生きるのね
井桁沙凪
綺麗
1
「ねえ、もっと奥に当てて」
私は甘ったるい猫撫で声で懇願する。きっと、毒を持つ花にふきだしをつけたらこんな感じなんだろうなと、エロティックな状況にそぐわないメルヘンなことを想像しつつ、モーションのプリセットから「身を
股の下に寝そべっているユーザーが説得性に欠けるこだわりを発揮してきたのはその時だ。
「ポメロちゃん。〝当てて〟だと、まるで物に対してやってるみたいだからさ。ちゃんと挿れてって言ってくれないかな」
──いいけど、でも、それって〝当てて〟と何が違うの?
私はそれでもガキみたいになんでもかんでも疑問に思ったことを口に出したりはせずに、五秒間ほど、剝きたてのゆで卵みたいにつるんとした裸体に跨りながら「オクニイレテ、オクニ」と、まるでこれまでの生命の営みを冒涜するかのような台詞を読み上げる。
目の前には現在取っている体位とちんちんの根本からポメロちゃんのまんこまでの距離がセンチメートルで表示されていて、私はどっかの建物の中でヴィヴィアン・ポメロのラブドールとバーチャルおせっせに勤しんでいる彼が──虫刺されみたいに赤くぼやけた接触範囲が消失した──どうやら腰を掴んでいる手を離した瞬間に、あんっ、と、まるでコメディみたいな喘ぎ声を上げてみせる。
これが私の日常だ。退廃的な日常、って、口に出してみるだけでなんだかカッコいい。なんだかだとかなんとなくいい感じに現実のあれやこれやをかなぐり捨てちゃうのが非行少女の特性なんだとすれば、この世に生まれてまだ十四年やそこらしか経っていない私も漏れなくそれに該当するんだろうけれど、しかし、イマドキの子どもっていうのは昔気質の大人たち曰く〝内気かつ傷つきやすく受動的〟らしいので、私もその隠れ蓑、もとい傾向にあやかり、じゃなくて漏れなく、表向きは品行方正な女の子ってことで通ってる。
私の名字は斎藤という。ポメロちゃんではなしに。仮想が付かない現実のほうではもちろんリアルネームで呼ばれている、とは言っても、名字で呼ばれるのもラブドールの型で呼ばれるのもあんまし変わらないような気もするけれど。
ぶっちゃけた話、私は私を表す言葉にどれもピンときていない。名前は親から最初に貰うプレゼント、なんてまあ幸せ者な名言がおありだけれど、自分の好きは自分が一番分かってるんだし、下手したら一生付き合ってかなきゃなんない名前を生まれてすぐに押しつけられるのは不幸せなことだと思う。
なんで、私の直近の人生目標は改名すること。十五歳未満は親を同伴しないと改名できない、なんて残酷な決まり事があるせいで、いまは二の足を踏まざるを得ないわけだ。
そんで行く行くは、あなたはこうです、みたいな世界の押しつけから逃げて逃げて逃げ切って、私にピンとくる私になる。肉体を伴わない性行為こと色電話は、そんな逃避を実現するのにピッタリなツールだった。
♡
2003年、イラク戦争が勃発する間際のこと。世界を破滅に向かわせる戦闘に加担しにいく兵隊さんが、こんな疑問をコンピューター相手に投げかけていたらしい。
philosophy of life──訳せば、生命の哲学。なにはともあれ、惨い感じだ。
当時の私の心境にジャストミートなタイトル──『生まれてこないほうがよかったのか?』──に目を引かれてぶ厚い哲学書を手に取ったのはだいぶ昔のこと、それこそ、色電話にハマるよりも前なんで、だいたい十歳仕様の脳みそで内容を十全に理解できていたかどうかは疑わしいんだけれど、少なくとも、反出生主義、逆に訳せばアンチナタリズムに触れたその時点で、自主的に組み込むか否かは別として、私は〝それを言っちゃあおしまいだよ〟の思考に到達するまでの回路を、たぶん、他の子どもよりも早々々々ぐらい先に得た。
だからこそ、ANATAは私を見込んで、適当な反逆のツールを授けたのだ。
♡
人間を受け入れたばかりの教室は、朝の空気と消毒液の匂いのコントラストが一際強まっていて、ウザい。水の少ない白い絵の具みたいな軟膏を起き抜けに塗ったばかりの首筋が外気の不調をむずがゆがる。それでも、粉が吹いたり血が滲むところをクラスメイトに目撃されたら悲惨過ぎるからって、私は椅子の背もたれを手で掴んで、ぐっと、掻き毟りたい衝動を堪えている。
「斎藤ちゃん、昨日は色電話やった?」
「やったよ。二回だけだけど」
パッと見、アバターみたいにツルツルのスキンをしたカワイ子ちゃんたちが、醜い私の机を従者みたいに取り囲む。ニヒルな笑みって、結局は、ほくそ笑むってことでしょう?
「今朝もニヒルな感じだね、斎藤ちゃん。それどっちともさ、型はなんだった?」
「一回はヴィヴィアン・ポメロで、一回はマツダ・キヨコ」
「ってことは、待ってよ……あー、やっぱ、ポメロがここ一週間の中でも一番人気だよ。マジ、どいつもこいつもミーハーだな」
「そりゃ、新しく出たばっかだもん」
しょうがないよねえ、みたいな、いやに満足げな呆れ顔で頷き合っている同志たちに、私は古いぬいぐるみに向けるような憐れみと愛しみの気持ちを抱いた。こんな野暮ったい女子がイケてる女子たちに好き好んで親しまれるなんて、一昔前ならば信じられない光景だっただろう。それこそ平成とかの、令和別名、風の時代を迎える前までは。
始業のチャイムが鳴った。二年A組のクラス名簿が登載された電子パッドを小脇に携えた女の担任が初老の歩調で入ってくる。私はその時にはもうお利口さんモードに切り替えていて、どいつもこいつも調子いいな、なんて、さざめくようなクラスメイトの笑い声を私とは完全に関わりないものとして聞き流している。
私たちがしているこの行為を既存の価値観でカテゴライズするならば、それは「売春」ってことに、たぶんなる。春を売るってでも字的には素敵だよね──そんな風に穿った見方をしないことでクラスメイトからの愛情を徴収している
色電話は、言ってしまえば既存の価値観をぶち壊すために私たちの手元へ授けられたツールなので、女の身体には金を払おう、みたいなグロい価値観からも君たちは遠ざからなければならないんだよ──これは、私に布教の使命をも授けてきたANATAからの受け売りだ。
私はセロハンテープの跡に煤けた窓の外を見やる。随分と低いところを飛んでいる飛行機はたくさんの人間を乗せていて、いつ、ミサイルや戦闘機のドンパチで燃え屑と化すか分からない。パラパラ降り落ちる肉塊の雨は、いずれ海に沈んで
一時限目の長ったらしい現代社会の講釈中、私はずっと、わて流のエコロジー思想にあわよくば生徒を引き込もうとしている男性教諭のエセ大物司会者みたいな身振り手振りに照準を合わせて、シャープペンシルと、ついでに口内で疼く歯をかちかちと、脳内では軽快な発砲音に変換しつつ鳴らしている。持続可能な社会の実現だとか、子どもたちが希望を抱ける未来だとか、眠気を誘うような文句を謳う前に、あなたのそれと同等の熱量で耳を傾けてもらえるくらいの人望をひとまずは求心するのが先なんじゃないスかね。
遅効性の毒にやられるみたいにじわじわと破滅へ向かうよりも、いっそのこと有無を言わさぬ兵器の威力で跡形もなく一瞬で消え失せちゃうほうが、生き延びることができなかった時間のぶんを差し引いても得なんじゃないかと、私なんかのニヒリストはちゃんと耳を傾けたうえでも思ってしまう。国破れて山河在り、ってやつ。一回ぜんぶ更地になって、人間は誰も生まれてこなければ雄大な自然のラストシーンでハッピーエンド。
こういう〝生まれてこなければ〟もアンチナタリズム。最近では〝アンナタ〟って略されてて、その名称が大元の反出生主義よりも定着しつつあるくらいには、みんなの意識──まだ大っぴらに表明するには抑圧の力が優勢なんだけど、それでも、どんでん返しのタイミングを地道につけ狙う最悪のエンターテイナーみたいな抜かりなさで、ANATAの布教は私たちの意識をそちら側に引き込んでいる。
その功績の一つが、色電話だ。こんな言い方をすると、まるでANATAがアンナタの布教のために開発したツール、みたいに捉えられがちだけど、別にそんなことではないのであーる。
色電話は昔の流行りで比較してみるところの、テレクラとか斎藤さんの派生、でも完全なる上位互換で、仮想現実の需要がかつてない盛り上がりを見せる昨今、さながら生身そのものかのようなエロに耽れるってことで話題沸騰中のボイスチャットアプリだ。
ようやっと各々でカスタマイズしたアバターが何百人規模の一堂に会せるようになりだしたイマドキちょいと特殊な点は、色電話を使用する際にはアバターの種類がせいぜい五パターンに絞られてるってところにある。それも、内の四種類、ようするに
ただいま熱弁中の男性教諭と同系統の人々は、仮想現実で人間関係が構築されだした当初、ほとんど生殖器を無理やりに取り上げられたのかよってな具合で性愛の交流の問題を取り沙汰したし、いっそ紛糾していた。だからさ、性的興奮を所詮は仮想現実のキャラクターに向けるのは不健康だとか、生身のまんまでアタックして砕けることを恐れるような軟弱精神の持ち主たちに構成される社会じゃあ未来は絶望的だとか、そういうクソみたいな価値観の押しつけの猛攻が続いていたわけだ。
そんな中で「抑圧された需要にこそ長く愛されるコンテンツ開発の秘訣がある」と豪語したのは色電話を開発した企業の代表取締役さまで、見切り発車でスタートしたかのように粗だらけなシステム開発もいまでは劇的な進化を遂げて、仮想現実だけに存在していたはずのユニセックスな、通称『ナグサミビト』たちは皆様のご要望にお応えしてHMDをババーンッと飛び出し、仮想が付かない現実にラブドールの形を取って登場した。
これが初めに一発、ドカンときた。
優しくて甘ぁくて、例えば熱に浮かされたときに啜る温かい牛乳みたいな言葉だけをくれる仮想現実の恋人、ナグサミビトは、風の時代に吹き荒び始めたあらゆる暴力的な物事にやさぐれ、不信を盾にしたユーザーの心を包み込むように捕らえて放さなくなった。
一時期は『ナグサミビトを愛でる会』というようなニュアンスのコミュニティも続々と形成されていたくらいで……ここでまた、第二のドカンがくる。
いつまでもテキスト通りのボイスじゃ味気ないからって、仮想現実のナグサミビトに現実の人間のボイスをあてるアップデート──ようするに、色電話のDLがスタートした。一期と二期でキャラクターの声優が変わってしまうみたいに『ナグサミビトを愛でる会』のコミュニティで少なからず論争が勃発してたらしいんだけど──ともあれ、色電話は元々、ナグサミビトありきで開発された代物なのだ。
そんで、ナグサミビトは自慰行為のお伴であるアダルトグッズありきの代物だし、ラブドールの容姿はそれぞれの設定ありきの代物だし、私たちの需要はユーザーにとって理想の性愛ありき、もっと単純に言えば、ユーザーの期待に応えられるかどうかで0にでも100にでもなる代物だ。評判のいいVAには個人的な投げ銭や企業側からの謝礼金が振り込まれることもある、ってなると、私たちが「売春じゃない」と主張している理由=子どもじみたムキではないことを証明したくもなるんだけど、それをするには結構、込み入った話をしなきゃなので、割愛。
とにかく、私たちは色電話で発生する金銭取引の矢印の先には存在していないことになっている。とにかく、だ。……なんでって? それはANATAが実現を企んでいる『全人類無意志計画』と大いに関係しているからってほら、やっぱりダレてきてる、し、どうせ説明したって分かんない。
私は変わり映えしない青空を横目に、既に機械にインプット済だろう板書の内容をノートへ写し取る。
青空。
光。
夜や朝が巡ってくること。
もう死ぬって決めた途端に世界のすべてが美しく感じられる、とか、そういうのって調子よすぎじゃない? と思う。アンナタを受け入れてしまえる私たちは、ともすると幸せ過ぎるのかもしれない。人間は幸せにすらダレてしまう、愚かな生き物だ。
生まれてこないほうがよかったのに、と考えつつ、現代社会の構造を学んでいる私は愚かだけど、教卓の前で唾に泡立てて自分の正しさを主張するやっこさんは愚か通り越して悪だ──私はこういうことを巧みな語彙力で淡々と呟くんで、世界からの押しつけを嫌がる同志たちにウケている。
たとえ、世間で幅を利かせている悪人に「生産性が無い」と下されるようなことでも、私たちは未来や希望や子宝を良しとする社会の隅に追いやられているユーザーの需要に応えている、し、むしろ生産性が無いからこそ、色電話をやる意義があるってものだ。
それは要約すると〝私たちの身体は私たちのもの〟ってこと。ミサイルとウイルスが我が物顔で支配する世界に落ち込んでいる愚かな人々と、なにも生み出さない遊びに呆けてもいい。
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