第5話 居場所


~前回までのあらすじ~

 宿屋のおじさんに食べさせてもらったご飯がおいしかった!!!

 そうだ、あんなにうまいものを食べさせてくれた人をいつまでも呼び捨てはまずい。

 今後は敬意を持ってシノ様と呼ぼう。


 ***


 昨夜はシノ様が帰って来るまで、布団の中でボクがシノ様のために何ができるのかを考えていた。


 シノ様は何も命令して来ないけど、それでもあんなに美味しいご飯を食べさせてもらって、着るものも、寝る場所も用意してもらって、それなのに何もお返ししないなんておかしいと思ったからだ。


 ――美味しい料理……。じゅるり。


 あ、いやいや。違うって。


 結論としては、ボクにできることなんて特に何も思いつかなかった。


 ボクはただの田舎の村娘で、ヤクの世話や水汲み、畑仕事の手伝い、料理や繕い物なんかもいろいろとしてきたけど、今、この状況では役に立たないことばっかりだ。


 でもボクには幸い、五体満足の身体がある。


 長い間閉じ込められっぱなしだったから筋力も体力も落ちてはいるけれど、ちょっと重いものを持ってあげたり、なにか頼まれごとをしたり、こまごまとした手伝いくらいはできるはずだ。


 シノ様がなにも言ってこないのなら、ボクが仕事を見つけるしかない。




 と言うわけで、次の日からシノ様のやることをじーっと見ていた。


 翌朝は窓の外から何かいい匂いが漂ってくるので目が覚めた。


 シノ様はボクの身体に両腕を巻き付けて、静かな寝息を立てて眠っている。


 ボクは身じろぎして起こしてはいけないと思ってじっとしていた。


 そうすると背中の温かさがボクにじんわりとした眠気を運んできて、気が付いたらシノ様に揺り起こされていた。


「こら、イヅル。いい加減に起きなさい。もう陽が高いわ」


 ボクが慌てて起き上がると、シノ様は腰に手を当てて不機嫌そうに睨んだ。


「いつまで寝てるの。ご主人様より早く寝て、ご主人様より遅く起きる使用人がどこにいるのよ」


「申し訳ありません」


 つい口をついで出かけた言い訳をかみ殺してボクは頭を下げた。もっともだと思ったからだ。


 シノ様の役に立とうと思ったのに、いきなり失敗してしまった。


 でも明日からどうしよう。こっそり腕を抜け出そうとして、起こしてしまったらそれもそれで怒られるかな。


 ボクが素直に謝ったからか、シノ様はすぐに相好を崩した。


「まあいいわ、別にいつ起きなきゃいけないなんて決まりはないんだし。それより今日は街の外へ行くからね」


 昨日買ってもらった服を着せてもらった。


 袖を通しただけでは、まだ仕立て直していないのでどこも布が余っている。


 シノ様はそれをあっちへ引っ張ったりこっちへ引っ張ったりして、なんとか格好のつくようにしてくれた。

 袖だけは折り返しても手首のあたりがだらりと開いてしまっているが、まあそういうものだと思おう。


 それから帽子だ。船形に折って形を整えると丁度いいサイズになった。

 そして靴を履いてひざ下で紐を締めれば、どう見てもつい最近まで檻の中で服も着させてもらえなかった奴隷少女とは思えない。


「ふむ、凛々しい」


 シノ様はボクの出来栄えに満足した様子で頷いた。


 そこでボクは両手を広げて自分の格好を眺めてみた。


 身体にぎゅっと巻き付けられた衣は身体の前で合わさり、フリルのようにくしゃりと寄せられて腰許へ。いったん足元を経由してから再び腰許に戻り、そこでしっかりと帯で締められている。


 動く度に深い色の緑が揺れて、すごくきれいだ。


「すごい。シノ様ってなんでもできちゃうんですね!」


 ボクは嬉しくなって、思わずシノ様に抱き着いてしまった。


 ちょっと馴れ馴れしすぎたかと思って急いで身体を離すと、シノ様はまんざらでもない様子で、大抵のことはね、と鼻の下をこすった。




 宿のおじさんは朝になると宿の前でパンを売っている。二度寝する前のいい匂いはこれが原因のようだ。


 おじさんはシノ様が二つ買ってカバンに投げ入れるのを見て、とんでもないとばかりの顔をした。


「おい、おい。焼きたてだぜ。今食え」

「これはお弁当。ちょっと町の外まで行ってくるから」


「でもよ、おい」


 おじさんが指さしたのはボクの顔だ。


 そんなに物欲しげな顔をしていたかしらん。


 いや、していたんだろう。

 だってシノ様がもう二つ分のお金をおじさんに渡して、もう、とボクを睨みつけてきたから。


「ほんと、食いしん坊なんだから」

 シノ様は呆れ顔でボクにパンを一つ渡してくれた。


 パンは手に持つとほかほかとして、指先が温かい。

 かじると中からピリリと辛い肉とジャガイモを炒めたものが出てきて、もちもちとしたパンと併せて夢中で食べ終わってしまう。


 気づくとシノ様はまだ一口食べただけで、ボクの食べっぷりをあっけにとられて見ていた。


「あ、あの……」

 ボクが何か悪いことをしてしまったかと思ってもじもじとしていると、シノ様は慌てて自分のパンにかぶりついた。


「これはあげないからね!」

「言ってません!」


 どうやらまた物欲しげな目をしているように思われたらしい。


 心外だ。


 流石に人の分まで食べるほどいやしくはない。

 いや、もらえるものならもらうけど。


 ボクに横取りされないように慌てて食べるシノ様を見て、ぶあっはっは、とおじさんが愉快そうに笑った。




 そうして二人で連れ立って出かけたのは、連なる家々の間を縫うようにして歩いた先だった。

 十字路を一つ過ぎる度に家はどんどん小さくみすぼらしいものになって、家畜小屋の脇を通り抜けると、目の前には広い平原が広がっていた。


 その広さ、突き抜けるような空と山の景色に、不意に胸が締め付けられるような心地がした。

 胸騒ぎがするような、切なくなるような、胸の奥のざわめき。


 そんなものを隠そうとして、ボクはあえて明るく言った。


「こんな場所にあったんですね、この町は」

「あら、知らなかったの?」

「はい。真っ暗な馬車に詰め込まれて連れてこられたので」


 するとシノ様は、なるほど、とこの町のことについて解説をしてくれた。


 ここはシュベット国中央部のナンキの町。街道の交差するそこそこ大きな街らしい。

 ぴっと向こうを指さして、向こうに薄っすらみえるのが天外山脈、それからあの山が大典山、山を越えたら首都ハウイ、と言った。


 天外山脈についてはボクも聞き覚えがあった。チクリと胸が痛む。


「遠いんですね」


 ボクはシノ様が天外山脈の方角をじっと眺めながら言った。

 岩と土の大地が遠く続くその遥か向こうに、蒼い陰が世界を塞ぐようにどっしりと横たわっている。


「あんたの故郷?」

「はい」


 シノ様が困る気配がした。

 シノ様は優しいから、ボクを帰してあげなくちゃいけないんじゃないかって思っているんだと思う。


 だからボクは急いでシノ様の袖を引いた。


「帰りたくないと言ったら、嘘になりますけど……」

「……ん」


「あの村に帰る場所はもうないし、今のボクの帰る場所は、シノ様の隣です」


 シノ様が目を丸くした。

 それから急にボクの首根っこにぎゅーっと抱き着いてくる。


「なーに、急に可愛いこと言ってんのよ。昨日まであんまり喋ってもくれなかったくせに。やっぱりご飯ね。餌付けが大事ってことね」

 そう言いながら、ぐりぐり頬ずりしてきた。痛い、痛い。結構遠慮がない。

 

 本当のところボクは、そう言えばシノ様が喜んでくれるだろうと思って言っただけだった。

 シノ様の隣がボクの居場所だなんて、まだそんなことは思えない。


 だからシノ様がとても嬉しそうに笑っているのを見ていると、少し胸が痛んだ。

 だって本当の気持ちを返してくれる相手に、嘘なんて吐いてはいけないもの。


 でも、いつか今の言葉がボクの本当になればいいと思うその気持ちだけは、きっと本当のことだった。

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