百八十五話 瑞稀、白露(六)

「ちょっとわたくしごとで」


 口走ってしまった。


 油断してました。灰田さんの名前が出てきて、気持ちがつい、あっちの方に飛んでいって思わずスマートフォンを確かめてしまったのです。

 連絡は、来てませんでした。

 頼む、とひと言言い残して新橋に戻るゆりかもめに乗り換えていった灰田さん。この時間まで戻ってこないってことは、ちゃんと逢えはしたのでしょう。いいえ、もしかしたら今頃は修羅場の真っ最中なのかも。私、とんでもないことをしちゃったのかもしれない。

 無意識にいた溜息のタイミングにピンポイントで尋ねてきた皆川さんに向けて、反射的に飛び出してしまった私の吐露とろ


「私の知り合いが、今日の飛行機で東京に出てきてるんです」


 え? え?! なに語り出してんの、私! こんなの部外者に喋る話じゃないでしょ。


「婚約の報告をしに男性の方のご実家を訪ねるために」


 駄目。もう止められません。私の馬鹿。

 怪訝そうな面持ちの皆川さん。でも言葉は挟んできません。次の私の言葉を待ってる。最後まで聞くから不安な想いは全部吐き出して。そんな感じで。

 私の脳裏に今朝の皆川さんの第一声が蘇ってきました。


「もう大丈夫。ちゃんと助けに来ましたよ」


 そうだ。皆川さんは私を助けに来てくれてたんだ。

 なんの利害関係もない完全な外様。利益を求めず責任も負わず、ただただ無私で手助けするだけ。リスクを背負わせる心配をしなくてもいい気休めの救世主。仕事の重圧プレッシャーと栄さんたちの行く末の心配との板挟みでぺしゃんこになりそうないまの私が、いちばん必要とする存在ひと

 次の商談予約まではまだ一時間以上あります。ちょうど今から笘篠とましのさんの商品紹介プレゼンがはじまるところだから、問い合わせも途絶える時間帯。

 私は腰を据えることにしました。この時間はきっとなんの役にも立たないだろうけど、私はたぶん楽になる。息を吸い込んで、皆川さんの瞳を見つめます。助言アドヴァイスなんて要らない。ただ、最後まで聴いてね。


「私にはひと回り年上の親友がいます。タウン誌のライターをやっていて、今年の初めにひょんなことから知り合いました。それ以来いろんな場面で一緒に過ごして、助けられたり愉しんだり」


 皆川さんは軽く姿勢を直しました。深く座る感じ。受け入れ体勢っていうのかな。安心して続けられそう。


「親しくなるうちにいろんなことを知ります。お仕事のことや趣味のこと、昔の話なんかも。結婚まで行きつけるはずだった学生のときの恋の話も聞きました。その相手は、なんと私の会社の上司。私と知り合ったのをキッカケにふたりは再会したのです。十五年ぶりに」


 隣のテーブルでひとが立ち上がったのが気になって、いったん言葉を切りました。皆川さんも目を動かしてます。

 なんだか急に場違いな気分に襲われちゃいました。ていうか変ですよね、やっぱり。展示会場で話す話題じゃないし。気持ちがしぼんできた・・・・・・。


 目を上げると、皆川さんが柔らかくこちらを見つめています。続けていいよ、って言われている気がしました。

 はい。続けます。


「ふたりが別れるキッカケになった出来事はすでに過去のものになっていました。双方とも独身で、再スタートさせるのになんの問題も無い。私はそう思っていました。ふたりとも尊敬できるひとで、互いに大事に想い合っているのは双方ともの近くにいた私にはわかっていました。でも、いっこうに復縁する気配はない。なんの障壁もないのに」


 アラフォーの恋はしゃーしかねぇ、と言った栄さん。ホント、めんどくさいしゃーしぃ


「上司の方は自分の過去の不義理にこだわっていて、親友の方は現在の浮き草のような暮らしで後ろ向きになってる。そんな感じです。でも外野がどうこう言ってもいいことはないし、時間さえ掛ければその辺は解消されるんじゃないかな、なんてゆるく考えてました」


 ときおり腕の位置を変えるだけで、皆川さんはひと言も差し挟むことなく聞いてくれてる。いつのまにか、私の周りからは喧騒が消えてます。


「ところが、第三のひとが現れたんです。親友の取材相手のお医者さん。悪い方じゃないそうなんですが、とにかく強引で。で、親友の気持ちが定まる前なのに親に合わせて既成事実をつくってしまおう、っていうのが現在位置なんです」


 安曇凛太郎あずみりんたろうというひとのことを、私はよくは知りません。彼のことを知る人は私の周りでは栄さんひとりですし、もちろん会ったこともない。知ってるのは栄さんが書いた『シティナビはかた』の記事と、あとは栄さんご自身から聞いた話だけ。その少ない情報から作り上げた勝手な人物像だから、私の説明の中ではどうしたってかたき役になってしまいます。でもきっと、自分に正直なひとなんでしょうね。


「たぶん今頃は、お医者さんと上司を前にして、親友が自分の本心を話してくれている。そう信じてるんですが・・・・・・」


 語尾が曖昧になります。だって、いまどうなっているかはまったくわからないんですから。

 黙ってしまった私に、皆川さんは助け舟を出してくれました。


「波照間さんは、親友も上司の方からも連絡が来ないんでモヤモヤしてる。そういうことなんですね」


 私は頷きます。

 話しているうちに不安だった気持ちは落ち着いてきました。と同時に、こうやって要約してみると日々の葛藤なんてけっこう陳腐なものなんだなって。結局のところ大事なのは、伝えるべきことを伝えるべきタイミングで言葉にして伝える、ただそれだけ。それをしなかったばかりに話はこじれにこじれ、どんどんおかしな方向に流れていってしまった。

 個々の想いとは別に、この三人の中で一番正しい動き方をしているのは安曇お医者さんなんじゃないかな、って思うのです。彼の行動はとってもシンプル。好きなものは好きと言い、チャンスを作るためのなりふりになど構うことなく、欲しいものを手に入れるための最短距離を突っ走る。案外こういうひとこそが勝ち組だったりするのでしょう。


「今のお話しからすれば、お医者さんってひとが一番素直ですよね」


 再度首を縦に振る私。やっぱり皆川さんもそう感じるんですね。


「自分の欲望に真っ直ぐで、基本論理的で押しが強い。僕の先輩にもそういうひとがいます。もう最強ですよ。むちゃくちゃ言ってても、聞いてるとなんか納得させられちゃう。しかも大方は真っ当な意見だから、さらにタチが悪い」


 そういって皆川さんは笑いました。きっとその方のことを思いだしているのでしょう。


「でも、波照間さんは納得できないんですよね」


 顔をあげると、正面からまっすぐ見つめてくる皆川さんと目が合いました。


「外野で守ってる波照間さんは、あとから出てきた強打者よりも、前からバッテリーを組んでるピッチャーとキャッチャーの方を応援したいんですよね。中途半端なサイン交換なんかじゃなく、ちゃんとマウンドまで足を運んで、腹を割った言葉で直接話し合うべきだって」


 そう。そうなんです。

 結果はある意味どうでもいい。私の人生じゃないんだし。でも、過程だけは飛ばして欲しくない。今でも変わらず好きだと言うのなら、私なんかに話してないで、灰田さんは自分の言葉で栄さんに告げればいい。新しいひとに流されていてもまだ心が残っているのなら、栄さんはそれを灰田さんに伝えればいい。このまま言わなくちゃいけないことを言わないままで栄さんが結婚してしまったら、ふたりとも一生その重荷を下ろすことができない。

 記憶の奥から不意に、五月末の披露宴控室であった直人との会話が浮かび上がってきました。


「おまえに会えてよかった。ちゃんと謝れて、普通に元気そうなおまえを見れて」


 あのとき。向き合わなきゃいけなかった私の落ち度を半年越しに私自身が言葉にして伝え、彼が自分の言葉で不義理を謝罪したそのあとで。あれがあったから、今の自由な私がる。


 背筋を正し、強く頷いたそのとき、テーブルに置いたスマートフォンが震え出しました。

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