真面目ちゃん

魚野紗芽

真面目ちゃん


 電車の止まる慣性で目が覚めた。膝の上に乗せた骨壷は寝ている間もしっかりと抱えられていたようで、テラモトは深く息をついた。ずっと抱えていたからか、エコバッグに入れられた壺はほんのりと温かい。決してこの骨の持ち主の熱なんかじゃなく、自分の身体の熱が移っただけなのだが、それだけのことにテラモトは鼻の奥がツンとした。グッと目に力を入れてどうにか堪えようとしていると、目の前に座った少女と目が合った。純粋なキラキラした瞳に圧されて、骨壷へと突っ伏した。

 早く着かないかな、と目を瞑ったまま考える。閉じた瞼の裏にはこの骨が生きていた頃の姿が映っていた。

 『海に撒いてくれよ、骨』

 よりによって寒くなってきた時期に連れて来られた海の浜辺。風に掻き消されそうな声で男は呟いた。嫌な冗談だな、と何も知らなかったテラモトは顔を顰める。まさかあの時から半年も経たずにこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 ようやく目的の駅に着き、エコバッグの中の骨壷が見えてしまわないように極力気を付けながら歩いた。重みに耐えかねて途中でタクシーを捕まえようかと思ったが、なんだかそれはズルをしているみたいで気が引けてテラモトはやめた。

 きっとこの姿を見たら「真面目ちゃんすぎるだろ」とケラケラ笑われるに違いない。くそ、真面目で何が悪いんだよ、と鼻を啜りながらひたすら歩く。あの海に行くために。

 あの日と同じ……いや、それ以上に寒い風が吹き荒ぶ海。散歩する人もおらず、夏の賑わいの影もない。前に来た時よりもしっかりとした足跡を残しながら、波が打ち寄せる際まで歩いた。

 足元にエコバッグを置いて、中の壺を取り出す。蓋を開けると砕かれた骨がたくさん入っていた。上にはちょこんと喉仏であったところが乗せられている。その骨を掌に乗せ、転がしてみる。とても軽くて、いかにも脆そうであった。軽石によく似ている。それを出来るだけ丁寧にポケットへと入れた。骨の持ち主は全て撒かれることを願っていただろうが、こんなめんどくさいことを押し付けた代わりにこれぐらいはいいだろう。

 骨壷に入れるためにメキメキと音を立てて折られた立派な骨から、塵取りのようなもので集められた細かな骨まで、全て勢いをつけて海へと放った。風が強いからなかなか上手く遠くまで飛んでくれない。情けなくて、また鼻の奥がツンと痛くなる。これぐらいのことも叶えてやれないのか、とテラモトは胸が苦しいのを堪えながら、それでも撒いた。

「お前の父ちゃん、めっちゃ怒ってたぞ。俺、殺されるかも」

 恨みの一つでも言ってやろうと、そんなことを言う。この骨を持ち出す時、どれほど苦労したか。

 テラモトに頼んでいたことなんて何も伝えないまま本人が死に、突然テラモトが「本人の遺言で骨を海に撒きます」などと言うので親族は大混乱、父親は大激怒、母親は泣き喚き大パニック、という状態であった。

 あまり人とぶつかってこなかったテラモトは、しかしその真面目な性格故に死んだ友の遺言を無視することなど出来なかった。テラモトにとってこの骨……カジタは、唯一無二の親友だったのだ。

 『うわ、またタバコ吸ってる……』

 『いや学生じゃねンだから、タバコぐらい吸わせてよ』

 『……お前は学生の頃から吸ってたろ』

 『まっ、そーだけど』

 いたずら好きの猫のような顔でカジタは右頬をクイッと上げる。歯の隙間からは煙が漏れている。

 『お前は吸わんのによく喫煙所に来るよな』

 なにも返せないテラモトを見て、カジタはさらに目を細めた。

 『一本どうよ』

 挑発するように目の前に差し出されたタバコを受け取り、テラモトは口に咥えた。そのタバコにカジタが火を着ける。

 『ちゃんと肺に入れろよ』

 言われるままに息を吸い込むと、反射的に咳が出た。変なものを入れるなと身体が訴えているのが分かる。テラモトが止まらない咳に苦しんでいるのを見て、カジタは腹を抱えて笑っていた。

 『真面目ちゃんには無理か』

 そう言ってテラモトの手からタバコを取り上げて、自分の口へと運んだ。それを美味そうに吸ってから、ぷかりと丸いリングのようになった煙がカジタの口から吐き出された。

 『肺が死んでるだろ、お前……』

 『そ、もう死んでンだわ』

 ニィ、と再び歯の隙間から煙を漏らしてカジタは笑っていた。

 笑ってる場合じゃないだろ、と過去のテラモトは吐き捨てた。それでマジで死んでちゃ笑えねーよ、と現在のテラモトも続ける。

 肉がどうなっていたかは分からないが、骨は割と綺麗だった。もっとヤニっぽい色になっているのかと思ったが、常人のそれと大して変わりなかった。

 骨を撒き終えた骨壷を抱えてテラモトは座り込んだ。さっきポケットにしまった喉仏を取り出し、ゆっくりと親指で擦ってやりながら今後について考えた。

 多分、これは何らかの罪に問われるだろう。本人の遺言だという証拠はなにもない。清廉潔白に生きてきた人生が一気に傾いた。

 けれど、とテラモトは思う。きっとカジタはそんな俺を望んでいた。きっと、タバコを吸わせたあの時だって。

 口の中に骨を放り込み、思い切り奥歯で噛む。やはり、簡単に砕けた。

 粉々にして少しずつ飲み込む。味はよく分からない。美味しくないことは確かだった。

 立ち上がって、用済みの骨壷を足の先で蹴倒す。中身を失ってもなお、重々しく砂浜に転がった。

 足の先を波が舐めていく。履き慣れない黒いローファーが潮水に浸っていく。思い切り足を踏み出して、もう一歩踏み出す。それを交互に、機械的に行うだけで簡単に腰の辺りまで浸ってしまった。

 もういいか、と目を瞑る。

 『やれンのか? 真面目ちゃん』

 挑戦的なカジタの顔が瞼の裏に浮かぶ。やれるよ、と俺は小さく答え、出来る限りカジタのようなニヒルな笑みを浮かべた。

 大きく腕を開いて、正面から倒れ込んだ。バシャ、と飛沫が上がる。服が海水を吸い上げて肌に張り付き、身体が沈んでいく。骨を食べたばかりの腹の辺りだけが、ほんの少し温かかった。

 

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