使徒様は本に囲まれて暮らしたい

七海月紀

0.総記

第1話 光る魔法陣なんて、ゲームかマンガの世界の話だと思っていた。

 青木あおき恭一郎きょういちろうは疲れていた。大学在学中に資格を取得し、卒業後、運よく正規職員として入れた公共図書館に勤め始めて早五年。初めて任された大型イベントの準備で、残業続きの日々が続いているのだ。

(……つっかれたぁあぁ……)

 目を閉じると眠ってしまいそうな疲労を抱え、恭一郎きょういちろうは重い足を引き摺りながら自宅へと向かう。手にコンビニの袋をぶら下げて、ふらふらと歩いている姿は、はたから見るとちょっと怪しく見えるかもしれない。

(あぁ……眠い……。眠れなくなるまで寝たい……)

 恭一郎のここ数日の平均睡眠時間は三時間を切っている。初めて任された大型イベントの責任者。残業をするだけでは時間が足りず、持ち帰れる仕事は持ち帰って夜を徹する勢いで作業をしていたのだ。けれど今夜はそれもない。できる準備はやってきた。

(あとは明日の本番を残すのみ……)

 今夜は明日に備えて早めに切り上げて帰ってきたけれど、昨日までに比べて早めなだけであって十分に夜は更けている。しかも明日は、いつもよりも早く出勤をする予定なので、ぶっちゃけ昨日までと睡眠時間はそう変わらない。歩いているのは、恭一郎の他には前を行く女子高生一人くらいだ。

(こんな遅くまで……受験生かな?)

 恭一郎自身も、大学受験前には毎晩遅くまで塾の自習室にお世話になっていた。歩く後ろ姿に懐かしさを感じていると、彼女の足元が青白く光った。……ような気がした。

(……何だ?)

 気のせいかと思って、半分眠っているような目を擦ってみる。

 と、街灯が急にチカチカと点滅をして消えた。

(え!)

「きゃっ!」

 驚いて声を上げた女子高生の方を見ると、やはり彼女の足元に青白い円形の光が広がっていた。

(何だ?)

「えっ! 何これ! 怖い!」

 声を出して小走りになる彼女の後を追うように光も進む。恭一郎も慌ててその後を追った。

「こっち!」

 追いついた恭一郎が、女子高生手を伸ばして自分の方に引き寄せようとした瞬間だった。

「「え?!」」

 一瞬、迷うように揺れた青白い光が、突然輝きを増して恭一郎の方へと方向転換してきた。

「ちょ、ちょ、ちょ……!!」

 慌てて後ろに下がって逃げようとするけれど、青白い光の方が早く、恭一郎を捕捉する。よく見るとそれは、何やら見たことのない記号と文字で描かれている。まるで、ゲームやマンガに出てくる魔法陣のようだった。

 すっぽりと魔法陣に取り囲まれてしまった恭一郎が、強い光に目を閉じた瞬間。

『しまった!』

(しまった?)

 どこかで聞いたことのあるような声が、恭一郎の耳に響いた。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。瞬きをするほどの間のような気がするけれど、随分時間が経ったような気もする。恭一郎はパチパチと瞬きをして、周囲を見回す。けれど、どこを見ても暗闇しか見えない。

(とうとう気絶したか?)

 自分は疲れでぶっ倒れてしまったのか。それとも、謎の光から女子高生を助けようとした結果、どこかに頭でもぶつけてしまったのだろうか。

「それは困る」

 思わず声に出して呟く。

 準備は万端で、同僚たちにも明日の動きの指示は出しているので最悪恭一郎がいなくてもイベント自体はつつがなく行うことができるだろう。とはいえ、ここまでがんばって準備をしてきたイベントだから、最後までやり切りたい。やり切って、笑顔で帰っていく人たちを見たい。

『参ったな……』

 暗転する直前。光の中で聞こえた声が今度は近くで聞こえて、恭一郎が周囲を見回すと闇の中に一人分の人影が浮かんでいた。

「な、なん?」

 いきなり現れた人影に、恭一郎は思わず後退りをしてしまう。

 闇に浮かぶ人影とは、我ながら妙だとどこか落ち着いた思考が恭一郎の脳裏を掠める。

 少し距離をとって改めて眺めてみると、目の前に立つ人影は……何というか、知らない人ではあるけれどどこかで見たことのあるような人だった。……つまり、普通の人だ。

 困ったような表情を浮かべて頭を掻く姿も、やはり何だか見たことがあるような気がする。

『悪いな、ちょっと失敗した』

「失敗?」

 訝しげに眉を顰める恭一郎の言葉に、目の前に立つ彼は頷く。

『今はちょっと時間がないから、詳しくは改めるけど、何とか切り抜けてくれ。とりあえず、言葉はわかるはずだから』

 そう言うと、彼の姿は闇へと溶けた。

「は?」

 後に残された恭一郎の声だけが、闇の中で響く。

 詳しくは改める?何とか?切り抜けろ?

 言葉はわかるはずと言われても、この場所には恭一郎以外の人間はいない。

(どうしろと……?)

 思ったところで、恭一郎の体は突然強い光に包まれた。

「え? また?」

 眩しくて、目を開けていられなくて、恭一郎は再び強く目を閉じた。

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