第3話 イヅル・ツチミヤ

~前回までのあらすじ~

 憐れ幼くして人買いに売られたボクは、シノ・ツチミヤと名乗る少女に買われる。

 これからどんな恐ろしい日々が待ち受けているのだろうか。あわわ。


***


 シノに連れていかれたのは、町の片隅の小さな宿屋だった。


 入ると一階の酒場のカウンターに座ったおじさんが、おかえり、と顔を上げた。シノは元気よく、ただいま、と挨拶をした。どういう関係なんだろうか。


 ボクも何か言った方がいいかと迷っていると、おじさんはシノの背中に隠れるようにしているボクに気が付いて怪訝に眉をしかめた。


「どうしたんだ、そいつ」

「買ったの。わたしのよ。あげないからね!」


 いらねーよ、とおじさんが笑う。


「何に使うんだ。子どもが材料の薬でもあるのか?」


 あ、やっぱり逃げた方がいいのかな。

 その言葉にボクはちょっと浮足立った。


 ちょっとずつ手足を切り取られて骨とかを磨り潰される想像をしてしまう。

 流石にその辺で野垂れ死にしたほうがマシだ。


「もう。またそんなこと言って。わたしはそんな悪い呪術師じゃないんだからね!」

 シノは唇を尖らせてぷりぷりと怒った。分かってるよ、とおじさんは笑う。

 シノを怒らせて遊んでいるだけのようだ。


「さあ、来なさい」

 ボクは首輪の紐を引っ張られて、宿の二階に連れていかれた。


「ここがわたしの部屋よ。今日からあんたもここに住まわせてあげる」


 木の板の張られた小さな部屋だった。隅にはベッドが一つ置かれ、その向かいには机と椅子。視線の高さに四角く窓が開けられ、そこからは向かいの建物と街路が見えている。


「う~ん、固いわね」

 シノはそんな風に唸りながらボクの手枷と首輪を外してくれた。


 ボクは久しぶりに自由になった。もちろん背中にはシノへの服従を強制する呪印が施されているから、本当の意味での自由ではないのだけれど。


 そんな見かけだけの自由よりも、ボクはここで何をさせられるのかが気になった。


 ボクは父が護衛士であったから文字を読むことはなんとかできた。

 けれど、この国の制度や、売られた人間がどのような生活を送ることになるのかなどさっぱり知らない。

 田舎の村の生まれの者などは大抵その程度だろう。


 ただ、売られて買われた以上、ボクは物扱いだ。

 うっぷん晴らしに鞭打たれても、慰み者にされても、さっきのおじさんの言うように薬の材料にされたって守ってくれる人はいない。


 シノの考えるボクの使い方がどのようなものかによって、ボクがこの先どんな扱いを受けることになるのかが決まる。


 ただ、ボクはそのことを上手く聞ける気がしなかった。

 なぜってボクはずっとあの牢獄の中で黙りこくって過ごしてきたし、シノはさっきから早口で部屋の説明をしてボクの話に耳を傾けてくれる気配がなかったからだ。


 その日、シノは結局ボクに、どうしろ、こうしろと命令をすることもなく、夕方になると先に寝ていろとだけ指示を出して部屋を出て行った。


 ボクはまた一人になった。


 次第に窓から差し込む光も朧になって、部屋をとっぷりと闇が包み込むと、ボクはどうしていいやら分からずに固い床の上に膝を抱えて腰を下ろした。


 ずっと何も考えずに過ごしてきたから、ぼうっとして過ごすのは得意だった。


 けれど今まで何も考えないでいたのは、考えてもどうしようもないことだったからだ。

 あまりにも突然にボクは全て失って、何を考えたところで、ボクには商人たちの言うことに唯々諾々と従っておくという一つの道しかなかったからだ。


 でもこうしてシノのものになってみると、ボクの前には無数の選択肢が広がっているように思える。


 それが一体どういうものなのか、まだ焦点を合わせていないボクには分からない。分からないから、考えなきゃいけないような気がする。


 でもボクはなにをしたわけでもないのに疲れ切っていて、考えることが億劫で、これまでと同じように、何も考えないという慣れきった状態に立ち戻ろうとしている。


 結局行きつく先は一つしかないと思っていた昨日までの日々に戻りたいと思っている。


「はあ……」


 ボクはずっと同じ格好でいすぎて少し痺れたおしりを少しずらした。もう一度膝を抱え直して抱きしめる。


 これまではずっと沢山のひとが同じ部屋にいたのに、今のボクは一人だ。

 これまでだって決して誰かと仲良くなったりはしていないんだけれど、陽が落ちて気温が下がったせいか、寂しいと感じる。


 シノが戻ってきたのは陽が落ちてからずっと経った頃だった。


 ボクが眠っていると思って気を遣ってくれたのだろうか。そっと扉を開けて部屋の中に滑り込んできたものだから、ボクは盗人かなにかかと思った。


「えっ、逃げた?」


 シノはボクがベッドにいないのを見てぎょっとして、それから壁際で小さくなっているボクに気が付いて跳び上がって驚いた。


「うわっ。何してるのよ、あんた」


「あ、えっと……。お、おかえりなさい」


 ボクは何とか絞り出すようにして言った。

 立ち上がると、ずっと座っていたせいで思わずよろけた。


 ボクを支えてくれたのはシノだった。


 シノはボクを放すと、何か違和感があったようで首を捻った。

 そしてぽんと手を鳴らす。


「……あ、分かった。あんた、やっと喋ったわね。そう言えば名前も聞いてない」


 言われてボクは、シノが名乗った後、自分がなにも答えていなかったことに気が付いた。あの時は口の中にいっぱい干し杏が詰め込まれていたので喋れなかったのだ。


 ボクは軽く頭を下げて言った。

「イヅル、です」


「へえ。家名は?」


 今度はボクが首を捻る番だった。家名なんて聞いたこともない。村の中に名前以外を名乗る人もいなかった。あ、でも街道を通る商人たちは、別の名前を持っていた気がする。


「ない、と思います……」


「そう。なら、以後ツチミヤと名乗りなさい」


 いいですね、と念を押す声に、ボクは小さく頷いた。

 それにどんな意味があるのかはよく分からなかったけれど、いずれにせよボクに拒否権などないのだ。


 その夜はシノと一緒に寝た。


 普通の奴隷と買い主がどんな関係になるものなのかよく分からないけれど、ベッドを使わせてもらえるなんて思わなかった。拘束も外されたし、寝首をかかれるとかは思わないんだろうか。


 ともあれシノに抱き枕代わりにされていると温かくて、悪い気分じゃなかった。


 シノがどんな魂胆を持っているのかも分からないのに、暖かな体温にボクは安心してしまった。そうすると両親のことが思い出されて、少し泣いた。


 シノはいつしか気づいて、黙ってボクの頭を撫でてくれていた。


 そうして知らぬ間に眠り、次の朝が来ていた。

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