騎士の夫は紙婚式に帰ってこない

和希羅ナオ

第1話

 王宮の庭師として日々を平穏に過ごしていた私に転機が訪れたのは、嵐が来たある日のことだった。


 雨と風が強い中、庭園の花々の様子が気になって走り回っていたとき、オリバー様にいつの間にか見られていたらしい。

 それも、結局後で知ったことで、その日の私は忙しくて気づきもしなかった。


 オリバー様は、皇国の第一騎士団の副団長をされていて、普段なら私とはまったく接点のない人だった。

 それが、嵐の数日後、突然、結婚を申し込まれたのだ。


 最初に思ったことは、なぜ私?

 ただ、それだけだった。


 今まで私はオリバー様と、一度も面と向かって会話をしたことがなかった。

 それどころか、王宮内ですれ違うことすらなかった。


 それが、なぜ突然、結婚なんて話になるのだろう。

 ただ、ただ、不思議でしかなかった。


 他の庭師や、王宮のメイドの友人たちからは、玉の輿だと騒がれた。

 それに、オリバー様はその奇麗な銀髪や、端正な顔立ちから、憧れを抱いている女性も多かったから、嫉妬の眼差しを向けられたりもした。


 私も名前は以前から知っていた。

 噂で風貌も聞いていた。

 だけど、彼と私の立場が違いすぎて、隣に立つ私が想像できなかった。


 書面で結婚の申し込みが来て、周りに急き立てられるように私は会うことになった。

 その日のことは一生忘れない。


 花々の世話をしている君のことが目に入っていた。

 そう何度も、何度も、彼は言った。

 

 あの日、嵐が来た日、必死になって美しい庭を守ろうと走り回る私を見て、あなたしかいない、そう感じたんだ。

 私を愛でるような眼差しで彼は囁いた。


 戦場に立つその日まで、一緒にいてくれないか、彼はそう私を説得した。


 あなたが待ってくれていれば、必ず生きて帰ってくる、彼はそう私に懇願した。


 その姿があまりにも弱弱しく、儚げで、まるで今にも枯れそうな花のような気がして、いつの間にか私は首を縦に振っていた。


 それから、私はオリバー様と結婚することになった。

 もう一年も前のことだ。


 私は庭師を辞めようとも思ったのだけれど、彼が望んだので、仕事は続けることにした。

 

 結婚生活は、それはとても甘く、夢のような時間だった。

 

 彼は、草木や花の話をする私のことがとても好きだったようで、にこにこといつまでも話を聞いてくれた。


 料理は苦手だったけれど、それでも頑張って作った晩御飯を、おいしい、と言って食べてくれた。


 毎晩、私と結婚して本当に良かった、そう優しい言葉をかけてくれた。


 結婚しても、私の彼の呼び名は変わることはなく、オリバー様と呼び続けた。


 彼は不満そうだったけれど、恥ずかしくてどうしても呼び捨てで声をかけることができなかった。


 心の中でだけ、時々、オリバー、と呼び掛けていたのは秘密だった。


 クレアの育てる花はとても美しい、その言葉がとても嬉しかった。


 でも、その眼差しに、陰りがあることが私はずっと気になっていた。


 その日は突然やってきた。

 半年ほど経った頃、王都を出立して隣国との戦争に赴くことになったのだ。


 それは結婚するときから分かっていたことだった。

 いつかその日が来ることは自明だった。


 それでも、私には耐えられなかった。

 出立のその日まで、私は彼のいないときに毎日のように泣いた。


 一度戦争が始まれば、それは数か月にも及び、雪が降って停戦するその日まで帰ってこられないかもしれない、オリバー様はそう予想していた。


 いつの間にか、私の心は弱くなり、彼なしでは過ごせなくなっていた。

 出立の最後の日まで、私はただひたすら、彼の前では笑顔を作りつづけ、一人になればずっと泣いていた。


 そして、彼は戦争へと旅立っていった。

 私ができることは、彼が帰ってくるまで、彼が戻ってきたときに出迎えられるよう、花木を世話することしかなかった。


 一か月が経った。

 隣国との戦争は一進一退で、国境付近では大規模な戦闘が繰り返されているという話だった。


 二か月が経った。

 オリバー様から、短い便りが届いた。


 第一騎士団にも多くの死者が出た、そう書いてあった。

 けれど、便りの大部分は、私のことを心配する内容だった。


 食事はちゃんと食べているか。

 病気になっていないか。

 一人で何か困っていないか。

 庭師は順調に続けられているか。


 彼は戦争でそれどころじゃないはずなのに、ほとんど私のことを訊ねる内容しか書かれていなかった。


 また、私はしばらく泣き続ける日が続いた。

 私は以前にもまして、草木や花々の世話に注力した。

 そうすることで、気が晴れるような気もしたし、彼が帰ってきて喜んでくれることを期待もした。


 三か月が経った。

 隣国が大規模な攻勢を仕掛けてきて、私たちの住む皇国は劣勢になっていると新聞で報じていた。


 彼からの便りは途絶えていた。

 けれど、王宮内の噂で、第一騎士団はまだ前線で健在だということを聞いて、ほっと胸をなでおろしていた。


 四か月が経った。

 再び、オリバー様から便りが届いた。

 

 戦況は芳しくないようだった。

 部隊が維持できなくなり、第一騎士団と第二騎士団が併合されるという話だった。


 早く家に帰って、君の作った料理が食べたい。

 またその声が聞きたい。

 一緒に買い物をして街を歩きたい。

 血の臭いなんかより、君の世話する花々の香りに包まれたい。


 書かれた内容は、悲痛な言葉が並んでいた。

 きっと私が想像するよりも、現場は悲惨なものだろうことが想像できた。


 五か月が経った。

 冬を前にして、皇国が追加の部隊を派遣し、一転して隣国に総力戦を仕掛けるらしい、そんな話が耳に入った。


 勝てば戦争は終わる。

 負けても、国境近くの領地を譲渡して停戦するのではないか、噂は噂を呼んだ。


 もうすぐ、オリバー様が帰ってくる。

 私は、彼が帰ってきたときに、最高の状態の庭を、花や草木を見せることができるよう、今まで以上に心血を注いだ。


 王宮の中で一番人気のあるのは、皇帝ダリアという植物だった。

 開花期が遅く、冬の直前に発芽する花で、薄紫色の一重の花を咲かせる。

 オリバー様も、この花が大好きだった。

 

 半年が経った。

 結局、皇国は隣国との戦争に敗れた。

 総力戦で敗退し、国境近くの一部の領地が隣国に割譲され、冬を前にして一時的な停戦となった。


 だが、まだオリバー様は帰ってこなかった。


 結婚して一年を迎えたその日、一通の手紙が家に届いた。

 オリバー様からの便りだった。


 嫌な予感がして、私はすぐにその手紙を開くことができなかった。

 何か、見てはいけないことが書いてあるのではないか、知ってはいけないことが書いてあるのではないか、不安に苛まれた。


 何度も、何度も、手紙を開こうとして、目の見えない何かが私の手を止めた。

 何時間もかけて封筒から手紙を出すことはできても、すぐに読むことはできなかった。


 それでも、私は意を決して手紙を開く。

 そこにはオリバー様から私への思いが綴られていた。






――私の愛する人へ


 この手紙を読んでいるということは、結婚してからもう一年が経ったということだろう。

 

 君を初めて見つけたのはいつのことだったろうか。


 もう何年も前のような気がする。


 王宮に足を運ぶ中で、何度も視界に入っていたことを記憶している。


 目にするあなたは、いつも土にまみれ、せわしなく草木や花の世話をしていた。


 王宮の庭園の素晴らしさはよく耳にしていたし、私もその手入れの届いた様子に感心していた。


 いつの間にか、王宮に行くときに、あなたを探すのが楽しみになっていた。


 あの日、王都が嵐に包まれていた日、私は来るべき戦争に向けての軍議に参加していた。

 

 避けられない戦いであることは分かっていた。


 それでも、それが、国中を巻き込んで、命を懸けることになるほどの大きな戦になることに、私は不安を感じていた。


 そんなときだった、嵐の中で走り回り、草木や花を守ろうとするあなたの姿を偶然目にしたのは。


 いや、きっと偶然ではなかったのだろう、自然と私が探していたのかもしれない。


 その姿に、その献身的な様子に、私は心を打たれ、少しの間でもいい、あなたと時間を共にしたいと思ってしまった。


 戦争という嵐の中で、自分の姿とあなたとを重ねてしまったのかもしれない。


 それからのことは、きっとあなたを困惑させてしまっただろう。


 突然の求婚に驚き、不安にさせてしまったかもしれない。


 けれど、私の決断は間違っていなかったと信じている。


 あなたと過ごしたこの時間は、私にとってかけがえのないものとなった。


 戦争に行ったとしても、必ず生きて帰ってくる、そう強く思えることができたのだから。


 いつか、また、いや、いつまでも、二人で皇帝ダリアの花の香りに包まれたい。


 剣を持ち、人を殺す、騎士である私がそんな願いを持つのは変だろうか?


 いや、きっと、あなたも同じ思いでいてくれるだろう、そう信じている。


 たとえ、その半分の時間、二人が離れていたとしても、結婚してこの一年間、私は本当に幸せだった。


 心の底から、ありがとう。


――オリバー






 手紙を読んだ私の手は震え、体は寒気に襲われていた。


 涙が溢れて止まらない。


 これは遺書ではないのか。

 死の間際に、もしくは、総力戦の前に、オリバー様が最後に書いた手紙ではないのか?


 そんな恐ろしい考えが、私の心に巣くって体を蝕んだ。

 

 翌日、私は王宮内のあらゆる伝手を使って、オリバー様の生死を確かめようとした。

 しかし、国境までは距離がありすぎて、誰も情報を持っていなかった。


 残念なことに、一介の庭師やメイド、雑用の担い手が得られる情報は限られていた。

 きっと上層部や貴族なら、彼の生死が確認できたに違いなかった。


 手紙が来てから、何日のもの間、ただ私は日夜問わず、泣き腫らすことしかできなかった。

 いつの間にか、皇帝ダリアの花は散っていた。




 だが、ある日突然、彼は家に帰ってきた。

 半年ぶりに見る彼は、別人のようにも見えた。

 特に怪我をしている様子はなかったけれど、顔は疲れ切っていて、戦争が彼を痛めていたことは想像に難くなかった。


 停戦交渉に駆り出されて、すぐには帰ってこれなかったんだ、第一声がそれだった。


 けれど、私は平静ではいられなかった。

 心の中はぐちゃぐちゃに荒れてしまっていたのだ。


 あの手紙はいったい何だったんですか?


 遺書かと思って、悲しかったんです。


 どうして連絡してくれなかったんですか。


 私はぼろぼろと涙を流しながら、彼を何度も何度も責めた。

 責めるつもりはなかったのに。

 それが場違いな言葉であると分かってはいたのに。


 それでも、嵐の中に今まで一人、私を残した彼にすべてを吐き出してしまいたかった。


 結婚してから一年の記念を祝う紙婚式だったからね、その日に手紙が届くように予約していたんだ、と彼は答えた。


 本当はその日までに帰れるはずだったんだけど、と残念そうに呟く。


 死んだかと思ったんです、怖かったんです、彼の胸に飛び込んで、わんわんと泣き叫び続ける。


 ごめんね、と言われ、私はそれ以上何も言い返すことができなかった。


 皇帝ダリアはもう散ってしまったんです、と泣きながら伝えた。


 それは残念だ、二人で見たかったのに、と私の頭を撫でながら彼は囁いた。


 でも、と彼は言葉を紡ぎ続ける。


 また、来年、二人であの薄紫色の花を一緒に見よう、そう彼は微笑んだ。


 はい、と私は真っ赤になった目で彼の顔を見ながら答える。


 また来年も美しい花が咲くように、王宮の庭を丁寧に手入れしなくてはいけない。

 

 忙しくなりそうだ、と私は彼の胸の中に包まれながら、そう思った。

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