第59話 時間稼ぎ


~前回までのあらすじ~

 雪崩に巻き込まれたボクは、薄暗い洞窟の中でミドウ・ツチミヤと出会う。ツチミヤの狙いはシノ様の内側にある呪書イツツバ。ボクはイザナ・アマミヤに身体を乗っ取られ、ツチミヤと戦うことになった。


 ***


 イザナはべこべこになった剣をその辺に放り捨てた。

 次いで両手をぱちりと打ち鳴らす。


 その柏手が呼び寄せたのは巨大な氷の蛇だった。

 雪原を鳴動させ、雪と氷を寄せ集めるようにして起き上がり、イザナの周囲を幾重にもなってとぐろを巻く。


「さて、君。時間がない。これからするべきことを言うよ」

 イザナは相変わらず緊迫感のない声で言い出した。


「君は君に戻らなければならない。そのためには名を取り戻す必要がある。

 君の存在は一度霊力の流れの中に拡散した。

 僕はそれを無理やりまとめあげて僕に戻ったが、君が自我を取り戻したのはその副産物に過ぎない。

 君は依然として失われたままだ。

 名を取り戻さないことには、シノさんたちの許には戻れないよ」


 えっ……、なんて?

 それは、どうすればいいんですか!


「何でもいい。君のよすがを辿りなさい。

 そうだな、きっかけは作ってあげるよ。シノさんに頼んでおいてあげる」


 シノ様?

 えっと……、なに。

 シノ様のこと考えてればいいんだな!


 ええ~と、シノ様の寝顔のこと考えよう。

 いつも凛々しいシノ様だけど、眠っている時はちょっと子どもっぽくて、ほっぺとかつついても怒らないし、小っちゃく聞こえてくる寝息がぷりちーなんだよな、これが。


 ……マジで、これでいいんすか!


「僕はその間、どうにか時間を稼ぐからね。あとできれば、ツチミヤの説得もしてみよう。君は応援していてくれたまえ。

 ちなみに当然だけど、僕が負ければ君も死ぬからね」


 えっ……!

 まあでも、そうか。

 イザナはボク、なんだもんね。


 イザナがんばえー!


 ……これでいい?




 ふっと視界の隅に、何か力が集積していくような感覚があった。

 ツチミヤが、イザナの逃げ込んだ氷界にゆっくりと顕現しようとしている。


 イザナは空間の歪みに向かい手をかざし、ぐっと握り締めた。

 すると周囲にあった雪がイチセの砂鉄のように流動し、力の集積を球状に取り囲んだ。


「氷雪閉堅、退魔封絶!」


 イザナが気合を込めると、人をすっぽりと包み込むほどの大きさだった雪玉はゆっくりと収縮し、やがて握りこぶし大の大きさになってぽとりと落ちた。


 やったのか?

 ボクは一瞬思った。


 けれどイザナは畳みかけるように鋭い音を立ててたんと両手を打ち合わせた。


「喝!」

 

 ばちんっ、と音を立てて雪玉は弾け、軽い音を立てて崩れた。


 その雪片の落ちた場所から、雪原に亀裂が入る。

 その亀裂は猛然とイザナへ向かい走った。


 しかしその亀裂がイザナを奈落へ突き落す前に、イザナはとんと氷の地面を蹴り、軽やかに蛇の頭上に立っていた。

 少々の亀裂では、氷の蛇の巨体は僅かも揺らがない。


 しかし亀裂は、びしびしと音を立てて周辺を破砕しながら広がっていく。


「あ、あれれぇ」

 イザナは呑気に慌てたようなことを言って再び蛇の頭を蹴り、中空へと跳び上がった。


 イザナが再び雪原の上に降りた時には、氷の蛇を呑み込んで亀裂は閉じ、雪原は波のように流動して、遠く見える山々の青い影は静かに鳴動していた。


「いや~、すさまじいね。流石はミドウだ」

 イザナはぱちぱちと呑気に拍手した。


「もうダメだ、降参!

 降参するよ。歯向かったことに関しては謝るから、許してくれないかなぁ」


 えっ、ダメでしょ!

 降参して、シノ様はどうなるんだよ!


 雪原の一部がぼこっと膨らみ、ゆっくりと人の形を取った。

 ツチミヤだ。

 彼はにっこりと人の好さそうな笑みを浮かべ、イザナの申し出に両手を上げて喜んだ。


「無論だ、友よ。僕も君を殺すつもりはない。大事な茶飲み友だちだからね。

 式の記憶さえ渡してくれれば、その小娘も無事に送り返してやろう。ただ時々は、話相手に訪ねてきてほしいね」


「そうか、それは当然、ぜひそうさせてもらうよ。

 ところでさっき君は、イツツバが見つかったとか言っていたね」


「ああ。君が僕にあんなに抵抗することなんてそれ以外には考えられない」


「それ、実は勘違いなんだ」

 イザナが言うのを聞いて、ボクはがくっとずっこけそうになった。


 いやいや、流石にここまでやって勘違いは信じないでしょ!


 でもツチミヤは、ほお、と意外そうな顔で首を傾げた。


「勘違いか。なら、早とちりで攻撃して悪かったね」


「いや、それはいいんだ。僕もちょっと思わせぶりな態度をとってしまったからね。

 久しぶりに会った友人に、いたずらを仕掛けてみたくなってしまったんだ」


 イザナが微笑むと、ツチミヤはからからと笑った。

 そうか、見事に引っ掛かっちゃったなぁ、とか言っている。


 あれ、信じた?

 まさか!


「退屈している僕を楽しませてくれてありがとう。

 だが、式の記憶は譲れないよ。霊力は返してもらう。僕も、式をアマミヤに捕まえられたんだ、面倒だが助けてやらなくちゃね。そのためには事情が分からなくちゃいけない」


「それだ、ミドウ。どうだろう、僕……というよりはこの子に式を助けにやらせるというのは」


 は?


「ちょっとしたゲームだよ。この子にアマミヤを襲撃させるんだ。式を無事に解放できたらよし、出来なくても、まあちょっとした楽しみさ。

 ああ、ゲームならなにか書けなくちゃね。

 僕はこの子がやり遂げる方に賭ける。君はできない方に賭ける。僕が勝ったら願いを聞いてもらうし、逆に君が勝ったら、僕は君に霊力を返す。

 そういうルールでどうだろう。あ、でも妨害とかはダメだよ」


 ちょっと、なに勝手なこと言ってんの!


「ほお。それは面白そうだ!」


 ってええ?


「成功すれば式も帰って来て僕も溜飲が下がるし、できなくても別に改めて取り返せばいいだけだもんね」

「そう、そう。これまで何年も待ったんだ、今更ちょっと遅れたところで君は気にしないだろう?」


 うわあ、なんだ。話がトントン拍子に進んでいく。

 嫌だよ、ボクは。呪術師の巣窟にカチコミかけるなんてさ!


 しかしボクがそんなに長い間慌てている必要はなかった。

 ツチミヤの周囲に再び霊力が渦のように集まり始めたからだ。


「……ところで、君が勝った場合の願いって、イツツバを壊すなってことで合ってるかい?」


「いや~、はは……。ばれた?」

 イザナは頭に手を遣って余裕たっぷりに笑う。


 ラウンド2だ。




 突然周囲が暗くなった。

 何かと思えばイザナを中心に雪原が持ちあがり、本を閉じるようにして今にも氷の壁が迫っていた。


「うわっ!」


 イザナは慌てた様子で跳び上がり、閉じる雪の中から逃げ出そうとした。

 しかしツチミヤの術の範囲は広く、逃れる間もなくずんと重い音を立てて雪は閉じた。


 しかし衝撃はない。何か硬いものに守られている。


「いや~、良かった。氷龍を出しておいて」


 イザナは呟いて周囲を取り巻く氷の鱗を叩く。

 氷の亀裂に呑まれたと思っていた蛇が、丸まってイザナを包み込んでいた。


 しかし悠長にしている暇はない。


 どんっ、どんっ、と何かが外側から打ち付けている。ばきん、とその度に氷が砕ける音が響く。

 身体の奥にじんと走る鈍痛が、術が破られかけていることを知らせた。


「こういう大雑把な力の使い方、本当に懐かしいね」

 イザナは呟き、手刀で空を切った。


 そして再び場面が転換する。


 そこは朝陽に赤く染まるサラウイの厳しい峰だった。

 風が強く吹き、吹き飛ばされた白い雪が光を浴びてきらきらと輝く。


 イザナはサラウイの険峰の僅かに平らな場所に降り立ち、そこに小さな岩屋を見つけた。

 岩屋の中には真っ暗な亀裂が走り、それはどこまでも深く縦に穴を開けている。


「さあて。どこまで逃げ切れるかな」


 イザナはとんと軽いステップで迷いもなく穴の中に身体を投げ入れた。


 ぞっとする浮遊感が襲い、ボクは思わず叫び声をあげた。

 しかしじきに落ち着いて唇を噛む。

 すぐにどこか暗い地底に叩きつけられるものと思ったが、中々自由落下の終着点が来なかったからだ。


 真っ暗な穴はやがて広大な空洞となった。

 その空洞の中には冷たい水が溜まり、イザナは大きな音を立てて水の中に落ち込んだ。


 水は無数の触手となってイザナの身体を包み込む。

 イザナは再びどこかから剣を抜き、水の触手を斬り払った。


 水中に入って速度は減じたが、イザナはゆっくりと水底、奥深くへと落ちて行く。

 地底湖は深く、その底はどこまで繋がっているとも知れなかった。


 おそらくそこは真の暗闇に満たされていた。

 皮膚に感じる感触はぬめるようで、生ぬるく、何も見えるものなどなかった。


 闇はイザナの身体をゆったりと締め付け、動きを止めた。

 イザナは絶炎で身体を包み、暗闇を散らす。


 炎の光は周囲を照らし出したが、しかし何も見えるものなどない。

 そこにあるものは本当の暗闇だったからだ。


 その闇の奥に、ぼうっと朧に光るものが浮かび上がって見えた。


 あれはなんだ。


 何か強い力を感じる。

 それは天外山脈の霊脈の中にあってさえ異質に浮かび上がり、そしてゆっくりと人の形を取り始めた。


 ツチミヤか。

 いや、違う。

 この、力の感じ……。


 シノ様だ!


 さっきから起こることが目まぐるしくて、疲れていたボクの心がぱっと湧き立つ。

 それはイザナも同じことのようだった。


「おお、アスミだ」

 イザナは呟いて微笑む。


 おいおい、違うよ。あの人はもう君のアスミじゃない。

 ボクのシノ様なんだから!


 そう思ったその時、すぐ脇の空間に違和感があった。


「くっ……!」

 イザナは咄嗟に剣を横に薙いだが、なにかと激しくぶつかった音がして鍔元からひしゃげて折れた。

 

 そしてイザナの剣が通り過ぎた場所には、面白そうに頬に笑みを浮かべたツチミヤが立っていた。


「なるほど、あれが今代のイツツバの巫女か。のこのこと出向いて来るとは、手間が省けたね」

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