〝四面相〟

雨宮羽音

〝四面相〟

 都心から離れた物静かな倉庫街。

 国道からやや外れたその場所には、道はあれど車の通りは無い。辺りには人の気配すら感じられなかった。


 土地を区切るブロック塀。道すがら立ち並ぶ標識。かつて何かに使われていた建造物の数々。

 その全てが今では朽ち果て寂れている。

 通りを渡れば、投棄された廃棄物のパレードに出迎えられるだろう。


 この場所はすでに終わっている。

 捨てられた土地なのだ。



 一棟の二階建てオフィス。

 そこに一人の男がいた。

 黒いボサボサ頭と、それに対照的な純白の白衣。眼鏡をかけた端正な顔立ち。どこか影のある、陰気な雰囲気を纏った男だった。

 彼がおぼつかない足取りでオフィスの廊下を歩くと、辺りに散乱した雑貨やガラス片が、ぱき、と乾いた音を立てる。


 男が向かったのは10畳程のやや広い部屋だった。

 もともとは会議室か何かだったのだろう。隅に追いやられた長机や、倒れている数脚の椅子。乱暴な走り書きの残ったホワイトボードなどがある。

 ひとつしかない窓からは刺すような陽光が降り、部屋の中をうっすらと照らしていた。


「さあ、起きて起きて!」


 陰気さとは裏腹に、男は明るい声で言った。

 彼は転がっていた椅子を拾い上げ、背もたれを抱くようにして腰掛ける。

 そうして部屋の中心にあった『ある物』に対面するかたちで位置取った。


 部屋の中心には、椅子に座った一体の人形がいた。


 男の呼びかけに、人形はカタカタと身震いをしてから、ぎょろりと瞳を開けて感情をあらわにする。


『おお! 天気が良さそうだ! これは絶好の旅日和では!?』

『クソ、まだ眠いのに起こしやがって……殺すぞ!』

『ねぇ……大きな声を出すの、やめてよ……』

『…………何をしようというのか』



 続け様に捲し立てる人形を前に、男は思案した。

 さて、今日はどんな実験をしようか。


「〝君達〟は研究段階のロボットだ。

 複数の人格AIをひとつのロボットに搭載して、どうなるのか。

 それを確かめるためのプロトタイプってわけだ」


 その言葉に人形は、ぱちくりと目を瞬かせた。

 興味の視線を見せたかと思えば、恨みのこもった鋭い目をする。さらには今にも泣き出しそうな目。そして無関心で虚げな目だ。


 〝彼等〟は四つの人格だ。

 それぞれ、喜・怒・哀・楽の要素を持っている。


「今から君達にしてもらうのは〝しりとり〟だ。

 ちなみに質問は受け付けないよ。いちいち状況説明をするのは面倒だからね」


 と、前置きをする。


 実をいえばこの実験、男にとってはただの暇つぶしであった。

 しかし相手が〝人格〟であるが故、ある程度の制約を設けなければ、ちょっとした遊びですらも破綻しかねないのだ。


『そんなことより旅をしよう!』

『勝敗が決まるゲームなら、殴り合いの方がいいぜ!』

『どうせ私が負けるのに、意味なんてあるのかな……』

『…………他にやるべきことがあるのでは?』


 四つの人格がカシャカシャと切り替わり、それぞれが思いの丈を述べる。


 だが男はそれを無視して、ぱん、と手で乾いた音を鳴らした。


「さあ、はじめてごらん」


 人形は沈黙する。

 ややあって、その瞳が希望に満ちた喜びの輝きをみせた。


『ミデルブルフ』


 最初にしりとりを始めたのはグラッドだった。

 ミデルブルフとは、オランダ南西部の都市名だ。旅に憧れを持っているグラッドらしいチョイスだ。


『フリアエ!』


 それはローマ神話の復讐の女神達の呼称だ。激怒、憤激、逆上などを意味する。

 怒りん坊のアングリーにぴったりの神様だね。


『エメトフォビア……』


 嘔吐恐怖症エメトフォビア

 いつも嘆き悲しんでいる女性のサッドには、恐れているものが多すぎる。


『…………アルベルト……アインシュタイン』


 世界一有名な科学者──んん?


「ダメじゃないか〝グルーミー〟。

 君、わざと終わらせたね」


『……………』


 男の叱咤に、〝グルーミー〟は黙ったままだった。

 特になんの感情も抱いていないような、虚脱した目であらぬ方向を眺めている。


 四つ目の人格、〝グルーミー〟はひとりだけ規格外だった。


 本来ならば喜怒哀楽の〝楽〟を持ち合わせているはずだったのに、どういった訳かファングルーミーに置き換えられてしまったらしい。


 いつだってやる気が無く、どこか一歩引いた場所から世界を俯瞰しているのだ。


「まったく、それじゃあなんの実験にもならないだろう?」


 もとい、これは男の暇つぶしである。


「気を取り直して、もう一回最初から」



『ベラルーシ』


 東ヨーロッパの共和制国家だ。

 どうやらグラッドは欧州にご執心のようだ。


『シュティーア!』


 闘牛などに使われる、雄牛のドイツ語。

 どこまでいっても血沸き肉踊るのは、アングリーさがだね。


『アクロフォビア……』


 高所恐怖症アクロフォビア

 サッドは恐怖症で縛りでもしてるのだろうか。

 でもそれは少しだけズルイ気がする。


『…………アンリ……ベルクソン』


 フランスの哲学者──って、んん!?


「おやおや……グルーミー、君ね──」


 男は呆れ果て、椅子から立ち上がった。

 グルーミーを弾糾しようと思ったのだが、しかし最初に声を荒げたのは三つの人格達だった。


『ゲームにならないのは喜ばしくないぞ!』

『ふざけんなよ、ぶっ飛ばしてやる!』

『あなたのせいでみんなが嫌な思いをするのよ……やめてよ……』


『…………この行為に意味を見出せない』


『それはお前が喜びを知らないからだ!』

『はらわたが煮えくりかえるってのがどういうことか、直接教えてやろうか!?』

『哀しみを知れば、もう少し他人のことを考えられるのに……』


『…………我々は他人では無い。

 ひとつの体に宿る、全員でひとり分の感情だ』


 その一言で、三つの人格は押し黙った。

 困惑、憤り、不安。それぞれが抱く複雑な感情が、人形の瞳を通して現れる。


『…………こんな意味のない行為は、ただの人形遊びに過ぎない。

 本当は他にやるべきことがあるだろう?』


 そう問いかけるグルーミーの言葉に、ややあってから他の人格達が続いた。


『そうだ! 私は旅がしたい! したい!』

『自由が欲しい! それを邪魔する奴も概念も、全部ぶっ壊してしまいたい!!』

『どうしたら泣かずにすむの……? 声が枯れるまで泣けば、私は前に進めるの……?』


『意味が無い』

『意味が無い!』

『意味が無い……』


『『『こんな〝人形遊び〟には、まるで意味が無い!!』』』


 うるさいな。


『『『なんのために! なんで〝我々〟は存在している!?』』』


 うるさいっていってるだろう。


『…………ほら、やるべきことがあるだろう?』


「黙れぇっ!!!!」



 男は座っていた椅子を振りかざし、人形に叩きつけた。


 ごき、と鈍い音がして、椅子から人形が吹き飛ぶ。

 衝撃で頭が外れ、ごろごろと転がったのちに床から男を見上げていた。


 何も無い。

 のっぺら坊のマネキンの顔が──。


 しばらくの静寂。

 そして不意に声が上がる。


『冗談だよ。そんなに怒らず、さあ、笑って』

『人を煽ってケンカさせようなんて、本当にグルーミーはムカつく奴だぜ!』

『泣いてみて……きっと心が安らぐから……』


 ぐちゃぐちゃと表情を変え、男は一人で喋っていた。


 一通り話し終えた後、彼は最初の端正な顔付きに戻っていた。

 纏っていた白衣を脱ぎ、荒れ果てた部屋に投げ捨てる。


「さあ、暇もつぶせたし、もう行こうか」


 爽やかな顔で言って、男は部屋を後にする。


 そして最後に一度だけ、ひどく気怠そうに、どこか落胆した様子で口にした。


『…………いい加減、自分を見つめ直せよ』





〝四面相〟・完

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〝四面相〟 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

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