第14話 給仕は見た

「ちょっと寒いわね。今何℃なんどかしら」

「いきなり唐突だね。そんなのわかるわけないじゃないか」

「あら残念」

「ヘーイそこのキミぃ。何℃なんどかわからなくて困っているのかーい? ミーならわかるよ。おしえてあげようかー?」

「まあうれしい」

「なんだお前は。僕たちの邪魔をしないでくれないか? いくら彼女が美しいからって、無茶苦茶な事を言って強引に絡んでこないでくれたまえよ」

「なーにをいっているんだーい? ミーはただ困っているれでぃに手を差し伸べたまでさー」

「ステキな方……」

「貴方までどうしたんだ。僕たちの愛は永遠だって、昨日誓ったばかりじゃないか」

「えーっとねー……そう! 二四℃にじゅうよんどだよー」

「バカなのかお前は? この寒さでなにが二四℃にじゅうよんどだ。貴方もわかったろう。こんなくだらない男なんかに惑わされちゃだめだよ」

「うーん、そうなのかも……」

「チッチッ、わかってないなー。ミーが二四℃にじゅうよんどだって言ったら『絶対二四℃にじゅうよんど』なんだよー。ホラー」

「あっ、あたたかくなったわ……なんて心地いい……」

「なんだ? なにがどうなっているんだ!?」

「キミのあたたかーい二四℃にじゅうよんどの心が、ちゃーんと伝わってきたんだよー。だからミーがそれに合わせてあげたのさマイれでぃ」

「ありがとうだーりん」

「ま、まってくれええええええええええええええええええええええ! ばたっ」


 これは何の儀式? もう三時間以上も温度計を使って、いったい何をし続けている? 温度計を凝視し笑いながら『ホラー』と唱える勇者を見て、その勇者が何を思っているのか、凡人の私には到底理解できない。ホラーの呪文は部屋の外まで影響が及ばないはずだが、私は微かに震えている。頭も痛い。賢者の厳重な結界が勇者の部屋を常に覆っている。賢者に限って間違いは無い。私は安心すべき。


 私はこれまでたくさんの方のお世話をしてきた。貴人の相手をするのは大抵私。貴人には変人も多い。大抵の事なら笑って流せる自信があった。だが、扉の鍵穴越しに覗くその先で謎の儀式を延々と続けている、この勇者がこの世界に戻ってきた今となっては、その自信は不信に変わった。


 昔の勇者の事はほとんど覚えていない。勇者が別世界に旅立たれたその時、私はようやく意識がハッキリしたくらいに幼かった。もちろんその頃は町のしがない一般人で、貴人と合うこともあるわけがなく、勇者との接点など何もなかった。だから勇者が本当は何を考え、何を大事に思うのかなど、知る由もなかった。勝手に勇者の人物像を作り上げていた。今はそれを痛感する。


 帰ってこられた勇者と初めて対面した時、勇者はちょっとオドオドしていた。外見の年相応のお子様、そのもののように見受けられた。だからいつものように、身分は高いものの中身は普通な方、そういう方に接するようにした。対処の仕方はもう既に私の身に沁みついている。自然とそう振舞うべきだと感じ、自然とそう振舞った。


 その日の晩から全てが狂いだした。突然、呼び鈴が鳴った。いや、あれは呼び鈴ではなく、聞いたことのない、嫌な予感を彷彿とさせるナニカの音だった。今思えば、あれは始まりを告げる合図だった。城内が騒めき、魔族の襲来に備える衛兵が慌ただしく動いた。いつまでも続くその合図は勇者の部屋から鳴り響いている、私の控室に飛び込んできた隊長が、そう気づかせてくれた。あっちから変な音がする、あれは何だと私に質問した。


 私は混乱した。あの部屋にはそのような音を出すものは無い。勇者の持ち物か? 怯える私に気がついたのか、隊長が俺に任せろと言って、勇者の部屋に入っていった。しばらくして部屋から出てきた隊長は、気にするな、とだけ言って、行ってしまった。あとには静寂だけが残った。その日から私は寝付けなくなった。


 次の日、私は失態をおかした。勇者に注文を付けてしまった。給仕としての矜恃も忘れ、主人に無礼を働くなど、以前の私が見たら軽蔑するだろう。だが以前の私は知らない。あの音を聞いたことが無い。私はもうあの音を聞きたくない。あれは私の心をかき乱す。


 幸いその時からあの音はしばらく流れてきていないが、おぞましい高笑いを皮切りに、勇者は連日にわたる儀式を続けている。今日もあの高笑いをしていた。儀式は不気味に謎めいていて、昨夜の『わらわらわらわら――』と念じ続けるあの声は、まだ私の頭から離れていない。


「将軍! このままでは戦線を突破されてしまいます!」

「しかたがない……いったん撤退じゃ! 北緯二五度線にじゅうごどせんまで引くぞ!」

「ここで死ぬわけにはいかない。俺はこの戦争が終わったら結婚するんだ……!」

「バカ! なんてことを言うんだ! ……ああ、もう息をしていない」

「どうした! なにがあったのじゃ!?」

「この野郎が……唱えちまったんですよ……死亡フラグの呪文を……」

「なんと! あれだけ散々注意しろと命令しておったのに……血迷ってしもうたか」

「将軍! このままでは再び戦線を突破されてしまいます!」

「ええいなんとかせい! ここは絶対に踏ん張らねばならぬ!『絶対にじゅうごど』線だけは越えられてはならんのじゃ!」


 また不気味なコントがはじまった。温度計を見つめながら楽しそうに戦争を語る勇者、この目の前の現実が受け止められない。勇者の一挙手一投足を見ていると、体の震えが増し、頭の痛みもまた一段と強くなる。


 勇者のすることは謎しかない。大声で叫び続け、静かに世界に命令を下し、ベッドに潜り込んで震える。怒り狂ったかと思えば、顔に大量の汗を浮かべてそれを拭う。前後の脈絡が無い。そして、勇者にさせられることもまた、謎しかない。今日は、いまのところは温度計と防寒具を渡すだけで済んているが、あの『すかあと』なるものを作らされたのは、たしか風の日だった。


 訓練をしているはずの勇者が突然、控室に飛んできた。『すかあと』を作れと命令をした。私はそれを知らなかった。聞いたこともなかった。ただ、勇者の命じるままに従うしかなかった。何を作らされているのかわからず、それを勇者はどうするつもりなのか、不安を感じた。


 できあがった『すかあと』を抱えて飛んでいった勇者を私は追った。行った先で私が見たのは、従者を伴い『すかあと』を腰に巻き付け半狂乱の踊りを続ける勇者の姿だった。従者は既に意識が飛んでいて、あれは生贄だったのかもしれない。勇者は楽しそうに見えた。生贄がお気に召したのだろうか。


 そういえば、私の意識も最近だんだんと飛び始めている。私は次の生贄なのだろうか。私の意識が消えてなくなるまで、この儀式は続くのだろうか。ずっと私がこの扉の前に釘付けになって動けないでいるのは、既に私に釘が刺されてしまっているからだろうか。勇者の瞑想は続いている。瞑想が終わると、またコントが始まるのだろうか。頭が痛い――さすがにこれ以上はもう耐えられず、私は目を閉じてしまう。


「これはいくらなんでもマズすぎるでござる……あっ、つい我を忘れてうっかり口を滑らせてしまったでござる……なんたる不覚、拙者がこんな粗相をおかしてしまうとは、そこまで動揺してしまっていたでござるか……えっまだ喋っているでござるか!? なんと、これもまた呪術なのでござろうか……ハッ、このままでは何もかも喋らされて、全て筒抜けになってしまうでござる! 今度こそ完全に撤退するでござる!」


 ああ、コントが聞こえてきた……もう助けて!

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