第48話 死者の水辺
~前回までのあらすじ~
トモン峠への道すがら、小屋の中で一休みすることになったボクらは、峠越えをしてきたグルンさんたちと屋根を共にすることになる。
シノ様は突然、怪しげな場所に行った覚えがないかと彼らに尋ねた。
***
「いわくのある場所……?」
グルンさんが怪訝な表情で首を傾げると、シノ様は柔らかな笑みを浮かべたまま頷いた。
「はい。例えばやけに人が死んだり事故が多かったりする場所や、そうでなくとも雰囲気の妙な場所をとおり抜けて来られたとか、もしくは妙なものをもらったり、拾ったりしたとか」
シノ様が言うのを聞いて、ボクは思わずシノ様の服の裾を握り締めていた。
なんですか、シノ様。怖い話ですか。ボクあんまり、そういうの得意じゃないですよ!
既に陽は傾いて、西の方、山の陰に消えかかっていた。
今や辺りを照らすのは残照のみとなり、小屋の中に入ってくる光はほんのわずかだ。
う~む、なんだか怖そうな感じの雰囲気!
ヤギのフンの燃える囲炉裏の火ばかりが周囲をぼんやりと浮かび上がらせ、グルンさんの怪訝な表情と、対照的なシノ様の穏やかさが絶妙に怪しげだった。
シノ様の不穏な言葉に、和やかに騒がしかった小屋の中は今や静かになっていた。
アズマとベインさん、ガインさんは少し離れた場所でパイプをくゆらせながら話していた格好のまま振り向いて見ている。
イチセとセリナさん、それからセリナさんにしきりに触られて困った顔のオルンくんも、緩んだ顔を引き締めて顔を上げていた。
注目を浴びたグルンさんは慌てたように言った。
「ちょっと待ってくれ。そいつはどういう……」
「いえ。先ほど、近頃足に妙なこぶができて困っているという話をなさっていましたので、もしかしたらお力になれるかも、と思ったまでです」
シノ様はあくまで平穏な口調だった。
「……もちろん、言いたくないということであれば忘れてくださればいいですし、見当違いの可能性もありますが」
「いや……、見てきたように言いやがるから驚いただけだ。
あんた……、何者だ?」
「シノ・ツチミヤ。旅の呪術師です」
それを聞き、ベインさんとガインさんが意味ありげに目配せした。
「親父、あれを出すか?」
「……そうだな。見てもらった方がいいのかもしれん」
ガインさんが荷物の中から取り出してきたのは鳥の羽根の束だった。手のひらくらいの大きさで、数枚の鳥の羽根が白い芯に巻き付けられている。
なんだ……、あれ。
「実は、あんたが言っていたことに二つ心当たりがあってな」
グルンさんが言うと、シノ様は意外そうな顔で首を傾げた。
「二つ、ですか」
「ああ。古い方から一つずつ話そう。今年の夏の初めのことになるんだが……。
お前さん、ここからしばらく進んだ先に、死者の水辺と呼ばれる小さな池があることは知ってるかね?」
知らないと答えると、グルンさんは簡単に説明を始めた。
死者の水辺というのは、赤峰サイラスの雪解け水の一端が流れ込んでできる小さな池らしい。
水量も浅く、夏の時期には干上がる程度の水場だ。
どうしてそこが死者の水辺などという怪しげな呼び名で呼ばれるかと言えば、そこでよく野生動物の骨が見つかるからなのだそうだ。
別に動物の死体くらいはどこにでも転がっていそうなものなのだが、それは広い範囲を歩き回ればいくつかは、という話だ。
ところがその水辺の近くでは、少し見回しただけで岩に埋もれるようにしてヤギや鳥や、時には人の骨さえみつかることもあるのだという。
「岩の間から顔を覗かせるようにしてまだ肉の残った死体が見つかるから、まるで死者が地の底から蘇ろうとしているかのようだと、わしらのようにこの谷をよく通る者は皆、気味悪がって近づかない場所さ。
この夏の初め、わしらは今と同じようにサイラスの肩を越えてフミルのバインシヤ村まで行き、その帰り、死者の水辺近くの道を通りかかった。
その時、落石があったんだよ。まあ、別に珍しいことじゃない。
だが、運の悪いことに石はヤギの一頭の足を打ち据えた。
黒と白の毛皮の美しいヤギだった。背に村で仕入れた米を背負っていたし、歩きどおしで疲れて避けられなかったんだろうな。
そいつはもんどり打ちながら傾斜を転げて、死者の水辺まで落ちていった。
わしはそいつがもう助からんことを知っておった。しかしまだ息はあろうし、商品を放っておくこともできん」
「それで、死者の水辺に足を踏み入れたというわけですか。グルンさん一人だけ?」
ああ、とグルンさんは頷いた。
「わしはガインに先に行っているよう指示し、水辺まで下りた。そしてヤギにとどめを刺してやり、荷と、毛皮と肉を回収して再び合流したというわけだ。
まあ、気味は悪かったが、死者の水辺には肉を捧げておいたし、騒がせたことを謝して立ち去った。問題はなかろうと思っていたし、実際その後なにもなかった。この足のこぶに気づいたのも、二度目の往復の後だ。
あんたが言うまで関係のあることじゃないと思っていたんだが……」
グルンさんは気づかわしげに左足のくるぶし辺りをさすった。シノ様に言われて、急に不安になってきたらしい。
「それで、もう一つ、というのはそちらの品に関わることですか」
シノ様がガインさんの持ってきた鳥の羽根の束を目で指して言うと、そっちは俺が話すよ、とガインさんが言った。
「と言っても、別に大した話じゃないんだ。
俺がそいつを受け取ったのはつい先日のことだ。さっきの話にも出てきたバインシヤ村で、たまたま来ていた呪術師にもらったんだ。俺たちの旅の安全を祈る、とか言って」
「どんな奴でしたか?」
「さて。あんたたちみたいに身ぎれいな格好をした男だったよ。
村の奴じゃないな、旅の者だ、とか言ってたか。少なくとも山の暮らしをしてる風じゃなかった。
でも、悪い奴じゃなさそうだったがなぁ」
シノ様は、手にとっても?と尋ねてから羽根を手に取った。
ボクは背中越しにシノ様の手元を覗き込む。
シノ様は小声で説明をしてくれた。
「鶏の胸の羽根と石の欠片。それを、糸……、じゃない、髪の毛で括ったものね」
「それって、どういう意味があるんですか?」
シノ様はボクの問いに答えずグルンさんの方に向き直った。
「どうやら、こちらの護符が少々悪さをしているようですね」
「それは、あの呪術師にハメられたってことか?」
グルンさんが苦々しげに言った。
シノ様が微笑んで首を振る。
「いえ。彼にも悪気はなかったのでしょうが……。ただ、グルンさん、あなたは死者の水辺で儀式を行った。そうですね?」
「ああ、そうだが……」
「その時に山は、あなたに強い加護を与えたのでしょうね。あなたから強い霊力を感じます。
しかし偶然にも、この護符は山の霊力からあなたを守るものです。山からの加護を受けたあなたがその加護を否定する護符を持っているのですから、反発するのは当然。
そして山は、加護を与えたにも関わらずそれを拒絶したあなたに対し荒ぶっている。
そのこぶも、近頃になってひどくなったのではないかと想像しますが、どうでしょう」
山が荒ぶっていると言われてグルンさんは顔を真っ青にした。
「確かに、そう言われればそんな気も……。
いや、教えてくれ。わしはどうすればいいんだ!」
「簡単です。この護符を手放せばいい。すでに山の霊力に抗ってこの護符は壊れかかっていますが、これを捧げて謝すれば、山の怒りも鎮まるでしょう」
グルンさんはあからさまにほっとした顔をした。
しかしすぐに怪訝な表情で首を傾げる。
「しかしこのこぶ自体はこの護符を受け取る前からできたものだぞ。あんたの話は少しおかしいように思える」
「それはその通りです。なぜなら護符を受け取ったことはあなたの不調をひどくさせただけであって、こぶができた原因は、死者の水辺で儀式を行ったことにありますからね」
シノ様はまるで答えを準備していたかのようにすらすらと答えた。
「つまり、グルンさんの不調には二つの段階があるんです。
一つ目は死者の水辺で儀式を行ったこと。
話を聞くに、その場所はおそらく赤峰サイラスの霊力が濃密に集まる場所、霊地です。霊地は儀式の力を強めますが、少しグルンさんには強すぎる加護があったようですね。
そのしわ寄せがこぶとなって表れているのでしょう。
そして二つ目が、護符を受け取ったこと。
これはさっき話した通りで、身体の不調をより増進させる結果になっています。
つまり、護符を手放した上で山の加護を払えば、やがて身体の不調も取り除かれることになります」
するとグルンさんはようやく納得できたとばかりに頷いた。
「ふーむ。つまりこういうことだな。その山の加護を自分が払ってやるから、報酬をよこせと」
「ええ。お代は、ヤギの背の荷物をふた袋ばかり譲っていただければ結構です」
いいだろう、とグルンさんは言った。
けれどすぐ、険しい顔を作って睨みつける。
「だがあてずっぽうを言っているようなら、わしらの村にも呪術師はいるからな。すぐに分かるぞ」
「もちろん、あてずっぽうなど申しません」
シノ様は自信たっぷりに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます