第18話 神様だって人を恋うものなのだ



「ちょっと、あんた!!最低よッ!!」


 いきなり話に割って入った松里さんが、わめいた。

すっかり氏康さんの語る三重子さんに感情移入したようだ。

かくいう私も、グラスを握って涙目になってしまっている。


 というか三重子さんが、けな気すぎるよ。

アルコールで少しぼうっとしているせいもあって、うるうるするのが止まらないんだけど。


「三重子さんがいい子過ぎて……私も、松里さんに同意します。氏康さんひどい」


「……俺もそう思う」


 ひどい、という言葉に氏康さん自身が頷いた。

だけどここで、意外な人物が助け舟を出す。

それまで黙っていた汐が、ぼそりと呟いた。


「けど、嫁にしてやるという話にまだたどりついていない。ひどいかどうかは、その話を聞いてから決めたらどうだ」


 え、どうしちゃったの汐。

あなたが氏康さんを庇うなんて。

私がきょとんと見つめると、汐は気づいてふいと視線をそらした。

少しきまり悪そうなのは、どうしてだろう。


「そおね。話を最後まで聞いてから、決めてあげるわ」


 ……ジャスティス。

松里さんはオネエさんというより、もはや女王様になっている気がする。

さあ、と話の先を促す松里さんの視線に、氏康さんが緊張するのがわかった。





 それから、三重子は毎日やってくるようになった。

お供えがある日もない日も。

お供えがある日は、半分にわけて並んで食べた。

ない日は他愛もない話をした。


 人の成長は早い。

いつのまにか三重子は十八になっていた。

その頃にはもういっぱしの働き手だったから、だんだんと会う時間も少なくなっていたが。

それでも毎日、かかさずにお参りに来た。


 あれは戦争が終わり、しばらくたった頃だったと思う。

稲刈りが終わって、田圃が寒々しくなったくらいの、秋の日。

その日はなぜか、三重子が息を切らせて走ってきた。

いつもと違って、お供えの饅頭がふたつもあって。

それを大事そうに両手で抱えていた。


 俺はどうかしたのかと訊いた。

三重子は、嫁に行くことになったと言った。

それでお祝いがあったので、そこで出た饅頭を持ってきたと。

渡された饅頭が、まだ温かかったのを覚えている。

たぶん、蒸したての温かいうちに俺に食べさせたくて走ってきたんだろうとわかった。


 嫁ぎ先は隣村で、そうしたらもうここにお参りには来られないけれど、どうか残った両親のことをお願いします。

三重子はそう言って、何度も頭を下げた。


 普通は一人娘なら婿を取って後を継いでもらうものだが、三重子の実家は貧しかったから。

そんな相手も見つけられなかったんだろう。

三重子の両親は、なんとか娘が幸せになれるようにと送り出す先を探して嫁ぎ先を決めたんだと思う。


 そういう時代だったし、親にしてみればそうするのが精一杯の愛情だったんだ。

だけどそれからの三重子は、だんだんと沈んでいくようだった。

口数も少なくなって顔色もよくなくて。


 そして嫁ぐ日の前日に、とうとうこらえきれなかったのかこう言ったんだ。

嫁ぐ相手には、まだ会ったことすらない。

どんな人かもわからない。

隣村なんて、近いようで知っている人もいない。

自分は嫁ぎ先でうまくやっていけるだろうか。

考えたら不安で不安で仕方ないと。


 そして何より、もうここに来られなくなることがつらいと。

……それでも俺は、何もしてやれない。

氏子でなくなってしまえば、もう三重子の前に姿を現すことすらできなくなる。

あまりにも、出来ることがなくて呆然とした。


 神などと呼ばれても、これほどに無力なんだと思い知らされた。

だが、それでも何とかしてやりたくて。

それで言ったんだ。


 もし出戻るようなことがあれば、その時は俺が嫁に貰ってやる。

だから駄目だった時のことは、心配しなくていい。

俺はずっと、お前のことを見ているから。


 そう言ったら、三重子は笑ってくれるどころか泣いて泣いて。

いつまでも泣き止んでくれなくて、困った。

その日、俺たちは日が暮れるまで黙って並んで座ってた。

翌朝、嫁いでいく三重子を俺は田に出て見送った。

できることといえば雨が降らないように祈ることくらいで。

つましい嫁入り行列は、それでも両親が嫁ぐ娘のために懸命に仕立てたものだったんだろう。


 村のものは、皆、祝福して見送った。

嫁いだ先は、やっぱり貧しい家で、だが相手の男は身体が弱い以外はいい奴だった。

三重子をとても大事にしてくれた。


 けれど結婚して二年ももたずに、男は病で亡くなった。

俺は、三重子が俺の村に戻ってくるものだと思っていた。

そうしたら、本当に嫁にするつもりだったんだ。


 ……だが、三重子は戻ってこなかった。

実家の両親と嫁ぎ先の家と、どちらもを支えて頑張っていた。

だからそれならと、俺は……俺がここの土地神になればいいと思ったんだ。

そしたら、戻ってこなくても俺が三重子のところに来てやれる。


 そう考えて、何度となくこの土地の神に縄張り争いを仕掛けた。

──勝てなかったけどな。





 話し終えて、氏康さんはぐいと杯をあおった。

私と松里さんは、揃って汐の方を見る。

汐は知らん顔でツマミのスルメを噛んでいたけど、私たちの視線に気づくと怪訝そうに眉を寄せた。


「……なんだ」


「こんな思いをして必死に立ち向かってきた犬に、ガンガンに猫パンチくらわせてたのね、アンタ」


「……ジ、ジャスティス」


「訳の分からん喧嘩を売られていた俺の立場も考えろ」


 汐は、ふんと肩をそびやかす。

たしかに汐自身には無関係だけど、少しくらい譲ってあげてよという気持ちにはなる。


「私……これからは夕食は三重子さんと一緒にしようかな」


「それただ夕飯たかりに行くだけになるでしょ、里ちゃんは」


「う……」


「三重子さんは料理上手だし、気遣い屋さんだもの。絶対に夕飯作ってくれることになっちゃうでしょ」


「そうなりますよね……」


 私はがくりと項垂れた。

松里さんの言う通りだ。

一人で食べる御飯じゃない方がいい、て思っても逆に気を使わせてしまうかもしれない。

そう思うと、安易に一緒しましょうとは言えないなあ。


「……三重子さん本人がどう思ってるかにもよるけどさ。結局、おひとり様が気楽でいいっていう人もいるし」


 たしかに、色んな感じ方があるものだし。

御飯は一人で食べるより、たくさんで食べる方がおいしいはず、ていうのも押し付けになるかもしれないよね。


 三重子さん自身が、そう望んでくれるなら私は日参してしまうけど。


「……でも、いいなあ。三重子さん」


 私が呟くと、神様たちはきょとんと私の方を見た。

三人……いや、三柱っていうんだっけ。

は、首を傾げている。


「今の話のどこに、うらやむポイントがあったの」


 松里さんが不思議そうに訊ねてくる。

そうかな。ポイントなかったかな。


「だって、氏康さんはその後ずっと、約束通りに三重子さんのこと見守ってきたんでしょう?」


「ほぼストーカーよね」


「……そ、そうとも言えるかもしれないけど」


 ああ、氏康さんがまた涙目になっている。

ストーカーっていう言葉の意味は知ってるんだね。

嫌がられてたらストーカーだけど、嫌がられてないなら大丈夫ですから。

安心して。


「ずっと見守ってもらってる……って。なんだか羨ましいなと思って」


 たとえそれで辛い時に助けてもらえないんだとしても。

なんとかして自力で立ち上がる一歩を、見ていてくれる存在があるって、すごく勇気づけられる気がする。


 私がそう言うと、神様たちは一様に目をそらした。

松里さんは畳の上を転がって悶絶してたけど。

照れくさすぎる、とかなんとかうめいていたけど。


「……神などと言っても、しょせん俺たちにできる事は、終局、見守ることだけだ。だから、それで勇気づけられると言ってもらえるなら。……冥利につきる」


 汐が静かにそう言って、氏康さんが小さく頷いていた。


 ──そうか。

私たち人間が感謝してそう思うことは、神様にとって嬉しい事なのかな。

ふわりと和んだ空気に、そう思う。


 帰り際、汐は氏康さんに三重子さんの様子を見に来るのは自由だから、と言っていた。

さすがに土地の事は一ミリも譲る気がないようだったけど。

梅雨の晴れ間、雲の陰からのぞいた月の下。

私は、猫と犬とオネエさんの影が帰っていくのを見送った。

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