第12話 伝えて、ザラメの気持ち
それから二時間ほど安静にしていると、寒気が少しだけ引いた。
頭痛も咳もマシになって、重いながらも身体が動く。
家の中の移動ぐらいならできそうだ。
まあ、まだ治りきったわけじゃねぇけど。
ぐうう。
腹減ったぁ……。
コスズにおかゆを取られて、ろくに飯を食えてなかったからな。
さすがに、なんでもいいから食いてぇ。
……たしかキッチンに、非常食のお菓子があったっけな。それでも貪るか。
あとは……。
あいつの様子でも見に行くか。
ゆっくり身体を起こし、絡む足を前に動かす。
ドアノブに手をかけ、回して少し押すと。
重い。
ドアがいつもより重く感じられた。
まるで、人がドアに体重をかけているような……って。
「わわっ!」
「ザ、ザラメ……?」
ザラメが扉の向こうから顔を出し、驚いた表情で俺を見ていた。
「郡さん……?」
気のせいだろうか。
僅かに、ザラメの瞳が潤んでいたのは。
「何やってんだよ」
「いや、特には……」
どもるザラメ。
「も、もう大丈夫なんですか?」
「お前のせいで一時危篤だったが、今はマシになったよ」
「そ、そうですか……ごめんなさい」
ザラメがしおらしい。
いつもなら、頬でも膨らませて反論するってのに。
「あ、やべ」
一瞬頭が真っ白になり、視界がぐらつく。
「郡さん!」
ザラメが咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか?!」
「大丈夫じゃねぇかな……。やっぱ、まだ寝てた方がいいか」
「わ、分かりました。運びま……」
ザラメの言葉が詰まった。
「ザラメ……入るなって言われたんでした……」
「はぁ……? あんなの、気にしてたのかよ。ゲホッゲホッ。あれはもういいから、とにかく運んでくれ」
「は、はい」
ザラメにお姫様抱っこをされ、ベッドに寝かされる。
氷のように冷たいキョンシー。
以前負ぶったときにも感じたが、生きているようにみえて死んでいるというのは、なんだか変な心地だ。
布団をかぶせたザラメは、居心地悪そうにソワソワとしている。
「……どうしたんだよ」
「い、いえ…………郡さん、あの」
ぐうう。
「あっ」
やばい。空腹が限界に迫っている。
腹がへっこんで背中と一体化しそうだ。
ゆっくり身体を起こして、問いかける。
「なんかないか? 食うもの」
「……あ、それなら」
ザラメは足早に部屋を出ていく。
しばらくして戻って来たザラメが持っていたのは、金平糖の入った瓶だった。
ピンク、白、黄色、水色、緑。カラフルな星々が、ガラス瓶の中に詰まっている。
「綺麗だから、食べずに置いとこうと思ってたんですが、今はそんなことどうでもいいです」
ザラメは俺の胸に、小瓶を押し付けた。
「あげます。全部あげます! だから……」
布団に黒い染みがつく。
まさか。
顔を上げた俺に飛び込んできたのは、
「死なないでください……!」
声を震わせて、俺の胸に額を乗せたザラメだった。
「知らないんです、人が死んだらどうなるかも、死ぬキモチも」
ザラメは、顔を上げることなく続けた。
「だけど胸がイガイガして、イタイんです。キュってなって、苦しいんです」
俺をぎゅっと抱きしめる。
親を離したくない子どものように、力強く。
「それはきっと、郡さんが元気じゃないからで‥‥‥死んじゃうかもって考えるからで……」
ぐりぐりと額を動かしながら、ザラメは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「知らないのに、分かっちゃうんです。“死ぬ”ってことが、とっても怖いことだって」
顔を上げたザラメは、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「だから……死なないでください。ザラメの前から、いなくならないで……!」
少女のような泣き顔を浮かべて。
「…………はぁ」
ため息をつきながら、右手をザラメの額の前に持っていく。
「あの、なぁ」
「あぅ」
ザラメの頬にデコピンをして、俺は金平糖の便を握った。
開いた瓶から金平糖を一粒摘みながら、俺は言う。
「そう簡単に死んでたまるかよ」
「でも……!」
「お生憎さま。一攫千金の夢を叶えるまで、俺は死ぬ気がないんでね」
金平糖を一粒噛んだ。
甘味が舌の上で広がる。
「第一。こんな風邪より、お前の手料理の方がよっぽど死を覚悟するんだが?」
「なんですかそれ! ひどいですよぉ」
いつもと同じように頬を膨らませるザラメを見て、胸のしこりが霧散していくような、そんな心地を覚えた。
「すぅー、すぅー……」
泣き疲れたのか、しばらくするとザラメは眠っちまった。
こうしてみると、つくづくガキみたいだ。
身体は大人なのに。
金平糖をボリボリと食いながら、俺はザラメの寝顔を見下ろす。
ザラメは膝と肘を軽く折り曲げ、俺の布団を枕代わりにして寝息を立てていた。
二つ括りの髪は、随分と乱れている。
「寝顔は悪くないんだよなぁ」
黙っていれば美人ならぬ、眠っていれば美人というヤツだ。
さっきまで色々喋ってたから、この静けさが少し落ち着かない。
「こおりさーん……むにゃむにゃ」
夢の中でも俺を呼んでるようだ。
口元を綻ばせ、とろけるような声で俺の名前を呟く。
そんなザラメの寝顔は幸せそうで。
なんだか、悪い気はしなかった。
――――
数日が経った。
俺の風邪は全快し、これまで通りの日々を送っているわけだが……。
「こ~お~りさ~ん、言い残したことはありますかぁ?」
開店前のカフェで逆さづりにされているのは、果たして“これまで通り”と言えるのだろうか。
俺の全身を縛る縄が、ギシギシと軋む。
「おかしいですもんねぇ、ザラメの通帳残高が一桁消えてるなんて。まさか、諭吉さんが足を生やして逃げたとか言わないですよねぇ?」
やばい、ザラメの背後から黒いオーラが滲んでる。
なんとか言い逃れできないものか‥‥‥そうだ。
「あー…………あー風邪かもゲホゲホ」
「え、ホントですか?」
作戦成功!
嘘を見破れないザラメによって雑に下ろされた。
よし、このままドアまでダッシュ!!
さらばザラメ! 待ってろマイドリーム!!
駆けだした俺の後ろから、ザラメの叫び声が追いかける。
「ああっ、郡さん! 騙しましたね!!」
「騙される方が悪っだあ?!」
扉を開けた先で、何かに……いや、誰かにぶつかった。
弾みで尻餅をついた俺に、手が差し伸べられる。
「怪我はないかね?」
色白の、陶器のように滑らかな手。
そこから視線を上げると、膝をつく男と目が合った。
タキシードを着こなした20代中盤ぐらいの男性。
金髪を後ろで一つに束ね、瞳は瑠璃の宝石のように艷やかだ。
俺が女だったら、惚れていたかもしれない。それほどのイケメンが、俺の目の前にいる。
「カフェ“GOOD MOURNING”というのは、ここだね」
男は俺に、白い歯を見せ微笑んでいた。
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