ直した。見慣れない番号だった。

「伊田君か?」 

 冴の父からだった。

「今日、うちに来れないかね? 」

 少し迷っていると、電話のむこうで、話し手が替わった。冴だった。

「藤吾くん? ……話したいことがあるの」

 藤吾は、何の用事かと尋ねた。冴は、それは来てから話すという。

 藤吾は、ためらいながらも、冴のうちの道場に行くと約束した。



 吉見冴の剣道場をたずねると、見覚えのある弟子のひとりが、道場の奥、薄暗い廊下の端にある別室に、藤吾を案内した。

 部屋に入る引き戸のまえに立つ。

 ふいに、無邪気な笑い声がした。よく知っている声だった。

「あっ、藤ちゃん!」

 美雪が、手を振って藤吾を迎えた。隣には冴が足を投げ出すようにして、にこにこしている。 


 藤吾は目を丸くしながら、美雪の横に腰を下ろして、あぐらをかいた。

 畳敷きの部屋で、座布団が、そこかしこに散らばっている。隅のほうに、飲料用のペットボトルの箱が何箱も積まれている。道場生の休憩室のようだった。

「来てたんだな」

「昨日、冴ちゃんから、連絡あったの。……ね?」

 冴のほうをにこにこしながら、見る。

 藤吾の知らないうちに、すっかり親しくなったようだ。


 ――ちぇ、なんだ。

 藤吾は、今日ここに来ることを、美雪に言おうか言うまいか迷ったのだ。悩んで損した気分だった。 

「来てくれたか」

 冴の父が、部屋に入ってきた。

「ゆっくりしていってほしい。……冴が、君たちだけには、話しておいたほうがいいんじゃないか、と言うのでな」


 冴の父は、藤吾と美雪の顔を見つめながら、ためらいがちに話し始めた。  

「今回の事の詳細が、あらかたわかったのだ。〝こだま憑き〟が、急に増えた原因もだ」

 そうだった。〝こだま〟がとりついて、その〝こだま〟がおもてに出てきて活動するようになった人間のことを、〝こだま憑き〟と呼ぶのだった。

 藤吾は一言も聞き漏らさないように、耳をそばだてた。


 冴の父は、一度溜め息をついた。

「〝こだま〟の事は、わが一族には、昔から伝わっていた。わが一族の先祖は、どうやら、陰陽道のある一派に属していたらしいのだが。……霊についての研究を、長年続けているうちに、霊魂の反響である〝こだま〟の存在に、気づいたのだ」 


 冴の父の声が、よりいっそう熱を帯びてきた。

「……やがて、わが一族は、〝こだま〟と会話できるようになった。そして、現世とあの世との間に漂っている〝こだま〟を、地上に呼び戻す術を発見した」

「〝こだま〟を現世に呼び戻す手段の詳しいことは、言うまい。……だが、それには、古くからある寺や神社の建物が、関係している」  

  

 冴の父は、藤吾たちのほうに了承を求めるように見まわし、藤吾たちが黙っていることを肯定の印ととって、うなずいた。 

「〝こだま〟を呼び込んだのは、わたしの弟なのだ……」

 美雪が驚いて両手で口をおおった。冴が美雪の肩に、手を置いている。

「わたしの弟は、わたしより、はるかに剣の才があった。道場主としては、あいつのほうが、ふさわしかったのだ。だが、あいつは、妥協を知らなかった。――強いものが勝つのが当たり前だと思っていたし、稽古においても、常に全力でやるべきだと思っていた」


「なんだ、当たり前のことじゃないか。……そう、思うか?」

冴の父は、不思議そうな顔をする藤吾と美雪に問いかけた。

「それが、道場の経営では、なかなか、そうもいかないのだ。利益を幾分でも出さなければやっていけない。地域の有力者とのつきあいもある。その子息たちの、段の昇格に手心をくわえるときもある」 

「弟は、それができなかった。やろうとはしたが……あいつの性格では、できなかった。」

 冴の父は、無念そうに言い、目を閉じ何かを思い浮かべていた。その後、深い溜め息のあと、目を開いた。


「道場生の何人かから、苦情が出た。指導が厳しすぎるというのだ。弟は、間違ったことはしていないと、頑として、やり方を変えなかった。道場生からは、ますます不満がつのり、道場をやめる者も出た」

「道場の収入は減り、道場の経営が立ち行かなくなる寸前までいった。結局、弟は、道場の師範をみずから、やめた。わたしは止めたのだが……わが一族の長老たちは、それに賛成した。みえないところで圧力があったのかもしれぬ……。わたしは、弟をかばいきれなかった」


「わたしは、師範をやめた弟を、東京の知り合いに紹介した。全国的な剣道の団体に関係していたその男に推薦してもらい、弟を、団体の師範代として雇ってもらえるよう頼んだ。全国的な団体だけあって、そこはレベルが高かった。弟の指導にも、文句をいう人間は少なかったようだ。……が、そこのコーチ陣との人間関係は、うまくいってなかったらしい」

 冴の父は、また深い溜め息をつき、肩を落とした。

「弟の指導しているときに、けが人が出た。数人で指導をしていたときに、けがを負った者がいた。その責任を、弟が負わされた。あとで、事情を聞くと、弟には直接的な責任はなかったらしいのだ。だが、その場の誰も、弟の肩を持たなかった」 


「怒った弟は、同僚の師範代たち数人を、文字通り叩きのめした。骨折した者もいたらしい……。そうして、いなくなった。わたしにも、仲のよかった冴にも、何の連絡もなく失踪した……」

「わたしは、弟を探さなかった。……弟のいた団体は警察沙汰にはしたくなかったらしく、弟をクビにしたと連絡してきただけで、訴えたりはしなかった。わたしは、これ幸いと、ほとぼりがさめるまで、弟が、どこかに隠れていてくれればと、思っていた。……今から考えれば、その時すぐにでも、弟を探せばよかったのだ。何が何でも探しだし、どうすればよいか、共に悩み考えてやればよかったのだ。……わたしは、未熟でおろかで、無思慮にもそれをしなかった」


 冴の父は、そこで口を閉じ、しばらく黙ったままでいた。 

 冴が、無言でうながすと、冴の父は、また話し始めた。 

「弟は、〝こだま〟を呼び出す手段を記述した古文書のひとつを、持ち去っていた。……それを見て、剣に長けた〝こだま〟を、何人も呼び出したのだ。……君たちが遭遇した〝こだま憑き〟も、弟が呼び出した〝こだま〟がとり憑いた者たちだ」


 藤吾は、思わず問いただした。

「弟さんは、いま、どこにいるんですか? すぐに、やめさせないと」

 冴の父は、深い深いため息をついた。

「……弟は、良平は、もう亡くなっている。〝こだま〟を呼びだすのに使ったと思われる古寺で、誰にも看取られずに。……探し当てたときには、手遅れだった。

〝こだま〟は、ふつう、数人で呼びだすのだ。弟ひとりには、手にあまった。……弟は、みずからの命をけずって、〝こだま〟を呼びだしていたのだ」

「むろん、わたしは、すぐに弟の死後、無防備に〝こだま〟を呼びだし続ける状態になっていた古寺のシステムを停止させた。もう、これ以上、〝こだま〟がこの地に呼びこまれることはない」


 冴の父は、目を細めて、藤吾を見た。

「さて、そこで、君にとり憑いている〝こだま〟なんだが……」

 冴が、口をはさんだ。

「身体は、なんともないのですか?」  

 藤吾は、なんともないと答えた。どこかおかしくなって当たり前なのに、特に普段と変わらなかった。

「考えてみました……」

 冴は、足をくずしてあぐらをかき、藤吾の目を覗きこんだ。まだ、美雪の肩に手を置いている。


「あなたの〝こだま〟は、簡単に、刀を手から放してた。――江戸時代後期の、主に道場で、剣技のみをみがいていた剣士なら、そんなに簡単に、刀を手放したりしないはずです」 

 ……そうかもしれない。藤吾はあまりはっきりとは思い出せないが、刀への執着は、それほどなかったような気がする。

「だから、江戸時代前期か、戦国時代に活躍した剣豪、兵法家と考えています」

 冴は、兵法家ということばを使った。戦国時代に活躍した剣豪たちは、剣術以外にも、さまざまな格闘技や合戦についての知識・経験を持ち、兵法家と名のっていたという。

 集団で、広い屋外だけでなく、狭い室内で入り乱れて戦ういくさでは、長い刀を持って戦う剣術以外にも、さまざまな知識・技術が必要だったのだ。  


 その後も、冴と冴の父は、藤吾の〝こだま〟は、この人物ではないか、いや、この剣豪ではないかと、何人もの候補をあげた。

 そのなかで、藤吾が知っていたのは、映画やドラマでよく観る、柳生十兵衛ぐらいのものだった。

 結局、藤吾のなかに潜んでいるのが誰なのか、特定はできなかった。情報が少なすぎたのだ。


 何か、思い出せることはないかと、何度も冴や美雪からきかれた。

 が、〝こだま〟が現れたときの藤吾は、はっきりとした意識を持っておらず、どんなに記憶をさかのぼり、頭をふりしぼっても、何も出てこなかった。   

「とにかく――」

 美雪は、冴と目を見あわせながら、藤吾のほうを向き、重々しい声で、

「今度、武蔵が出現したら、戦いは避けること。藤ちゃんに憑いているモノが何者であろうと、武蔵にかなうとは思えない……絶対に戦ったりしないでよ」

 冴も同意見らしく、美雪の背後でうなずいている。


 ――ひとしきり議論した後、冴の父が用事があるといって退出し、藤吾たちが雑談で盛りあがっていると、携帯が鳴った。あまり返事を返さない藤吾の性格のせいで、めったに携帯が鳴ることはないが、この事件が始まってから、よく鳴っている。

 見ると、武の家からだった。武は、携帯をよく忘れる。またどこかに忘れて、家の固定電話でかけているのだろう。

 藤吾は、少し待たせて、もったいぶったいい方で答えた。

「なんだ?」 


 藤吾は、電話の声を聞いた途端、立ち上がった。武の母からだった。武の母は、おろおろしていた。武が何もいわず、居なくなったのだという。

 美雪たちも、藤吾の様子に気づいて、話をやめていた。

 藤吾は、自分たちも探してみますといって電話を切った。

 藤吾は、目をつむり、じっと動かず、考えた。 藤吾には、武の居場所に心当たりがあった。


 ……あそこに、きっと、武は居る。

 なぜか、そう感じた。

 藤吾は、走って部屋を出た。

「藤ちゃん! 待って!」

 美雪が、あわてて、あとを追った。冴も続く。

 あわただしく出て行く三人を、道場生が、ぽかんと口を開けたまま見送っていた。

 が、すぐにはっと気づいた様子で、道場の奥に走りこんだ。冴の父に知らせるためだった。



 宮田武は、畳に正座し、柔道場の板壁を見ていた。

 歴代の柔道部員の手垢で黒光りし、鉛筆かシャーペンで書かれた見えにくい落書きや、爪か何かのひっかき傷が、そこかしこにあった。入学以来、長い時間をここで過ごした武にとっては、なじみ深く、気持ちを落ち着かせるものだった。

 武たちの学校は、いわゆる武道系のスポーツに力を入れており、体育館ほどの広さはないものの、専用の柔・剣道場を持っていた。 武は、ここで、二年近く汗を流してきたのだった。


 ここ一年くらい、柔道に関しては、武は何も進歩がなかった。それどころか、できていたことが、できなくなっていたりした。あとから柔道部に入った者に、体力や技術面で、徐々に追い抜かれつつあった。

 激しい練習をいくらやっても、進歩がなかった。筋や骨を痛めるだけだった。試合も負けてばかりだった


 もう武には無理なのだった。。

 なぜ、こんなに弱くなってしまったのか。 幾度もため息をついた。

 武の内部で、何者かが笑っていた。強くなれる方法は、いくらでもある。わしに従っていればな……そいつは、武に囁きかける。武は、それを拒否できなかった。  

 何度目かのため息をついたとき、柔道場の引き戸の開く音がした。


 武は、振り返った。

 誰か、来たらしい。確か今日は、柔道部の練習はなかったはず……だからこそ、ここに来たのだ。

 武は立ち上がった。身体の奥底から、激しい力が津波のように押しよせ、武の意識を飲みこんだ。あらがうことができなかった。

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