許せないのはどっち 🥳への応援コメント
よかれと思ってやっていることが、相手にとって押しつけ、お節介以外の何ものでもない、なんて事はよくある話で、相手が迷惑ならそう言ってくれればいいけど、そこも相手の事を慮る相手だったら、気持ちのループ現象。
思いやりの気持ちが、そこら中で渦を巻いている。
作者からの返信
仰せのとおり、心と心の渦巻き、鳴門海峡並みかも。
イケメンおじいさまのこと、気になります~。(^▽^;)
許せないのはどっち 🥳への応援コメント
明けましておめでとうございます。
今年も、どうか、よろしくお願いいたします。
上司の言い分は、いつもおなじみたいです。
『きみのためだ。』 『適材適所だ。』
などなど、ですね。
作者からの返信
上司の上司もそう言っているのでしょうか。(^-^;
こちらこそ、本年もよろしくお願い申し上げます。
許せないのはどっち 🥳への応援コメント
意外に思われるでしょうが、私昔から徳川慶喜ファンで今も変わりません。
彼の気持ちも分からないではないですが、ただその前に慶喜公は国父島津久光と意見の相違があったこと。
あまつさえ彼の事を口汚く罵ったことは意外と知られていません。
久光自身が慶喜を尊敬したわけではないですが、彼は兄斉彬の方針を継続し、慶喜の味方であるつもりだったはずなので、これは彼から見れば青天の霹靂だったわけで。
裏切られたと思ったのはお互い様な気がします。(笑)
私個人はもし斉彬が健在で、あの時代屈指の人物だった慶喜と斉彬の政がどのようになったのか?
惜しいと思うばかりです。
作者からの返信
さすが島津研究家の郭隗の馬の骨さん、詳しいお話をありがとうございます。
わたしは幕末に弱くて(笑)司馬さんのご意見しか存じませんので。(^-^;
お申し越しのとおり、斉彬さんが長生きされていたらと惜しまれますよね。
許せないのはどっち 🥳への応援コメント
この題名でこの話題とは!
謎の使命感でコメントします(笑)
ゆる〜く歴史を愛好する私も、幕末の歴史を調べている時に「絶対に戦を起こしたくない慶喜さん」vs「戦を起こして政権を取りたい薩摩」の駆け引きを知って、薩摩藩のえげつないやり方にむむぅとなったので「許せない」気持ちも分かりますが……。
歴代将軍の中でも特に賛否両論ある慶喜さん。「江戸を守った」のかもしれないけれど、会津の事はどう思っていたんだろう? ついそこは気になってしまいます(^^;;
「許せない」思い。
きっと立場によって様々だし、見えるものも見えにくいものも沢山あるのでしょうね💦
作者からの返信
すみません、紛らわしくて。(笑)
なにしろ幕末オンチで司馬さん説しか知らないので、自信がなくて……。
慶喜さんはドライなタイプで、会津藩は勝手に動いた程度に思っていたのでは? そんな感じも受けました。(´艸`*)
あと、別稿『家康の隠し孫――保科正之』で、蒲生氏郷さんをうまく書けずにごめんなさい。なんか残酷な処刑とかもしたみたいな感じで……これは碧月葉さんに申し訳ないなと思いながらもどうにもならず、まことにご無礼いたしました。🙇