#5
19
法螺貝が鳴り響いた瞬間に、ハイジは前線へと、あたしは迂回して遊撃手として飛び出した。
……先ほどの殺気はやばかった。
あれは、あきらかにあたしとハイジを認識した上で、意識してぶつけて来たものだった。
あたしたちにはわかる。あれは––––メッセージだ。
––––こっちを見ろ。
––––私はここにいるぞ。
そういう意志を、否が応でも認識させられた。
* * *
ハイジとあたしは、その時々で、ツーマンセルで行動したり、別々に行動したりと、定まった戦い方は持っていない。
そちらのほうが、敵を引っ掻き回せるからだ。
そして、今は二人別々に行動している––––あえてそうした理由は、敵の目的があたしたちではなく、揺動である恐れがあるからだ。警戒して二人一組で行動しているところを、裏を書いて二人の手の届かないところで暴れられたら、本当に手に負えない。なにせ、マッキセリ軍はライヒやオルヴィネリの軍ほど洗練されていないのだ。
なにしろ、この世界の戦争は、元の世界のような近代戦ではなく、たった一人の英雄の働きで勝敗がひっくり返ることもあるのだから。
常に魔力探知を全力全開にしながら、あたしはあえて気配遮断を行わずに敵陣に突っ込んだ。
(来るなら来い)
(返り討ちにしてやる)
敵は間違いなくハイジとあたしを意識している。
そして、ハイジとあたしでは、戦闘能力は雲泥の差だ。
もしも、敵がハイジではなく、あたしの方を優先してきたなら、敵は臆病者か、戦略的思考の持ち主か、あるいは––––
(あたしを殺して動揺を誘い、ハイジを斃して名を挙げるつもりか)
その可能性は十分にある。
今回、ハーゲンベックはなりふり構わず、残る全ての財力を注ぎ込んで、ヴォリネッリ中の傭兵団に依頼をかけたと聞く。
悪名高いハーゲンベックではあるが、その依頼に眉をひそめるようなまともな神経の傭兵ばかりではない––––むしろ、殆どの傭兵は良識やモラルなど持ち合わせていない、ただの戦闘狂だ。
彼らにとっては戦場は好き放題できる遊び場であり、そうした戦闘狂にとってはハーゲンベックは理想のクライアントだ。
そういう戦闘狂にとって、ハイジは理想の敵だ。
何しろ、斃せばヴォリネッリ中に名が轟く。
それが名声か悪名かはともかくとして。
あれだけ力を削いでやったというのに、ハーゲンベックの兵力はほとんど衰えていなかった。民兵だか農兵だかわからないが、殺す価値もなさそうな弱卒に混じって、そこそこ力のある敵が混じっている。
しかし、統率はとれていないように見える––––やはり傭兵を中心に軍を運用しているのか。手強くはないが、どこか戦いづらい。
あたしは次々と兵たちを無力化しながら、殺すべき敵は殺しつつ、少しずつ敵陣へと歩を進めていった。
* * *
「……貴様、もしや『黒山羊』か?」
何度か、そんな風に敵に問われた。
敵だってバカではない。むしろ、ハーゲンベックは戦に長けた軍だ。ライヒの主たる兵の情報くらいは集めている。
しかし、『黒山羊』の存在を認識しているらしい敵は、あたしを見ると、その顔に一様に困惑の色を浮かべた。
なにせあたしの手配書の人相書きは、似ても似つかない。
バッサバッサと弱卒たちを無力化するあたしを見て、黒目、バサッと広がる黒髪、そして耳の切れ込みを見て、ようやくあたしが『黒山羊』であると認識するらしい。思っていたのと違う––––という心の声が聞こえてくる。
(うっさい、あたしをその名で呼ぶな)
手配書の人相書きが似ていないのはあたしのせいじゃない。
そんなことを思いつつも、自軍の驚異になりかねないような精兵はきっちりと屠っていった。
魔力を込めたレイピアの切れ味は凄まじい。刃こぼれもせずに、分厚い筋肉と丈夫な骨に支えられたよく鍛えられた太い首をほとんど何の抵抗もなく切り落とす。
加速し、血を避け、次の敵を屠り、逃げまとう弱卒たちを無力化する。
(……来ないの?)
しかし、どれだけ暴れても、あの殺気の主は現れない。
魔力探知であの殺気を放った敵を探すが、特に目立った敵は見つからなかった。
(あたしはここだ。用があるなら会いに来い)
敵陣近くまで到達し、あえて目一杯魔力を込めて威圧し、殺気をばらまく。
拍子抜けだ。ハーゲンベックの将軍たちも、すぐ近くにまとまっているはずだ。
いっそ飛び込んで全員屠ってやろうかと考えるが、のぼせ上がって熱くなった脳を無理やり冷やす。
(……メッセージを送ってきたんだろ? 何故来ない!)
まだ敵兵が多数残された状態で無理に敵陣に突っ込むと、生きて帰れなくなる。
今はその時ではない。ハーゲンベックを下し、マッキセリを勝利に導き、そしてあたし自身も生きて帰らなければならない。
(くそ……ッ! やっぱりハイジ狙いか!)
これ以上暴れまわっても、敵の力は対して削ぐことはできなさそうだった。
もはや、めぼしい精兵は残されていないし、弱卒たちは逃げ惑っている。
仕方なく、あたしは自陣へと戻ることを選択した。
戦場はさほど広くない。
なにせ、両陣とも兵は千数百人程度なのだ。あまり広い場所だと、まともな戦闘にならないし、またそれだけ開けた無駄な平地など有りはしない。故に自陣から敵陣までは、走って数十分程度。あたしの足なら十数分も走れば戻ってこられる。邪魔な敵兵を無力化しながらでも、一時間もかからない。
自陣に戻り、ハイジを探す。––––居ない。つまりまだ戦闘中か。
体力は? まだ全然暴れたりないくらいだ。魔力も十分だ。
魔力探知でハイジを探す。––––居た。
他の有象無象では個人の判別など不可能だが、ハイジだけは別だ。この気配を見間違えることなどありえない。
同時に、あの殺気の持ち主を探す。
そこら中に赤黒い敵意と殺気が満ちているが、あれほど強烈な印象の敵は見当たらなかった。
あたしはハイジの元へと走り出す。
あれだけ明確に自身の存在を誇示しておきながら姿を表さない敵に不気味さを感じながら。
* * *
見た目だけでもハイジの巨体はよく目立つ。
あたしはあっという間にハイジを見つけ出した。
その力強さたるや……!
ハイジが、一斉にかかっていく精兵たちを一刀のもとに斬り捨てる。
見る限り、辺りに英雄クラスの敵は居ないようだ。
まだ例の敵とは遭遇していないのか、あるいは、すでにハイジが斬り捨てたか。
あたしは少しホッとして、ハイジに近づいていった。
ハイジも、後ろにあたしがいることは既に気付いているはずだ。ほら、そんな風に、後ろは任せたと言わんばかりに、背後の敵を無視して––––当然あたしもその期待には応えてみせる。
「『黒山羊』だっ!」
「くそっ! 『番犬』だけでも手に負えないのに……!」
「悪夢だッ!」
敵がざわつき、そしてあたしたちを中心に潮が引くかのように離れていく。
「
この状況を待っていたかのように号令がかかり、一斉に数百の矢があたしたちを襲った。
(–––『加速』)
すでに十分に伸長に伸長を重ねていたあたしは一気に加速し、射線が通った矢を全て叩き落とす。
見れば、ハイジも剣の一振りで全ての矢を無効化している。
––––化け物か。相変わらず凄まじい剣技だ。
「手を緩めるな! 第二射ッ!
(何度やっても同じよ)
体を止めていいタイミングに、あたしは伸長中に伸長し、その中で伸長を十も繰り返している。敵から見れば、ほんの数秒石像のように固まっているように見えているだろうが、すでに十秒近い時間がストックされている。
矢をバラバラと切り落としながら、超加速し、射手たちを一気に無力化する。弓の破壊も忘れない。同時にハイジが命令を下していた敵将の首を跳ねた。
すぐに離脱し、背中合わせに剣を構える
(いくらでもかかってこい––––あたしたちに怖いものなどありはしない!)
と、そう思った瞬間だった。
「やっと揃ったね。会いたかったよ、ハイジ! そして黒山羊!」
歓喜に満ちた、病的に明るい声がした。
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