第49話 呪い返し
~前回までのあらすじ~
休憩のため滞在した山小屋で一緒になったヤギ飼いのグルンさんに、シノ様がいわくのある場所に立ち寄ったり何かを受け取ったりしていないかと不思議な質問をした。聞いてみればどちらにも心当たりがあるらしい。シノ様は食料を対価にお祓いを請け負った。
***
グルンさんたちは翌日、朝食を摂ると早々にヤギたちを連れて再び旅立って行った。
「あんたがたのために、サイラスの女神の頬が薄く染まることを祈ってるよ」
「はい。グルンさんたちも、お気をつけて」
シノ様は、言い回しの意味が分からなかったのだろう、少し曖昧に笑いながらも頷いた。
「あんたがベインかオルンの嫁に来てくれればありがたいんだがなぁ」
グルンさんはあごひげを触りながら言った。
いつものボクなら、なにぃ、不敬な!と騒ぎ立てる場面だが、昨夜から何度か見たやり取りだ、そのくだりはもう昨日のうちに済ませた。
だから次にシノ様が困った顔で、ありがたい申し出ですが……、と頭を下げる姿ももう何度も見ている。
「そうかね。だが、気が変わったらいつでも来なさい。夏場はこの谷の入り口近くにテントを構えて過ごしているからね」
グルンさんがそこまで言うのは、昨夜にシノ様が行った術式で足の調子が治ったからだ。
昨日の夕食後、グルンさんとの話がまとまった後、シノ様はアズマたちをしばらく外に出ているようにと小屋から追い出した。
小屋の中に残ったのはボクとイチセ、それからグルンさん、シノ様の四人だけ。
ツチミヤの秘術を使うので、部外者は立ち入り禁止だそうだ。
シノ様は声を潜めて、ボクとイチセに、周囲の霊力と呪力に注意しているようにと言いつけた。
そして自分の周囲四点に棒を四つ立て、紐で繋いで簡易な結界を作る。
ボクはシノ様が儀式呪術を使うのをあまり見たことがなかったので、勉強のつもりでシノ様の所作をじっくりと見ていた。
シノ様はずっと生真面目な表情で準備をしていたのだけど、ボクが見ているのに気づくと少し睨んで、ふつーにしてて、と言った。
どうやら気を散らせてしまったらしい。
いけない、いけない。
「では、まずは護符を祓ってサイラスに捧げます」
シノ様はそう言ってグルンさんに一礼すると、結界の中心にあぐらをかいて座った。
そして鳥の羽根を束ねた護符を眼前に置き、小さな声で呟く。
「シノ・ツチミヤが名において命ずる。結縁を辿り、根へと戻れ」
シノ様はだらりと前傾に身体を倒し、うずくまる。そしてしばしして、がくりと脱力した。
始まった!
……何かが。
正直、ボクにはシノ様が何をしているか分からない。
そーっとイチセの方を盗み見る。
あ~……。なんか、分かってそうな顔してるな。
何も言わんとこ。
バカにされそうだ。
シノ様が脱力していた時間はほんの十数秒程度のことだった。
身体をうずくまらせた時と同じ唐突さで再びピンと背筋を伸ばし、左手に持った護符をおもむろに顔の高さに掲げた。
ぱしっ、と弾けるような音がして薄暗い小屋の中に小さな火球が浮かび上がった。
シノ様の手のひらの上で、護符が激しく発火していた。
熱くはないのだろう、シノ様は平然とした表情をしている。
護符は炎に包まれ、瞬く間に縮れて灰になるかのように見えた。
その時、ボクの隣に控えていたイチセが急に前に出た。
「お姉ちゃん!」
きんっ、と音を立ててイチセが剣を鞘走らせる。
イチセの剣は、シノ様の頭上の空を斬ったかのように見えた。
けれどそこには何か不吉な塊があったことがボクには分かった。
イチセはそれを察して剣を抜き、払ったのだ。
シノ様は手のひらから灰となったものをふっと散らすと小さくため息を吐き、流石ね、とイチセに微笑んだ。
まあね、とイチセは胸を張る。
グルンさんたちはその様子を、言葉を失って眺めていた。
たぶん、この時まで彼らはシノ様の言うことに半信半疑だったのだろう。
けれど、何があったのかは分からなくとも、少なくとも何かがあったことだけは分かったのに違いない。
ちなみに、ボクもグルンさんと同じでほとんど何があったのか分かっていない。
一緒にぽかんとしたい気分だったけれど、せめて取り澄ました顔で取り繕っておく。
シノ様は続いて服の物入から一枚の符を取り出した。
囲炉裏の火にかざして符の片隅に小さく火を移し、呪文を唱えながらグルンさんの足の上をさらりと撫でる。
そして椀の湯の中に符の灰を落として、椀の中身の半分を囲炉裏の灰の中にこぼした。
椀の中に残った半分をグルンさんに差し出す。
「飲み干してください」
「わ、分かった」
グルンさんは気圧された様子で椀を空にした。
同時、囲炉裏の火がカッと三倍ほどの大きさに燃え上がった。
その炎は不思議とぬめり気を感じるような燃え方をして、それが尋常の火ではないことは明らかだ。
「イチセ」
シノ様が呟くと、イチセはもう一度、今度は炎を切り裂くように剣を振るった。
炎は悶えるように揺らぎつつ、数秒後には元の静かに燃える小さな火に戻っていた。
「はい、以上です」
シノ様がにっこりと微笑むのを見て、グルンさんはキツネにつままれたような顔をしていた。
グルンさんたちは気ままに歩くヤギたちを引き連れて、やがて百頭の群れも山の陰に消えていった。
一番後にまで残っていたのはオルンくんだった。
イチセの方をちらちらと気にしていたけれど何も言わずに、最後まで草を食んでいたヤギが仲間に慌ててついていくのに合わせて名残惜しそうに歩き出した。
けれど思い直したように振り返って、イチセに向かい何かを掲げる。
「また」
「ええ」
別れの言葉はそれきりだった。
「いいの?」
ボクはからかい交じりにイチセに尋ねてみた。
するとイチセはふっと勝ち誇った笑みを浮かべて頷いた。
「もう、もらえるものはもらいましたからね」
なんだ、なんだ。妙な返しだな。
「随分気に入られた様子でしたね。わたしのことなんて眼中にもない様子でしたよ」
セリナさんが便乗してにやけ顔で言う。
イチセは余裕たっぷりに首を振った。
「男の子って単純ですよね。ちょっとおだてておけば得意になって、さも気があるみたいに思ってくれるんですから」
「あら、悪い女」
セリナさんが笑う隣で、アズマが苦々しい表情をしている。
同じ男の子としては、なにか言ってやりたいことでもあるのかもしれない。
「もらえるものって?」
ボクが尋ねると、イチセは服のもの入れから小さな石の欠片を取り出した。
「オルンの宝物だそうです」
覗き込んで見れば、時々道に落ちているのを見かける蒼白い色をした石だった。
確かに綺麗と言われれば綺麗だけれど、そんなに特別なものとも思えない。
他愛のないものでも男の子からの贈り物で得意になるなんて、イチセにも可愛いところがある。
なんて思っていたけれど、裏返すと石の中央あたりに緑色の結晶がきらきらと陽の光に輝いた。
「うお、こりゃ値打ちもんだぜ!」
アズマが小さく声を上げた。
「昔、この辺りで見つけたものだそうです。以来、お守り代わりに持ち歩いていたと」
「感心しねぇな。そんなもん巻き上げて」
「巻き上げたんじゃありませんよ、出会いの証に、ともらったんです。それに、わたしだって何もあげなかったわけじゃありませんからね」
そしてイチセは、髪を一房つまんでひらひらと振って見せた。
なるほど、この石と髪の一房が等価とは、何とも大それたものをお持ちのようだ。
ボクは首を傾げたけれど、アズマもセリナさんもそうは思わなかったらしい。
ぷはっと吹き出して、ませたガキだ、と笑っていた。
「ボクと君との出会いと絆の証に、これをもらってほしい。その代わり、君の綺麗な髪をくれないか。そんな風に言われた時には、さしものわたしもちょっとドキッとしちゃいましたね」
イチセは得意気に言った。
ふーむ、そういうものか。
今度シノ様にプレゼントしてみようかな……。
いや、普通に気味悪がられそうだ。止めとこう。
さて、そのシノ様だけれど、グルンさんを見送った後ですぐに小屋の中に引っこんで眠ってしまった。
グルンさんからは、峠に雪が降り始めているので早く出発した方がいいと聞かされていた。
明日の出発予定を早めるべきという意見もあったのだが、シノ様にそのつもりはなさそうだ。
昨日はグルンさんが来たことでシノ様も気を張っていた様子だった。
元々疲れていたところに一仕事して、ほとんど休みにはなっていないわけだし、もうしばらく出発を延ばした方がいい。
ボクはそう思っていたのだけれど、ゴドーさんたちは落ち着かない様子だ。
一度相談をしたいと言われて、お昼前にボクはシノ様の肩をそっと揺さぶった。
「シノ様、お茶が入っていますよ。一度起きてみてください」
「んっ、……イヅルか」
もぞと身じろぎしたシノ様は、ぼんやりとした目でボクを見た。
その目はなんだか潤んで、熱っぽくて……。
あれ、誘ってます?
誘ってますよね。
「ちょっとシノ様、大人しくしててください」
「えっ……、なに」
「熱、計るだけですから」
「えっ。待って、待って。怖い。目、怖い!」
ボクは逃げようとして身をよじらせるシノ様の頭をがっしと掴んだ。ゆっくりと顔を近づけると、観念したように目を閉じる。
こつりと額をくっつけると、えっ、と声がした。
「シノ様、熱があります!」
「……そうね」
シノ様はため息交じりに頷いた。
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