32 : Lynn
「おれはあと二日ほどで死ぬだろう」
「……は?」
ハイジの言っていることの意味がわからず、間抜けな声が出る。
「……と言われても、何のことかわからんだろうな。逃げずに聞いてくれるようなので、一つ一つ話そう」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
あまりに軽い調子だが、いくら何でも聞き流す事はできなかった。
死ぬ?
ハイジが?
あと二日で?
「待って、ハイジが死ぬってどういうこと? なにかの比喩? それとも病気? ……には見えないし」
「話を聞く気になったろう?」
「……聞くわ。もう逃げる気はない」
ハイジがすこし可笑しそうに目を細めるが、冗談ではない。
「話して」
「では、順に話そう。……まず、お前が病院から逃げた後、ペトラに殴られた」
「……ん?」
ちょっと話が見えなかった。
「えっと?」
「何故お前が逃げたか、それがわからないおれは馬鹿だと言ってな」
「あー……」
「おれの馬鹿さ加減が、お前を魔獣化させた原因だと言われた。だから、おれは考えた。お前が怒った理由や、おれのどこが馬鹿だったかを」
「えええ」
常に戦うことと『はぐれ』を保護することしか考えないハイジが、あたしの気持ちを考えたという。
それはなんだかハイジらしくない言葉に思えた。
「それで……?」
「わからん」
「わからんのか」
「だが……言葉が足りなかったと思った。ノイエについてだ」
「う、ぐ」
それはすでにトラウマとなった名前だ。
ハイジがあたしの命より優先した少年。
また、ハイジが主義に逆らって殺した『はぐれ』。
「まず、ノイエを殺せなかったのは、おれに呪いがかかっているからだ」
「呪い?!」
「ああ。精霊との契約––––魂の契約––––言い方は色々だが、おれに言わせれば呪いでしかない」
この世界には魔力があり、魔術がある。
あたしやハイジのような特殊な力もある。
元の世界であれば、精霊など想像の産物と言われても仕方ないかもしれないが、この世界では歴然とした事実として、それは存在する。
だけど、精霊との契約が呪いとは、穏やかではない。
「……どんな呪い?」
「話はもう二十年近くも遡る。昔の話だ。おれは戦場で一人の『はぐれ』を見つけた。まだ言葉も話せないくらいの、小さな子どもだった」
「うん」
「だが、見つけた瞬間に矢で射られて死んだ」
「えっ!」
そんな小さな子供を殺す?!
いや、そんなまさか。
「……流れ矢に当たったの?」
「いや、俺が保護しようと手を伸ばしたので、反射的に射ったのだろうと思う」
「なんてこと……!」
「子供の死を目の当たりにして、おれの感情は爆発した。その頃おれは怒りを抑える訓練をしていたんだ。ヘルマンニから言われてな。だが、それまで耐えていた分もまとめて爆発してしまった。抑えることができなかった」
「そ、それでどうなったの?」
「無我夢中で、周りにいる敵を殺したよ。ただ怒りと憎しみだけで、目に入る敵を全部殺した。もう何がなんだか自分でもわからなかったよ。師匠に救い出された時には意識もなかったし、大量の矢に射られてハリネズミのようだったそうだ。利き腕も失って、あとはもう死ぬばかりだった」
「……その話、何処かで聞いた事がある」
「そうか。まぁ、割と有名な話ではある。真実は噂ほどいい話でもないのだが」
ハイジが肩をすくめる。
この世界に来てすぐの頃、ギルドの酒場で聞かされた英雄譚。
その英雄本人が目の前で真実を語っている。
「意識を失う寸前のことだった。もう死から逃れられないと悟った俺は、精霊に祈った。どうせ失う命だ。無為に失うなら弱き者をを守るために使いたかった。そして––––俺は生き残った。師匠の命と引き換えに」
「えっと……お師匠さまの命と引き換えに、っていうのはどういう……?」
「それはあとで説明する。……問題は精霊に俺の願いが聞き届けられたということだ。腕を落とされたことで失うはずだった経験値は補完され、師匠の力を受け継ぐことで、より戦う力を得た」
「いいことづくめのように思えるけれど」
「代償がある。一つは師匠の命、そして俺の命だ」
「で、でも、助かったんでしょう?」
「死の直前の朦朧とした俺の頭にあったのは、直前に殺された『はぐれ』のことだけだった。おれはその日から、自分の人生の全てを『はぐれ』の保護のためだけに費やすことになった。そういう契約で人生が縛られることになった」
「そんな! それじゃ、ハイジ自身の人生じゃないじゃない!」
「それについては、もともとそういう生き方を選んでいたんだ。何も変わらないし、何も問題ではない。代償と引き換えに力を得たが、条件については不満はなかった」
「…………代償というのは?」
「契約を破ると、命が回収される。簡単に言えば『はぐれ』を見殺しにしたり、敵対したり、あるいは殺したりすれば、死ぬことになる」
あたしは思わず立ち上がって叫んだ。
「…………ノイエ!」
「そうだ」
「嘘! うそ、うそ、嘘!」
そんな!
だって、あの時ハイジがノイエを斬ったのは、あたしの––––!
「リン、間違えるな。お前のせいじゃない」
「でも!」
「落ち着け。考えろ。もしあの時ノイエを斬らなければ、お前が死んでいた。それを見殺しにすれば、結局おれは死ぬことになる––––つまり敵対する『はぐれ』に挟まれた時点で、どのみち逃げ道はなかったんだ」
「でも、でもでも! あのときあたしがノイエを殺せていたら!」
「その場合、ノイエを見殺しにしていたことで、やはり俺は死んでいたな」
自分の死を語るハイジは、まるでそれを気にしているようには見えなかった。
それどころか、肩の荷が下りたかのように、眉間の皺も緩められ、どこかホッとしたような表情だ。
「だからリン、どうか傷つかないでくれ。おれは––––お前を助けてよかったと思っている」
「でも! あたしはもうこんな魔物になっちゃってて……! どうせ死ぬならあたしが死ねばよかったんのに!」
「リン。おれはペトラに言われて気づいたんだ。どうにかして、お前とノイエ、両方を死なせない方法ばかり考えていたが……そんなことは無駄だったと」
「なぜ!」
「お前を助けたかったのは、『はぐれ』だからじゃないからだ」
「あ……」
それは、ずっとハイジから聞きたかった言葉だ。
いち『はぐれ』としてのあたし。
たまたま戦えるから側にいることがゆるされただけの『はぐれ』。
それがあたしだ。
そう––––考えていたんだ。
「そう考えると、可笑しく思えてきてな。『はぐれ』に命を捧げたおれだ。それ以外の生き方は許されないはずだった。なのに、あの時すでに、おれはおれの感情のために行動していた。『はぐれ』がどうとか……そんなものはお構いなしに」
クッ、とハイジが笑いを噛み潰す。
相変わらず獰猛な笑顔だが、嬉しそうな表情だ。
「命がかかってるってのにな。––––おれはおれの感情を優先していた。この時点ですでに駄目だ。『はぐれ』より優先するものができてしまえば、死が待っている。だが––––後悔はしていない。全く」
「でも、ハイジ!」
「ようやく救われた、と思ったよ」
ハイジは満足気に笑う。
「『はぐれ』の保護は、やりがいがあった。嫌なものを沢山目にすることにもなったが、契約などなくても、おれは同じように生きたに違いない。だが、どこか無理もあったのだろうな。師匠を死なせて、力を得て、感情を殺して戦い続けるなど、おれには荷が重い」
「……助かる方法はないの?」
「無理だろうな。『はぐれ』を害したかどうかについては、おれの認識にかかっている。おれ自身がノイエを殺したと認識している以上、契約違反になるだろう」
「ふ、二日っていうのは……?」
「戦士が死ぬと、五日後にヴァルハラに召されることになっている。おれがノイエをころして三日が経つ。つまりあと二日だ」
「うそ、うそうそうそ! やだ!」
あたしが泣くと、ハイジは困った顔をして笑う。
「おれも師匠が死ぬ時にそう思った」
「お、お師匠さんは何故死んだの?」
「おれが殺した」
「……えっ!?」
「正確には、師匠に命令されて、この手で殺した。そうすることで、師匠の力を受け継ぐことができる。これを魂の継承という」
「ち、力を受け継ぐ? だ、だからって、殺すなんて……」
「おれもそう思ったよ。そんな力はいらないと思ったし、一秒でも長く生きて欲しいと思ったな。だが、今のおれには、師匠の気持ちがよく分かるんだ」
「どうしてよ!」
「おれも、お前にこの力を継いでもらいたいと思っているからだ、リン」
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