巡り、廻りて、花愛でり。

まきばのあさ。

1.バルディア調査隊

 華暦四一二年。快晴の空模様。夏を予感させる暖かな風が吹く。誰もが心地よさを覚えるような、そんな穏やかな昼下がりだった。

 所狭しと身を寄せ合う木々が引き裂かれるようにして開けた細道を、列を成した五台の馬車が往く。彼らはまだ見ぬ秘境を求める冒険家・バルディア調査隊の一行である。




 「おいおいグラジオ君よぉ。ここ、埃残ってるぜ。雑用ならもっとマシな働きしねぇと、バルディア隊長に捨て置かれるぞ」

 「……は、はい。すいません」

 最後方から二つ目の馬車。一行の荷物を一纏めにして積んだこの車両に乗るのは、隊員のキキョウと雑用のグラジオである。

 黒い短髪に引き締まった眉。キキョウはまさに男性的という言葉が似合う、どこか頼りがいのある顔をつきを持つ。その一方でグラジオは、帽子に潰されてくるくるとうねった茶髪と気弱に垂れた眉が、どこか中性的な印象を抱かせるだろう。

 キキョウは、自分もまた被害者であるかのように愚痴を零した。

 「バルディア隊長はいい人だけど、規則には厳しーんだ。埃でも落ちてようもんなら、荷物番の俺も連帯責任で怒られる羽目になる。そんなのまじ勘弁だかんな!」

 「すいません! すいません!」

グラジオは囃し立てられるように、その揺れ続ける馬車で埃を集めた。

 彼はこの調査隊で夢を追う、まだ一五歳の少年である。若さからも察しがつくように、彼に調査隊として要求される専門的な知識や技術は無い。それでも彼がこの調査隊に同行できるのは、彼が雑用として調査以外の側面から隊の運営に貢献しているから。つまるところこの少年は、持ち前の勤勉さだけを隊長に見込まれここに居るというわけだ。そしてそれゆえに、こういった地味な仕事ではなおさら気が抜けない立場にある。




 先頭を往く馬車にて。そこには調査隊の隊長であるバルディアが、三名の隊員と悪路に揺られていた。ある隊員の男は、古文書を開きながらふと呟く。

 「――世界から断絶された大森林・チョウラン、ですか」

バルディアはその地名に反応すると、饒舌に語ってみせた。

 「少なくとも三一九年の終戦から今現在まで、誰一人として立ち入った記録が無い。秘境と呼ぶにふさわしい場所だろう」

 「なるほど、このあたりにはまだそんなところが」

 「それでウチらが、そこに最初の足跡をつけようってわけだ。まだ見ぬ神秘を記録するためにな」

そしてバルディアは、ふつふつと燃える好奇心を押し殺して呟く。

 「そろそろ入るな。さあ行くぞ。地図無き道へ」




 ようやく掃除を終えたグラジオとキキョウは、向かい合うようにして木箱へと腰掛けた。

 「……ふぅ。終わった終わった」

キキョウがふとグラジオへ視線を移したとき、彼は私物であるボロボロのバッグを抱え込んで俯く。下を向いたその顔は、随分と血色が悪い。

 キキョウは耐えかね、思わず声をかけた。

 「どうしたグラジオ?」

 「ちょ……ちょっと酔ってしまったようでして……」

 「……忘れてた。お前酔いやすいんだった。動いてる馬車の中で動きっぱにしちゃまずかったか。悪ぃ」

 「いえ……むしろこっちが……申し訳ないです……」

 キキョウは少年の謙遜を聞き流しつつも、無意識にその少年の手元へと視線を奪われた。グラジオがそれをあまりに大事そうに抱えているものなので、ついついその正体を尋ねてみる。

 「そういえばさ、お前そのボロいバッグに何入れてんだ?」

グラジオはキキョウの問いに答えるべく、バッグの口を開き始める。

 「ああ、悪ぃ。体調優れねぇのに動かさせちまって」

 「いえ……お構いなく……」

 彼が取り出したものは、一冊の分厚い本。それはバッグの容積をほとんどを占めてしまうくらいに大きく、持ち歩くには不向きであると言わざるをえない書物だった。

 「……男らしくない、なんて言われ慣れてます。それでも僕は、僕の夢を隠したくない。世界中の花をこの目に焼き付ける。それが僕の夢なんです」

 年季の入った分厚い本の表紙に描かれているのは、一本の花のイラスト。その上には小さく彫られた"Flower Encyclopedia"の文字。少年の手に握られたそれは、あらゆる花の生態が収録された大図鑑であった。

 また馬鹿にされてしまうのだろうか。吐き気を何とか押し殺しながらも、グラジオはキキョウの顔をおそるおそる窺った。しかし見上げた先では、意外な反応がグラジオを待ち受ける。

 「……あれ? 笑わないんですか?」

 「ばーか。どこに笑いどころがあったんだよ。いいじゃねぇの。いい夢じゃねぇか」

 思い返せばこのとき、グラジオは雑用としてバルディア調査隊に同行して以来、随分と久しぶりに胸の内に秘めた夢を語った。入隊以前は慣れてしまうほどに茶化されてきたその夢だったが、目の前の青年は真っ直ぐにそれを認めてくれた。

 雑用のグラジオは決して良い待遇でない。それでもこれだから、この調査隊が大好きだった。理由を一つには絞れない笑顔が自然と零れる。

 「……へへ。そういえば、バルディア隊長にも同じこと言われましたよ」

 少しばかり感極まるグラジオとは対照的に、キキョウは随分と落ち着いた声色で返す。それは彼にとってあまりに当然のことだったから。

 「ここに人の夢を笑う奴なんて居ねぇよ。調査隊なんて、誰もが夢追い人だ」




 馬車の隊列を呑み込む森は、その表情を少しずつ変え始めた。健康的で力強く根を張る木々は、道を進むたびに青みがかってくすんだ大木群へ。青々しく鮮やかな葉や植物はエメラルドグリーンに染まり、神秘的な様相を帯び始める。木々の密度は下がったが、それを思わせぬくらい大きく高くそびえる大木は、まるで空のその先を目指すように伸び伸びと枝を広げた。林冠のせいで妙に薄暗い森の中を照らすのは、宙を舞う淡い光の玉。足元の土は先程までよりもやや水分を含み、馬車の揺れは随分とましになった。筋骨隆々な馬たちの蹄鉄には、湿った粘り気のある土がまとわりつく。きっと苦労しているだろう。

 馬車から外の様子を見たバルディアは仲間のほうへ振り返ると、懐から白紙の地図を取り出した。

 「さあ野郎共。冒険の始まりだぜぇ」

同じ馬車に乗る隊員の男は、そんな陽気な隊長を見て微笑む。

 「まったく、隊長はそんなガラじゃないでしょうが」

 「んだよ、たまにはいいだろー。大人でも騒ぎたいときくらいあるっての」

 かろうじて残っていた細い林道もとうとう消えた。それはここから先が、世界から隔絶された未知の世界であることを意味する。

 五台の馬車は止まらない。彼らは大木の合間を縫うようにして、秘境の奥深くへと沈み込んでいった。




 「――そしてこれがゼラニウム。鮮やかな色が特徴です。多年草で肉厚な茎を持ち、乾燥に強いけど湿気に弱くて――」

 グラジオには熱が入ってしまった。花図鑑の一ページを指さしながら、頼んでもいないキキョウへ必死に花の魅力を伝える。もはや車酔いしていたあれとは別人だ。

 少年があまりに嬉しそうに話すので、キキョウはそれを真摯に聞こうと試みた。それでもキキョウの研究分野と花は全くの専門外なので、さすがにそろそろ疲れが現れる。そうして散漫となった彼の視線は、花図鑑でなく別の所へ吸い込まれていった。

 「す……げぇ。何だってんだこの異様な森は……?」

 小さな窓が切り抜く外の風景に胸打たれたキキョウは、御者の居る前方へと駆け出した。

 「あれ? ちょっとキキョウさん……!?」

グラジオは花図鑑を閉じて抱え込むと、キキョウに続いて馬車の前方へと駆ける。

 そのあまりにも神秘的な光景は、二人から言葉を奪った。そこはいつの日か読んだおとぎ話に現れるような。まるでどこからともなく妖精がやって来そうな。息を呑んだままの少年の瞳に映した景色は、少年の記憶のどこかにひっそりと残された絵本の世界と重なった。




 五台の馬車はまるで妖精の導きに従うように、迷うことなく進路を進める。未開の地を突き進む彼らに未知への恐れは無い。そこにいる誰もが、いまだかつて無いほどの幻想的な風景に心躍らせていた。

 キキョウは情景に釘付けられながら、ひっそりとグラジオへ呟く。

 「グラジオ、始まるぜ。俺ら以外の誰も知らない、発見に溢れた冒険が」

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