百四十四話 笠司、大暑(一)

 喉が渇いたので空のマグカップを持って二階の冷蔵庫を開けていたら、小竹さんとばったり出くわした。どうやら今週初めは午後出社でスタートらしい。

 おう、とだけ呟いて通り過ぎようとする小竹さんに僕は声を掛ける。


「パース、先方からOKでましたよ。先週、波照間さんから感想メールが届いてて、リアルな隣人の部屋って感じですごくよかったって」


 珍しく立ち止まってこっちを振り向いた。無表情だが、ほんの少しだけ目尻が下がってる。


「当然だろ」


 小竹さんは鼻息を漏らした。こりゃ、かなり喜んでるな。


「ただ・・・・・・」


 紙パックの無糖コーヒーをカップに注ぎながら僕は続ける。


「壁の写真だけは取り扱いを慎重にってクレームもついてましたけど」


「はあ!?」


 派手なリアクションで目を剥いた小竹さんは、畳み掛けるように言葉をぶつけてきた。


「アレがいいんじゃねぇか。あの写真が無かったら、あの部屋なんてクソだ。あのオンナ、ぜんぜんわかってねぇな。だいたい、どんだけ探して選んでやったと思ってんだよ。あの二枚の加工だけで半日は掛かってんだぞ」


 いや、たしかに選んだ表情も加工も見事だった。民族衣装を着て笑顔を向ける記念写真。バイクに跨がったところで急に声掛けられて顔を向けた感じの表情。どちらの波照間さんも、本人がその場でそうしていたとしか思えないほどの出来だった。ちなみに民族衣装の僕の方は、合成にけっこうアラが目立っていたけど。

 ていうか半日って言ったら、パース全体を制作してた時間の四分の一くらいじゃね?


「慎重にってんなら、俺に福岡出張させろ。本番用に完璧なの撮ってきてやる」


「いや、パースの壁に飾られたちっこい画像にそこまで凝らなくても」


 マズい。これは、オタクのこだわりを逆撫でする失言だ。

 だが、噛みついてくる小竹さんの返しは、そこじゃなかった。


「バカ野郎。本番の額装も俺がつくってやる、つってんだよ!」


          *


「コタの奴、そこまで言ったか」


 夕方前に出先から帰ってきたサンタさんは、僕の報告を聞いて大笑いした。


「これはもう、波照間さんを説き伏せるしかぇな」


「でも本人が難色示してるんスよ」


「そこは担当アカウントのおまえさんがなんとかすんだよ。来場者の反応がよりリアルになりますよ、とかなんとか言って」


 そんな勝手な。そもそも、クライアントの注文ってのは最優先事項なんじゃないのか?


「制作スタッフに気持ちよく仕事させてやるのは俺たち業務管理の仕事だぜ。その方が絶対いいもんができる。言われたことをハイそうですかってつくったのとはワケが違う出来のもんがよ。山ほど経験積んだ俺が言うんだから間違いねぇ」


「そんなこと言ったって、出張する予算なんてどこにも無いッスよ」


「そこはそれよ。ぶちあげてきた以上、コタにも相応の汗は掻いてもらう」


 サンタさんは口の端をゆがめながら言葉を継いだ。


「半日かかったって言ったんだろ、コタは。てことは、半日あればできるってことだよな」


 めちゃめちゃ悪そうな顔してるし。


          *


 がっつりとアタマをひねった僕は、火曜の夜にようやくメールを一本でっち上げることができた。ウマを味方に付けろというサンタさんのアドバイスに従って、送り先は波照間さんと灰田さんの連名で。


********************************************

株式会社はしくら ブランド推進室

灰田室長 波照間さま


前略


ご指摘のあった、壁に飾られた額装の写真についてですが、中に映る女性(田中すみれさん)を波照間さんの顔で表現するのは当方の提案の肝でもあります。


(1)来場者にマンションの夫妻をリアルな隣人と感じてもらうには、彼らと夫妻(のどちらか)との関係構築が必要。それには実際に来場者と顔を合わせ、希薄であってもなんらかのリレーションを持つことができる会場スタッフを起用するのが最適。


(2)夫妻のうち女性の方を採用することにより、来場者の(隣人への)親近感をより多く得ることができる。


(3)来場者が、飾られた額装をフックとして、当該スタッフに対して自発的に商品説明を求めてくることを考えた場合、そのスタッフが出展テーマについて熟知している必要性がでてくる。


上記三つの理由から、額装の画像として登場していただく方は波照間さんが最適、と考える次第です。


ただし現在のパースに用いている元画像は先日のZOOM会議でのキャプチャーであるため、実際の額装に用いるには解像度の点で問題があります。

そのため本番用の元画像に関しては、波照間さんを実際に撮影しての高画質データでいきたいと考えます。

そちらで撮影していただくものでも一眼レフカメラであれば解像度的には問題ないと思われますが、コラージュする際の修正作業を最小にするのであればこちらで制作に通じたカメラマンを用意させていただくのがよろしいかと存じます。

額装制作の作業時間は最大でも半日程度ですので、波照間さんが会場に前日入りしていただけるのであれば十分に対応可能です。


以上、ご検討をよろしくお願いいたします。


エムディスプレイ

皆川笠司

********************************************



 ここまでやってあげれば、小竹さんも文句はあるまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る