25 : Lynn
▽ Side : Lynn
あたしは、ぐすぐすと泣きながら雨宿りしている。
ハイジから逃げて、走って走って……気づけば見知らぬ森の中だった。
戦場は魔力に溢れていたが、そこを離れるといきなりそれは希薄になる。
より魔力が強い方へ強い方へと流されるかのように走り、ようやくたどり着いたのがこの森だった
山間にあるこの森は、まだ魔物の領域というほどの魔力はない。しかも鬱蒼と茂っている上に『寂しの森』のような平地ではないため、歩き辛くて仕方がない。
身を隠すように歩き回っているうちに辺りは真っ暗になり、雨足も強くなってきたので、今は木の
(あたしの中に、あんな残酷性があったなんて)
(しかもそれをハイジに見られてしまった)
しかも、体がなんだかおかしいのだ。
倒木や蔦に覆われた樹海を歩けば、当然怪我の一つや二つはする。
何度か足を滑らせて、小枝などで皮膚を傷つけているし、それでなくとも擦り傷だらけのはずだ。
なのに。
(あっという間に傷が塞がる)
(まるでヴィヒタで治癒しているみたいに––––ううん、それ以上に)
自分の体の変化が恐ろしかった。
脚力も数倍になっているし、真っ暗な闇の中だというのに、はっきりと遠くまで見通せる。試してはいないが、おそらく腕力も含めて膂力が人間の限界を超えている気がする。
それよりも、何よりも恐ろしいのが––––
(心が変化していくのが怖い)
(また、あの時みたいに、誰かを傷つけることが快感になってしまったら––––)
あの時、あたしは哀れな少年を前に、甚振るのが楽しくて仕方なかった。
自分より劣る弱い存在が泣いている様が滑稽に感じて、笑えて仕方がなかった。
優越感と万能感に酔い痴れて、見下すのが楽しくて仕方なかった。
––––恐ろしい。
あたしは、心まで魔物になってしまったのだろうか––––。
「ぐすっ……」
ガチン、ガチンと、近場にあった岩で額の
放っておくと、あっという間に伸びてくるのだ。
自分の体が、自分のものでなくなっていくことが怖くて怖くてたまらない。
だから、何度も角を砕いては泣いている。
痛くて堪らない。
「ハイジ……」
もう、あの人の横に立つことは叶わない。
あの時、ハイジはノイエに対し『はぐれ』だから殺せない、と言った。
あたしはハイジにとっての『はぐれ』の大切さを思い知り……そして自分が『はぐれ』であることを嫌悪した。
もし、自分が『はぐれ』でなければ、ハイジはあたしのことを見向きもしなかったのではないか。だって、あたしを殺そうとした
つまり、彼にとっては「あたし」よりも『はぐれ』のほうが優先されることなのだ。
そう気付いた瞬間……何もかもが空虚に感じた。
あたしは彼の横に立ちたかった。
そして、ようやくそこに立てたと思ったのだ。
必死に努力して、それこそ死ぬ思いをしながら食らいついて手にした場所だったのだ。
でも、彼にとっては「あたし」であることは重要ではなかったんだ。
なのに。
「なんで……」
なのに、あの時、彼はノイエの両腕を刎ねた。
おそらくもう生きてはいまい。あの場所にはすでに彼の味方などほとんどいなかったはずだし(あたしが殺した)、あの出血量だ。きっととっくに死んでいる。
それは––––
(ノイエからあたしを守るためだった)
ハイジが『はぐれ』の命を奪うということ。
それは、なにかとてつもない
(あたしが)
ぞる。
(あたしが、何もかもめちゃくちゃにした)
ぞるる、ズルっ。
角が伸びる。
ぐすぐすと泣きながら、ガチン、ガチンと石で砕く。
ひどく痛むし、頭に衝撃が来るので吐き気を催す。
角の生え際から血が流れて目に入るのも鬱陶しいし、目の前に積もった角の欠片の山が、心底恐ろしい。
でも、あたしはまだ人間でいることに執着がある。
だから、ガチン、ガチンと自分の角を砕き続ける。
▽ Side : Eihim
「三日以内に区切った理由は単純だ。––––おれの命があと四日だからだ」
「は?!」
「おい、そりゃどういうこった」
「『はぐれ』を斬ったからだ」
その言葉を聞いて、ヘルマンニが呆然とする。
「バッ……馬鹿か、お前!」
「両腕を落とした。リンが殺られそうだったのでな」
「だからって、お前……!」
「なるほど、三日の
「……随分冷静だね、ヨーコ」
淡々と話をすすめるヨーコをペトラが睨むが、ヨーコはどこ吹く風だ。
ペトラにとっては、ヨーコのこうした人間味のない態度が我慢ならないし、ヨーコはペトラのこうした感情を優先した行動が我慢ならない。
しかし、すでに二人はそれを抑えることができる程度には大人になっている。
––––谷に居た頃と比べれば、の話だが。
「両腕かぁ……そりゃあ、もう死んじまってるだろうな。なんでそんな事するかねぇ」
ヘルマンニは両手で顔を覆って天井を仰ぎ、ため息を吐いた。
「距離を操作する能力持ちだった。だがそうなると、
「なるほど、手加減したつもりが、勝手に距離を詰められれば殺してしまうからな。よほど気をつけていないと殺してしまうだろうな」
ヨーコとヘルマンニは納得したようだが、ペトラだけが話についていけていなかった。
「ちょっと、なんでアンタたちだけ納得してんだい!? 『はぐれ』だ何だと言ったって、敵には違いないじゃないか! そんなの、殺すしか無いだろう? それがなんでハイジが死ぬことになるんだい!」
ペトラは混乱して怒鳴っているが、それを聞いたヨーコは鼻を鳴らして、小馬鹿にした口調で説明した。
「師匠と同じだよ。こいつは精霊と『魂の契約』を結んでいる。だから『はぐれ』と敵対したり殺したりすると、その五日後に魂を精霊に回収される。要するに死ぬ」
「な……!?」
ペトラはわなわなと震えて、ハイジに掴みかかった。
「なんだってそんな馬鹿な契約を!?」
「……死の間際のことだ。そう縋るしかなかった」
「だからって……死んじまったらしょうがないだろ!」
「そんなことになるとは知らなかった。それに、当時のおれはそれでもかまわないと考えていた」
「こっ、このっ……!」
「やめろ、ペトラ。時間が惜しい」
ヨーコの冷静な声に、ペトラがグッと言葉を詰まらせる。
しぶしぶハイジの襟首から手を離すと、ドサリと椅子に座る。
重量級のペトラが勢いよく座ったことで、椅子がギシリと危うい音を立てた。
「で? それで何でリンが逃げる事になったんだい?」
「……わからん。一旦は戦わずに逃げた。リンが初見でアレと戦うのは得策ではないし、おれも殺さずに済ます自信がなかった。だが、リンが二度の魔力切断を食らったので、医局に放り込んだ。その時に何故ノイエを殺さなかったか問い詰められた」
「魔力切断?!」
「……それで?」
「『はぐれ』だからだ、と答えた」
「……は?」
「すると、なぜか怒り狂って飛び出していった。理由は……わからん。俺でも追えない速度だった。この時にはすでに魔獣化が始まっていたものと思われる」
「こぉんの、馬鹿がぁあっ!!」
ペトラがハイジの頭を殴りつけた。
ゴォー……ン! と鐘を鳴らすようなとんでもない重たい金属音が響いた。
「グ……ッ!」
ハイジがその痛みに耐えながら頭を押さえる。
ペトラの能力『
打撃点を自在にずらし、一撃で
ペトラの二つ名『重騎兵』の元になった能力ではあるが、ハイジの頭を粉砕するには至らなかったようだ。
「いつまで経っても成長しない男だね、アンタはッ!」
「何をする……!」
「なんでリンが逃げたか、何故わからないんだいっ!? ハイジ、はっきり言ってやる! アンタは馬鹿だ! そして、アンタのその馬鹿さ加減が、リンを魔獣とやらにさせたんだ!」
「……おれのせいなのか?」
「ああっ、そうさ! アンタのせいだ!」
「ペトラっ! 時間がもったいないと言っているだろうが!」
ヨーコの声に、息を荒げたペトラも渋々引き下がる。
まだ言いたいことはいくらでもあるが、ヨーコの言うことも尤もである。
時間が足りずに間に合わなければ、何もかもが台無しだ。
「それで、ハイジ。お前、リンを見つけてどうするつもりだ?」
「わからん。わからんが、説得したい。なんとしても人間の世界に連れ戻したいと考えている」
曖昧な返事をするハイジだったが、ヘルマンニがヘラリと笑って挙手した。
「そういうことなら、俺は協力させてもらうぜ」
「ヘルマンニ」
「払いもいいし、目的も気に入った。難易度についてはわからねぇが、ほかならぬリンのためだ。力になるぜ」
「……恩に着る」
ハイジが頭を下げる。
ペトラも「当然」と言わんばかりに腰に手を当てて宣言する。
「あたしもやるよ。なんとしてもリンを捕まえて、アンタに謝罪させてみせる」
「……すまん、助かる」
「では話はまとまったな」
パン、とヨーコが手を鳴らして、注目を集める。
「では、
ヨーコはギルド長室に揃った顔を見回して宣言した。
「『魔物の谷少年傭兵団』の再結成だ」
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